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朝とパン

王宮の裏門を抜けて、少し歩いたところで、エルフリーデはふと足を止めた。


――静かだ。


王都の朝は、もっと張り詰めているものだと思っていた。

号令、馬のいななき、急かす声。

けれど、それらは思っていたよりも遠く、ここまでは届いてこない。


通りには、焼きたてのパンの匂いが漂っていた。

甘く、香ばしい、小麦の匂い。


露店の店主が布を外し、籠いっぱいに並んだパンを整えている。

まだ眠そうな子どもが、母親の後ろをとことことついて歩いていた。


王宮の朝とは、まるで別の場所のようだ。


エルフリーデは、肩に掛けた革袋に手を添える。

ずしりとした重みはある。

けれど、それでも――

王女として纏っていた、目に見えない重さよりは軽かった。


誰も、彼女を見ない。

見られても、すぐに視線が逸れる。


それが、少し不思議だった。


気がつくと、パン屋の前に立っていた。


「いらっしゃい」


気取らない声。


カウンターの上には、素朴な丸パン、木の実入りのもの、表面に砂糖をまぶした甘いパンが並んでいる。

王宮では見かけなかった種類ばかりだ。


――選ぶ、のね。


一瞬、手が止まる。


これまでは、決められた時間に、決められたものが出されていた。

選ぶ必要は、なかった。


「……ええと」


迷っていると、店主が声をかけた。


「朝なら、この辺が軽いよ」


示されたのは、小ぶりの丸パンと、温かいスープ。


エルフリーデは小さく頷いた。


「それを、お願いします」


硬貨を差し出す手は、少しだけぎこちない。

だが、受け取られた瞬間、確かに取引は成立した。


渡されたパンは、まだ温かい。

指先に、じんわりと熱が残る。


近くのベンチに腰を下ろし、

ゆっくりと一口、かじった。


――……。


言葉にはならない。


木のカップに入れられたスープを飲む。

塩気が、身体の奥へ静かに落ちていく。


資料を読みながら流し込む朝食ではない。

誰にも急かされない時間。


「……仕事、ないのね」


声は小さく、確かめるようだった。


会議の時間も、提出期限も、今日中に片付けるべき案件もない。


ただ、ここに座って、朝食を口にしている。


パンをもう一口かじりながら、空を見上げる。


王都の空は、こんな色をしていただろうか。


――どう、するのか。


答えは、まだ出ない。


不安はある。

だが、それ以上に、胸の内にあるのは、奇妙な軽さだった。


軽すぎて、少し怖い。


エルフリーデは、何も言わず、

最後の一口をゆっくりと噛みしめた。

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