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やらかし

夕刻。


連合商務調整局本部の執務室は、まだ人が残っていた。


日中よりも音は減っているが、完全に静かではない。

紙をめくる音と、遠くの足音が、断続的に響いていた。


ルーカスの机の上には、書類が積まれている。

普段よりも、明らかに多い。


彼は外套を椅子の背に掛けたまま、立って書類に目を通している。

椅子に座る余裕すらない、という様子だった。


「……ルーカス様。」


控えめな声。


顔を上げると、エルフリーデが立っていた。

手には、いつものように薄くまとめられた書類。

だが、今日はそれを差し出してこない。


「どうしたの?」


即答。

だが、声の調子はいつもより少しだけ低い。

集中が、完全には戻っていない。


「少し、お時間よろしいでしょうか。」


「うん、手短にお願いできる?」


悪気はない。

ただの、現状確認だ。


エルフリーデは、一瞬だけ言葉を探す。

それから、静かに切り出した。


「本日、非公式の面談がありました。」


その一言で、ルーカスの視線がわずかに鋭くなる。

だが、彼はそれを表に出さない。


「ああ。」


短い返事。


「例の、地方貴族家の補佐官です」


「うん。」


それだけで、話の筋は理解している、という反応だった。


エルフリーデは続ける。


「内容としては……個人的な意見を求められる形でした。」


ほんの少し、言葉を選ぶ。


「正式な手続きを通すよう、お断りしています。」


一拍。


ルーカスは、書類から目を離し、彼女を見る。


「……問題ない対応だよ。」


即断だった。


「今後も、そうしてくれればいい。」


それで話は終わり、というように、彼は再び視線を紙に戻す。


「同じような話が来ても、全部断っていい。こちらで処理する」


エルフリーデは、その言葉を聞いて、少しだけ安堵した。


――けれど。


「……ルーカス様は。」


ふと、口をついて出る。


「この件、ご存じだったのですか?」


ほんの一瞬。

空気が止まった。


ルーカスのペンが、止まる。


だが、次に出た言葉は、軽かった。


「まあ、最近そういう動きはあるからね。」


視線は、まだ書類の上。


「気にしなくていい。君が対応する必要はない話だ。」


それは、守るための言葉だった。

巻き込ませないための判断だった。


――でも。


エルフリーデには、別の意味に聞こえた。


(……知っていて)


(私には、何も言わなかった)


「……分かりました。」


返事は、いつも通り丁寧だった。

表情も、崩れていない。


「では、失礼いたします。」


一礼して、踵を返す。


その背中を、ルーカスは見送った。


――その時は、まだ。


扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


「……」


ルーカスは、そこでようやく顔を上げた。


何かが、引っかかる。


書類を持つ手が止まり、思考が一拍遅れて追いつく。


(……待て)


今の会話を、頭の中で反芻する。


非公式の接触。

彼女からの相談。

自分の返答。


「断っていい」

「こちらで処理する」

「気にしなくていい」


――正論だ。

――判断としても、間違っていない。


だが。


(……それで、終わらせていい話だったか?)


胸の奥に、嫌な感触が広がる。


「……あ。」


声にならない声が漏れた。


(やってしまった)


椅子に座り、額に手を当てる。


――疲れている。

――考えることが多すぎる。

――一人で抱えすぎている。


全部、言い訳だ。


(……彼女、ああいう時、どう思うか)


王宮仕込みの距離感。

線を引く癖。

感情を表に出さない態度。


だからこそ。


(余計なことは言わない人間だ)


でも、それは――

何も感じていない、という意味じゃない。


ルーカスは、勢いよく立ち上がった。


「……くそ。」


外套を掴み、執務室を出る。


追いかけながら、ようやく自覚する。


これは、部下の管理じゃない。

危機対応でもない。


(……傷つけた)


しかも、無自覚に。


その事実が、遅れて胸に刺さった。

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