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信用が引き上げられる

王宮の執務棟は、いつもより静かだった。


人の数は変わらない。

書類も、仕事も、確実に回っている。


それでも――

どこか、音が死んでいる。


「……また、ですか。」


書記官が低く呟き、封蝋を切った。


差出人は、北方交易同盟。

昨日も届いた名前だ。


内容は短い。


近年の王国側の体制変更を鑑み、当面の新規交渉は一時凍結とする。

既存案件についても、再評価の必要があると判断した。


怒りも、非難もない。

ただ、決定事項だけが並んでいる。


「……凍結、ですか。」


別の書記官が、思わず声を落とす。


「拒否、ではない。」


宰相が淡々と訂正した。


「だが――進まない。」


それが、何より厄介だった。


拒否なら、交渉できる。

抗議も、釈明も、使える。


だがこれは、“相手にされていない”。


机の上には、同じ調子の書簡が重なっていた。


南方海運連盟。

内陸三邦協議会。

諜報網で知られる小国からの、極端に事務的な通知。


どれも、言葉は丁寧だ。

だが共通している。


従来の信頼関係を前提としない

新たな検討が必要である


「……信頼関係を、前提としない、か」


宰相は、紙を置いた。


その言葉の意味を、

ここにいる全員が理解していた。


第三王女エルフリーデがいた頃、

これらの国々は――

説明を聞きに来ていた。


疑問があれば、話した。

不満があれば、調整した。

不安があれば、時間をかけて解いた。


今は。


誰も、話をしに来ない。


ただ、距離を取る。


「殿下の視察報告は……?」


誰かが、恐る恐る口にした。


宰相は、一瞬だけ目を伏せる。


「……読んだ。」


市場は活気があった。

街道は整備されていた。


問題は、ない。

書類上は。


「だが。」


宰相は、そこで言葉を切った。


「どこで誰の声を聞いたのかが、一切ない。」


沈黙。


視察とは、見ることではない。

聞くことだ。


誰が困っているのか。

誰が黙っているのか。

どこで話が詰まっているのか。


それを拾えなければ、

どれほど歩こうと、意味はない。


「……第三王女殿下は。」


宰相が、ぽつりと言った。


誰も続きを促さない。


「交渉官ではなかった。」


一拍。


「信用そのものだった。」


その言葉が、室内に沈んだ。


理解した時には、もう遅い。

外交とは、そういうものだ。



同日。

別の執務室。


年配の補佐官が、書簡の山を見つめていた。

彼は長く、王宮の裏側を回してきた男だ。


「……あの方がいなくなってから」


誰に向けるでもなく、呟く。


「皆、“判断を保留する”ようになった」


決裂はしていない。

だが、前にも進まない。


それは、最悪の兆候だった。


「信用というのは……」


補佐官は、深く息を吐いた。


「築くのは十年、壊すのは、一手だ。」


今回、その“一手”を打ったのが誰か。

彼は、口にしなかった。


机の端に置かれた、古い覚書。


そこには、かつて第三王女が窓口だった国々の名前が並んでいる。


――ほぼ、全て。


補佐官は、目を閉じた。


(……戻せばいい、では済まんぞ)


戻したところで、同じ場所に立てるとは限らない。


外交は、記憶する。


誰が、いつ、何を切り捨てたかを。


王宮はまだ、

“失った”とは認識していない。


だが――

外の世界は、もう判断を下していた。


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