出立
夜が明けて間もなく。
エルフリーデは、執務棟から王の間へ向かう途中で、呼び止められた。
「エルフリーデ様。こちらへ」
案内されたのは、王宮の裏手にある小さな詰所だった。
石造りの簡素な部屋。
机と長椅子、それに――
罪人や解任された者に対して行われる持ち物確認用の台。
「……確認、ですか?」
「規定です」
近衛兵はそれ以上の説明をしなかった。
エルフリーデは黙って頷き、革袋を机の上に置く。
中から出てきたのは、わずかな私物と――
昨夜、一晩かけて書き上げた引き継ぎ書の束だった。
侍女がそれを手に取り、眉をひそめる。
「……書類?」
「引き継ぎ用です」
答えた声は、掠れていた。
「誰がどの案件を――」
「不要です」
言葉は、途中で遮られた。
「あなたは本日付で王籍剥奪。王宮の業務に関わる書類を持ち出す権限はありません」
侍女はそう言って、紙束を机の端に寄せる。
そこには、夜明け前まで必死に書いた文字があった。
注意点も、期限も、癖のある貴族の名前も。
――全部。
「……これは、王宮のために」
「だからこそ、です」
近衛兵が淡々と続ける。
「没収します」
紙束は、そのまままとめて回収箱に入れられた。
扱いは、丁寧でも乱暴でもない。
ただの処理だった。
「他に、貴重品は?」
「ありません」
事実だった。
宝石類は支給制。
ドレスは使い回し。
個人的に持てるものなど、最初から多くはない。
「……王女にしては、随分少ないのね」
侍女が呟く。
エルフリーデは、何も答えなかった。
少ないのではない。
最初から与えられていなかっただけだ。
最後に確認されたのは、身につけているものだった。
淡い灰青色のドレス。
ほつれた袖口。
手袋で隠した指先。
「その手袋、外しなさい」
言われるまま外すと、
包帯を巻いた指が露わになる。
爪の割れた跡。
滲んだ血の名残。
侍女は一瞬だけ目を細めたが、すぐに興味を失った。
「……問題なし」
それだけ告げて、手袋を返す。
「以上です。門まで案内します」
エルフリーデは、もう何も言わなかった。
昨夜書いた引き継ぎ書のことも、あの一晩のことも、誰にも説明する気はなかった。
どうせ――
必要とされていないのだから。
王宮の外へ続く回廊を歩きながら、
ふと、思う。
――あれだけ書いたのに。
――一晩、命を削ったのに。
それでも、この国は平然と、
自分を追い出す。
門の前で、近衛兵が足を止める。
「これで終わりだ」
背を向けられる。
エルフリーデは、王宮を振り返らなかった。
引き継ぎ書も、役目も、期待も――
すべて、あの箱の中に置いてきた。




