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幕間 視察という名の

地方都市ベルクハイム。


第一王子レオナルト一行が到着した街は、よく整えられていた。

正確には、来賓の目に入る範囲だけが。


通りには花が並び、旗が掲げられ、人々は決められた位置で拍手を送る。

準備は万端だった。

少なくとも、表向きには。


「いやあ、いい天気だな」


馬車を降りるなり、レオナルトは大きく伸びをした。

その腕に、婚約者ミレーネが気だるそうに腕を絡める。


「……ほんと。暑くも寒くもなくて、ちょうどいいわね」


視線は街ではなく、彼の横顔に向いていた。


「視察日和だ」


「そうねえ。せっかく来たんだもの、楽しまないともったいないわ」


二人は自然に顔を寄せ合い、低く笑う。


それを取り囲む地方貴族や役人たちは、笑顔のまま言葉を失っていた。


――始まったな。


誰も口には出さない。

だが全員が、同じ予感を抱いていた。



「まずは市場をご覧ください」


案内役の代官がそう告げると、レオナルトは大きく頷いた。


「うむ。民の生活を見るのは大事だからな」


だが、その視線はすでに別のものを追っていた。


「ミレーネ、あの果物、色が綺麗じゃないか?」


「ええ……見た目は悪くないわね」


興味なさそうに言いながら、彼女は屋台に近づく。


「これ、甘いの?」


「は、はい。今が旬で――」


「じゃあ、それ一つ。殿下、取って」


当然のように言って、レオナルトに押し付ける。


「ほら、こういうのも“視察”でしょう?」


「確かに」


二人は楽しそうに笑った。


市場には問題が山ほどあった。

関税改定で揉めている商人。

許可が下りずに困っている職人。

倉庫が止まり、期限に追われている運送業者。


だが、王子と婚約者の目に映るのは――


「……甘いわね」


「だろう?」


「うん。悪くない」


それだけだった。



次は街道の視察だった。


馬車での移動中、ミレーネは窓の外を眺めながら、欠伸を一つ。


「景色は綺麗だけど……ちょっと退屈ね」


「あとで休憩を挟もう」


「そうして。こういう細かい話、よく分からないし」


街道の補修状況。

橋の老朽化。

冬前に崩れかけている斜面。


それらは、会話に上ることすらなかった。


「街道も、特に問題なさそうだな」


レオナルトが満足げに言う。


「そうね。だって、こうして馬車も揺れてないもの」


根拠は、それだけだった。



夕刻。


宿舎に戻れば、本来なら報告の時間になる。

――はずだった。


「この部屋、思ったより広いわね」


ミレーネは椅子に腰を下ろし、靴を脱ぎ捨てる。


「移動で疲れたわ。今日はもういいでしょう?」


「そうだな。無理は良くない」


机の上に置かれた報告書は、ほとんど白紙だった。


市場は活気があった。

街道は整備されていた。


それだけ。


「殿下、念のため、関税の件と――」


「難しい話は、王宮に戻ってからでいいわ」


ミレーネが先に口を挟んだ。


「ここで詰めたところで、どうせ誰かが後で整えるんでしょう?」


その“誰か”の名前は、もう王宮にはない。



夜。


「今日の視察も楽しかったな」


レオナルトが言う。


「そうね」


ミレーネは、満足そうに微笑んだ。


「ちゃんと見て、ちゃんと来た、って気分になるもの」


二人とも、本気だった。


だが本来なら、どこで立ち止まり、誰の話を聞き、何を拾わなければならないか。


すべて、第三王女エルフリーデが整えていた。


遊んでいても、観光していても、

その裏で、仕事は終わっていた。


今は、それがない。


数週間後。

この「視察」で見落とされた問題が、まとめて王宮に届く。


その時になって、ようやく理解する。


――あれは視察ではなかった。

ただの、仲良し観光だったのだと。


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