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無駄のない

扉の向こうは、思っていたよりも静かだった。


広い。

だが、無駄な装飾はない。


石造りの廊下に、規則正しく並ぶ扉。

壁際には書架が据えられ、分類札がきっちり付けられている。


人の気配は、確かにある。


だが――

誰も、立ち止まっていない。


行き交う人々は、足早だ。

書類を抱え、低い声で短い指示を交わし、そのまま分かれていく。


「確認済み」

「差分だけ回して」

「午後に差し替え」


どれも、説明が省かれている。

だが、混乱はない。


――分かってる人間同士の会話。


エルフリーデは、無意識に背筋を伸ばした。


王宮の執務棟とも、商会の支部とも違う。

ここには、「様子を見る」空気がない。


やるか、やらないか。

それだけだ。


「怖い?」


隣を歩くルーカスが、軽く聞いた。


「……いえ」


正直な答えだった。


「忙しいだけですね」


ルーカスは、少しだけ笑う。


「正解。ここでは、誰かを威圧する暇があったら、仕事を一つ終わらせる」


廊下の先、扉の一つが開き、女性が顔を出す。


「ルーカス様、例の港湾案件、修正版来てます。」


「ありがとう。後で見る」


それだけ。


女性はエルフリーデを一瞬だけ見て、軽く会釈した。


値踏みでも、警戒でもない。

ただの確認。


――新しい人か。


それ以上でも、それ以下でもない。


「……何も言われませんね」


思わず、そう漏らす。


ルーカスは肩をすくめた。


「言う必要がないからね。君が何者かは、仕事を見れば分かる」


歩きながら、続ける。


「逆に言うと、ここでは肩書きも噂も意味がない。役に立つかどうか、それだけ」


エルフリーデは、胸の奥で、小さく息を吐いた。


楽だ。

少なくとも、探られない。


一つの部屋の前で、ルーカスが足を止めた。


中からは、紙を捲る音と、低い議論の声が聞こえる。


「ここが、君の席だ」


扉を開ける。


中は、執務室だった。

大机がいくつも並び、それぞれに人が一人ずつ座っている。


誰も、顔を上げない。


ただ一人、奥の席の男が、ちらりと視線を向けた。


「……新しい人?」


「そう」


ルーカスは短く答える。


「正式雇用だ」


一瞬だけ、空気が止まる。


男はエルフリーデを見て、それからルーカスを見た。


「……了解」


それだけ言って、視線を戻した。


歓迎の言葉も、疑問もない。


だが――

拒絶もない。


「座って」


ルーカスが、空いている机を示す。


「今日はいきなり投げ込まない。まずは流れを見て」


エルフリーデは、静かに頷いた。


椅子に腰を下ろす。

机の上には、すでに書類が整えられている。


誰かが、用意した。


「……気を遣われてますね」


「当然だよ」


ルーカスは即答した。


「ここは、人を使い潰す場所じゃない。回らない構造は、最初から作らない」


その言葉を聞きながら、エルフリーデは、ゆっくりと周囲を見渡した。


忙しい。

余裕はない。

だが――


誰も、他人を踏み台にしていない。


「……悪くないですね」


ぽつりと、そう呟いた。


ルーカスは、それを聞いて、ほんの少しだけ笑った。


「そう言ってもらえたなら、連れてきた甲斐がある」


本部の空気は、相変わらず忙しい。


だが、エルフリーデの胸の奥には、王宮では一度も感じたことのない感覚があった。


――ここでは、消えない。


それだけで、十分だった。


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