本部
馬車を降りた先にあったのは、港町の喧騒から少し離れた、石造りの建物だった。
派手さはない。
だが、入口の造りは無駄がなく、警備の視線も自然に配置されている。
――事務所というより、役所に近い。
エルフリーデがそう感じた瞬間、隣を歩いていたルーカスが足を止めた。
「ようこそ」
扉に手をかけながら、軽く振り返る。
「連合商務調整局本部へ。」
一瞬、言葉の意味が頭を通り過ぎる。
エルフリーデは、思わず立ち止まった。
視線が建物と、ルーカスの顔を往復する。
「え、あの……」
躊躇いが、声に滲む。
「……連合、って」
エルフリーデは、建物を見上げながら、慎重に言葉を選んだ。
「王宮で聞いたことはありますけど……確か、商会同士の取りまとめ役、ですよね。」
完全な理解じゃない。
でも、全くの無知でもない。
ルーカスは、その言い方に少しだけ目を細めた。
「半分正解。」
歩きながら続ける。
「商会同士だけじゃない。国と商会、国と国、その“間”に立つ場所だ。」
一拍。
「契約は合法。でも、そのまま通すと後で戦争の火種になる。そういう案件を、戦争になる前に潰す。」
さらっと、とんでもないことを言う。
エルフリーデは、思わず歩く速度を緩めた。
「……それ、商会の仕事ですか?」
「商会“だけ”の仕事じゃないね。」
ルーカスは振り返らずに答える。
「だから、商会連合なんだ。」
ルーカスは、そのまま歩を進めた。
「君が最初に入った支部はね。」
建物の影に入る。
外の喧騒が、ふっと遠のいた。
「表向きは“商会の事務所”だよ。募集も、契約も、全部その名義で出している。」
エルフリーデは、眉を寄せる。
「……表向き、ということは。」
「連合は、前に出る組織じゃない。」
ルーカスはようやく振り返った。
「利害が絡みすぎてる。国も、商会も、名前が出た瞬間に警戒する。」
一拍。
「だから、入口はいつも“商会の仕事”なんだ。」
その言葉で、ようやく腑に落ちた。
あの掲示板。
短期、帳簿整理、商会事務。
誰が見ても、ただの裏方募集だった。
「……じゃあ、私がやっていたのは。」
「入口の仕事。」
即答だった。
「連合に持ち込まれる前段階。現場で詰まりそうな案件を、まず“匂い”で選別する場所だ。」
エルフリーデは、思わず息を整えた。
「でも」
声が、少しだけ低くなる。
「普通は、そこから本部には上げない。処理係として終わる。」
ルーカスは、扉の前で足を止めた。
「君が拾ったのは、支部の人員では“処理できる問題”じゃなかった。」
静かな声だった。
「そんな人材を支部で燻らせるつもりは、僕にはない。」
扉に手をかける。
「だから、本部だ。」
押し付ける調子はない。
当然の判断だと言わんばかりだった。
エルフリーデは、無意識に自分の手を見下ろした。
帳簿をめくっていた手。
余白に、短い言葉を書き続けていた手。
「……私は、商会の仕事をしに来たつもりでした。」
正直な言葉だった。
ルーカスは、ほんの少しだけ笑った。
「間違ってない。」
扉を開けながら、言う。
「商いは、戦争より静かで、ずっと残酷だ。」
一拍。
「だから、ここでは“商会の延長”として扱う。国の名前も、立場も、いったん置く。」
扉の向こうには、静かな廊下が伸びていた。
人の気配はあるが、声は低く、動きは整っている。
「ようこそ、エルフリーデ。」
ルーカスは、改めて言った。
「ここが、本当の職場だ。」




