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幕間 最悪のお茶会

王宮南庭。


白い天蓋は張られていた。

だが、布は薄く、風に煽られてぱたぱたと落ち着かない音を立てている。


柱に巻かれた花輪は、左右で種類が違った。

片方は瑞々しい初夏の花、もう片方は昨日切ったのか、縁がわずかに乾いている。


――ああ、揃えていない。


以前の茶会なら、色味、花言葉、季節感まで合わせていたはずだ。

その“基準”を知る者だけが、ここに違和感を覚える。


テーブルクロスは白。

だが、折り目が甘く、端が石畳に触れている。


銀器は磨かれているが、配置が雑だ。

ティーポットと菓子皿の距離が近すぎる。

サーブする動線を、誰も考えていない。


音楽もそうだ。


演奏は流れている。

だが、弦が少し合っていない。


耳に不快ではない。

だが、「気を配っていない」ことだけは、はっきり伝わる。


貴族たちは微笑んでいた。

最初は。


だが、席に着いた瞬間、空気が変わった。


視線の向き。

肘が触れる距離。

扇子を開く角度。


――配置が、最悪だ。


ヴィルヘルム伯爵夫人は、自分の席の向かいに座る令嬢を見て、扇子の影で口元を引きつらせた。


向かいにいるのは、ラウレンツ子爵家の令嬢。

つい先月、伯爵家の交易権に横槍を入れた家だ。


本来なら、「同席させない」か「間に緩衝役を挟む」か、最低でも視線がぶつからない配置にする。


――それをやっていたのが、第三王女だった。


しかし今日は、ただの名簿順に椅子が並べられていた。


「……素敵なお庭ですこと」


伯爵夫人の声は甘い。

だが、その甘さは毒の甘さだった。


ラウレンツ令嬢は笑う。


「ええ、“お忙しい”第一王女殿下のお手配ですものね」


“忙しい”のところだけ妙に強調された。


周囲の貴族たちが、にこにこしながらも視線を泳がせる。

茶会の空気は、一気に“戦場”になる。


そこへ、菓子が運ばれてくる。


蜂蜜と木の実の焼き菓子。

香りは良い。

だが、問題は香りではない。


エーデル男爵令嬢が、皿を見た瞬間、わずかに瞬きをした。


彼女は木の実が体質に合わない。

社交界では周知の事実だ。


以前は、必ず代替菓子が用意されていた。


今日は――ない。


令嬢は一瞬だけ迷い、それから、無理に笑って一口かじった。

地位の低い男爵令嬢が、王女の菓子に手をつけないのは無礼に当たる。

断れば「我儘」と言われる立場だと、彼女自身が一番よく分かっていた。


数秒後。


椅子が軋み、身体が前に崩れた。


「……っ」


息が詰まる音。

ざわめき。

メイドが駆け寄るが、動きが遅い。


指示役がいない。


「何をしているの、早く!」


第一王女セラフィーナの声が飛ぶ。


だが、その声に統率はない。

怒鳴っているだけだ。


倒れた令嬢を運ぶ途中、スープが零れ、ドレスを汚す。

母親の悲鳴が上がる。


「うちの娘に何を……!」


完全に、場が壊れた。


それでも、茶会は続けられた。


――いや、続け“させられた”。


贈答品が配られる。


アーレン侯爵家に渡されたのは、紫のリボンがついた香油。

紫は弔意の色で、侯爵家では禁忌に近い。


しかも香りが、侯爵夫人が嫌う“甘い百合系”。


夫人の笑顔が、完璧に凍った。


「まあ……お心遣い、痛み入りますわ」


言葉は丁寧。

だが、その場にいる全員が察した。


微笑みは完璧だった。

だが、その完璧さは、後で何かが起きる予告でもあった。


崩壊を決定づけたのは、第一王女本人の一言だった。


「そういえば、北部の治水工事の遅れ、まだ解決していないんですって?」


よりにもよって、その話題。


北部治水は、今まさに責任の押し付け合いで揉めている最中。

ここで触れれば、利害関係者が必ず噛みつく。


そして噛みついた。


北部の代表格であるグラン男爵が、笑顔のまま言う。


「遅れは“王宮の決裁待ち”ですが?」


その瞬間、隣の会計局寄りの貴族が即座に返す。


「決裁の前に、見積が二度変わっていますのよ。あなた方の提出が――」


対面に座る貴族が割って入る。


「そもそも土木局の監督が――」


笑顔のまま、言葉が刃になる。

茶会が、公開処刑会場になる。


セラフィーナは顔を引きつらせた。


「……な、何をそんなに熱くなっているの? 今日はお茶会よ?」


その一言で、“王女は何も分かっていない”事が確定した。


茶会が終わり、セラフィーナはメイドと文官を呼びつけ、庭園の隅で怒鳴った。


「どうしてこうなるのよ!! あなた達、何をやっていたの!!」


文官は震えながら答える。


「……本来、席順や相性、贈答品の禁忌、食事制限の確認は――」


「はっきり言いなさい。」


「……第三王女殿下が、すべて……」


一瞬の静寂。


セラフィーナは扇子を開き、冷たく言った。


「雑務を一人に任せきりにするから、こうなるのよ。管理できなかった“周り”の責任でしょう?」


責任を押し付け、自分の手は汚さない。


茶会は“表向き”は無事に終わった。


だが、その日の夕刻。

王宮には、封を閉じた抗議文が次々届く。


「不快だった」

「軽んじられた」

「今後の関係を再考する」


そして、誰も気づかない。


――本来なら、ここから先の火消しまで、全部エルフリーデがやっていたことに。



王都の別の屋敷。


「聞かれました? 今日の第一王女様のお茶会。」


「第一王女の茶会で、令嬢が倒れたことは知っていまして?」


「あのヴィルヘルム伯爵夫人とラウレンツ子爵令嬢を同じ席にされたそうよ、信じられます? 犬猿の仲で有名なお二人よ。」


「贈答品に紫のリボンを使われたんですって。」


噂は、早い。


馬車の中で。

化粧室で。

夜会の準備室で。


「……第三王女がいなくなってから、よね」


誰かが、ぽつりと言った。


否定する者はいなかった。


王宮の茶会は、

その日を境に――


「行く価値がある場」ではなくなった。


そして、社交界は正直だ。


価値のない場からは、

人も、情報も、金も、離れていく。


王宮は、まだ豪奢だ。


だが――

中身から、確実に崩れ始めていた。


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