友人と招待状
その茶会は、ひどく穏やかな形で始まった。
場所は、王都の中でも比較的落ち着いた地区にある、マグダレーナの私邸だった。
石造りの門は低く、衛兵の姿も目立たない。
通りから一歩奥へ入ると、街の音がふっと遠のき、
風に揺れる庭木の葉擦れだけが、静かに耳に残る。
屋敷そのものは、華美ではない。
だが、手入れの行き届いた前庭と、柔らかな色合いの外壁から、
この場所が長く人を迎え入れてきた私的な空間であることが、自然と伝わってくる。
エルフリーデは、馬車を降りたところで、そっと背筋を正した。
(……落ち着いた場所)
王宮とも、公的な迎賓館とも違う。
空気が張りつめていない分、かえって身の置き方に迷う。
門をくぐると、すでに数人の女性が集まっていた。
装いは控えめだが、布の質や仕立てに一切の妥協がない。
声を潜めて談笑する様子からも、互いに気心が知れていることが伝わってくる。
その中の一人が、エルフリーデに気づいて視線を向けた。
柔らかな色合いのドレスをまとった伯爵令嬢だった。
年齢は少し上だろうか。
表情に探る色はなく、そこにあるのは自然な関心だけだ。
エルフリーデは、一瞬だけ呼吸を整える。
――先に、名乗らなければ。
「ご機嫌よう」
声は落ち着いていたが、ほんのわずかな緊張が滲む。
「シュトラール公爵家の
エルフリーデ・フォン・シュトラールと申します」
深すぎず、浅すぎない礼。
伯爵令嬢は、驚いたように目を瞬かせてから、すぐに柔らかく微笑んだ。
同じように一礼する。
「ヴェルナー伯爵家の
クラウディア・フォン・ヴェルナーと申します。
本日はお会いできて光栄です」
名乗り方は簡潔で、声音も穏やかだった。
やがて、マグダレーナが軽く扇を鳴らす。
「では」
場の中心に立つでもなく、朗らかに。
「今日は難しい話は抜きにしましょう。
せっかくのお茶なんですもの」
命令ではない。
だが、その一言で、場の空気がふっと緩んだ。
テーブルには、淡い色合いの茶器が並ぶ。
金細工も家紋も控えめで、主張しすぎない。
焼き菓子は小ぶりで、香りだけがほのかに立っていた。
誰かを引き立てるための場ではない。
ただ、同じ時間を共有するための用意だった。
会話は、自然と流れ始める。
最近の王都の空気。
職人街で評判の菓子屋。
季節の変わり目に飲む茶の話。
「このお茶……フローレンティアのものですね」
エルフリーデがそう言うと、向かいの令嬢がぱっと表情を明るくした。
「分かりますか?」
少し声を弾ませて続ける。
「マグダレーナ殿下が用意してくださったものなんです。
癖が少なくて、飲みやすいでしょう」
言葉を交わすうちに、
エルフリーデは、自分が“聞くだけの側”ではなくなっていることに気づく。
返事をし、問い返し、少しだけ笑う。
(……話している)
無理をしていない。
役割を演じている感覚もない。
途中で、マグダレーナが自然に席を外した。
誰も不思議に思わないほど、さりげない動きだった。
その直後、クラウディアがエルフリーデに向き直る。
「もしよろしければ」
声を落として。
「今度、美術商を覗きに行きませんか。
一人だと、どうしても長居してしまって」
理由は、それだけだった。
エルフリーデは、一瞬だけ迷う。
だが、その迷いは、断るためのものではない。
「……ぜひ」
そう答えると、クラウディアの表情が、ほっと緩んだ。
それで、十分だった。
(……友人)
その言葉が、胸の奥で静かに形になる。
茶会が終わる頃には、
いくつかの名前と、いくつかの約束が自然に交わされていた。
誓いも、特別な言葉もない。
だが、確かに――一人ではなくなっている。
イレーネは、最後まで多くを語らなかった。
ただ、その様子を静かに見守る横顔には、
確かな安堵が滲んでいた。
※
屋敷に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
心地よい疲れが残っている。
だが、それは緊張から解放された後のものだ。
玄関で外套を預けると、使用人が一歩前に出る。
「お帰りなさいませ。
こちらを」
差し出されたのは、一通の封書だった。
厚みのある紙。
だが、王家の紋章ではない。
代わりに刻まれているのは、
複数の国章を組み合わせた、見慣れない印。
エルフリーデは、受け取った瞬間に悟る。
(……これは)
王宮でも、連邦でもない。
もっと大きな枠組みの気配。
「先ほど届いたものです」
使用人の声は、いつも通りだ。
だが、どこか慎重だった。
胸の奥に、先ほどとは違う緊張が、静かに生まれる。
エルフリーデは、封書を胸に抱えたまま、
小さく息を整えた。




