義姉
その知らせは、前日の午後に届いた。
形式ばった書状ではない。
だが、王家の印が添えられた、簡潔な通達だった。
――第二王女マグダレーナ殿下、第三王女イレーネ殿下。
近く王都に入る予定があり、時間が合えば挨拶に伺いたい、とのこと。
エルフリーデは、書面を読み終えてから、しばらく黙っていた。
(……挨拶)
言葉としては穏やかだ。
だが、相手は王族であり、しかも――
(……未来の、義姉様)
そう意識した瞬間、背筋が自然と伸びる。
突然ではない。
事前に知らされている。
それでも、心の準備が万全かと言われれば、そうではなかった。
「形式は気にしなくていい」
書状を渡してきたルーカスは、淡々と言った。
「公的な訪問じゃない。
王女として、じゃなく、家族として来る」
その「家族」という言葉が、かえって緊張を呼ぶ。
「……ですが」
言葉を選びながら、エルフリーデは続けた。
「お迎えの作法や、応対の順は……」
「最低限でいい」
即座に返る声。
「失礼がないことと、君が無理をしないこと。
それだけ守ってくれればいい」
それ以上は、何も言わなかった。
それが、かえって重かった。
※
当日。
屋敷は、朝から静かだった。
使用人たちは動いているが、慌ただしさはない。
玄関ホールには、控えめな花が飾られ、
応接間には、あらかじめ茶の準備が整えられている。
すべて、仰々しくならない範囲で。
エルフリーデは、鏡の前でドレスの留め具を確かめた。
派手ではない。
だが、官僚として、貴族として、失礼にならない装い。
(……大丈夫)
そう自分に言い聞かせている時点で、少し緊張している。
やがて、馬車の音が門の外で止まった。
使用人の足音。
低く抑えられた声。
「殿下方が到着されました」
エルフリーデは、一度だけ深く息を吸い、玄関へ向かう。
扉が開く。
最初に目に入ったのは、鮮やかな色合いのドレスだった。
「ご機嫌よう」
明るい声。
扇を手にした女性が、軽く首を傾げる。
「あなたが、エルフリーデね?」
第二王女――
マグダレーナ・フォン・レクシア・エーデルヴァイン。
思っていたよりも、ずっと近い距離感だった。
「初めまして」
エルフリーデは、一礼する。
深すぎず、浅すぎず。
王族に対する、正しい礼。
「お越しいただき、光栄です」
「そんな堅くならなくていいわ」
マグダレーナは、扇を軽く振った。
「今日は“様子を見に来ただけ”なんだから」
その言い方に、悪意はない。
隣に立つ、もう一人の女性が一歩前に出る。
「初めまして」
落ち着いた声音。
「イレーネです。堅苦しい挨拶は省きましょう」
第三王女――
イレーネ・フォン・レクシア・エーデルヴァイン。
感情を表に出さない。
だが、視線はよく周囲を見ている。
エルフリーデは、二人を応接間へ案内した。
歩調を合わせ、先導しすぎず、遅れすぎず。
(……王族の方を招くのは、久しぶり)
それでも、体は覚えていた。
※
席に着くと、使用人が茶を出す。
マグダレーナは、カップを手に取る前に室内を一瞥した。
「静かな屋敷ね」
評価というより、感想だった。
「連邦の官僚邸だと、もっと堅いかと思ってた」
「必要以上の装飾は、避けました」
エルフリーデが答える。
「仮住まいですので」
「仮、ね」
マグダレーナが、意味ありげに繰り返す。
だが、それ以上は掘り下げない。
イレーネが、紅茶を一口含んでから言った。
「落ち着く場所だと思います」
短いが、否定の余地のない言葉。
エルフリーデは、胸の奥で少しだけ力が抜けた。
(……値踏み、されていない)
そう気づいた瞬間、別の緊張が生まれる。
(……でも、見られてはいる)
それは敵意ではない。
もっと近い、家族の視線だった。
マグダレーナが、ふとエルフリーデを見る。
「ねえ」
扇を閉じる。
「ここでの暮らし、困ってない?」
直球だった。
「使用人は、ちゃんとしてる?」
「……はい」
即答できる。
「皆さん、とても気を配ってくださっています」
「そう」
満足そうに頷く。
「じゃあ、次は」
ちらりとイレーネを見る。
「街ね」
エルフリーデが、瞬きをする。
「……街、ですか?」
「ええ」
マグダレーナは、にやりと笑った。
「ルートから聞いたわ。
あなた、買い物とか、あんまりしないでしょう」
否定できない。
「必要なものは、最低限で足りますので……」
イレーネが、淡々と補足する。
「それが、少し心配になっただけです」
責める響きはない。
「生活に“必要”なものと、“あった方がいい”ものは、違います」
エルフリーデは、言葉に詰まる。
(……この人たち)
(……優しい)
マグダレーナが立ち上がる。
「大丈夫」
軽やかに。
「説教しに来たんじゃないわ」
そして、視線を合わせる。
「あなたが、何に心を動かす人なのか。
それを知りたいだけ」
イレーネも、静かに立ち上がった。
「それは、こちらの役目です」
王女としてではなく。
義姉として。
エルフリーデは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ありがとうございます」
自然と、そう言っていた。
(これが、未来の――)
(……姉様たち、か)
緊張は、まだ消えない。
だが、その奥で、
確かな安心が、静かに芽生え始めていた。




