搬入
家具が運び込まれたのは、昼前だった。
屋敷の門の前に止まった荷馬車は一台だけ。
車輪の音も控えめで、石畳に大きく響くことはない。
仮住まいとしては、十分すぎるほど静かな搬入だった。
使用人たちは、慣れた手つきで動いている。
声は低く、互いに目配せをしながら、必要以上の音を立てない。
この屋敷が「一時的な場所」であるという認識が、
まだ全員の中で共有されている動きだった。
エルフリーデは、玄関ホールに立ち、その様子を見ていた。
木箱に書かれた番号。
搬入の順番。
それぞれの箱に添えられた、行き先の部屋名。
どれも、事前に確認した通りだった。
頭の中で描いていた配置と、少しもずれていない。
「まずは執務用の机から入れます」
管理役が、確認するように告げる。
「次に、椅子と棚を」
「お願いします」
返事は、自然に口から出た。
この屋敷のことを、すでに自分の側の事柄として扱っている声音だった。
※
木箱が開けられる。
職人街で嗅いだのと、同じ匂い。
削りたての木の香りと、仕上げの油の匂いが混ざり合う。
机が慎重に運び込まれ、床に下ろされた。
脚の位置が微調整され、天板が水平になるまで、何度か確かめられる。
「……思ったより、広いですね」
エルフリーデが、正直に口にする。
机は、圧迫感がない。
それでいて、資料を広げても余裕がありそうな奥行きがある。
「余裕を持たせたから」
少し後ろで、ルーカスが答えた。
「資料が増えても対応できる」
仮住まいだと言っていたはずなのに。
増える前提で考えられている言葉だった。
椅子が並べられる。
エルフリーデは、何気なく腰を下ろした。
あの工房で試した時と、変わらない感触。
座面の硬さも、背もたれの角度も、違和感がない。
「……うん」
短い確認の声。
「問題なさそうだね」
ルーカスは、それ以上言わなかった。
だが、その椅子が「彼女の席」であることを、
最初から決まっていたかのように扱っている。
※
棚が入る。
今まで壁だけだった場所に、影が生まれる。
空間に、奥行きが加わった。
「ここに、書類を」
エルフリーデが、指先で位置を示す。
「分類は、後で決めよう」
「はい」
まるで打ち合わせのようなやり取りだった。
だが、声の調子はどこか柔らかい。
仕事の話ではある。
けれど、それは同時に、生活の準備でもあった。
※
最後に運び込まれたのは、食堂用の長椅子だった。
背もたれは低めで、主張しない形。
だが、座れば自然と姿勢が落ち着きそうな造りだ。
「こちらは仮で置かせていただきます」
管理役がそう告げる。
「ええ」
まだ、使う予定はない。
それでも、家具が置かれただけで、部屋の印象は変わった。
空間が、用途を持ち始める。
エルフリーデは、しばらくその場に立っていた。
(……始まった)
まだ寝泊まりしていない。
それでも、ここはもう「空の屋敷」ではなかった。
「どう?」
不意に、ルーカスが声をかける。
「……落ち着きます」
理由を考えるより先に、言葉が出た。
「それなら、よかった」
評価も、感想も重ねない。
だが、その一言で十分だった。
※
昼過ぎ。
搬入が終わり、屋敷は再び静かになった。
まだ使われていない部屋は多い。
それでも、いくつかの空間には、確かに「生活の形」が置かれている。
机。
椅子。
棚。
どれも、仮のはずなのに、雑に扱われていない。
エルフリーデは、窓を開けた。
風が入り込み、木の匂いを少しずつ薄めていく。
外の音が、ようやく屋敷の中に届いた。
「……本当に、仮なんでしょうか」
思わず、零れた言葉。
ルーカスは、少し考えてから答える。
「仮だよ」
否定はしない。
「でも、仮でも」
視線を、室内に巡らせる。
「雑に扱う理由はない」
エルフリーデは、小さく笑った。
「……そうですね」
選んだ家具。
選んだ屋敷。
それらが、形になって並んでいる。
この日、屋敷はようやく――
「住む場所」になり始めていた。




