新調
屋敷を決めてから、数日が経っていた。
急ぎの手続きと最低限の調整を終え、この日は、久しぶりに予定の入っていない一日だった。
仕事のない日。
視察でも、交渉でもない。
仮住まいとはいえ、空の屋敷のままでは、生活は始まらない。
だから二人は、連合商務調整局から少し離れた王都の職人街を訪れていた。
王都の職人街は、昼でも比較的静かだった。
通りを覆う建物の影が深く、直射日光は石畳の一部にしか落ちていない。
通りに面した工房の奥から、木を削る音が一定のリズムで聞こえてくる。
鋸が引かれる乾いた音。
鉋が滑る低い摩擦音。
それらが重なっても、不思議とうるさくはなかった。
空気には、削りたての木の匂いが混じっている。
乾いた樹皮と、油を含んだ古木の香り。
「この辺りなら、質は保証できる」
ルーカスがそう言って、自然に歩調を緩めた。
人通りの少ない通りを選びながら、視線は工房の看板と扉の造りを確かめている。
「連邦向けの納入実績もある。派手さはないけど、長く使える」
完全に仕事口調だった。
評価基準が、見た目ではなく耐用年数に寄っている。
エルフリーデは、並んで歩きながら周囲を見回す。
軒先に立てかけられた板材。
乾燥中の椅子脚。
削り屑を集めた木箱。
「……家具を見るの、久しぶりです」
少し考えてから出た言葉だった。
「そうなの?」
「王宮のものは、選ぶものじゃなかったので」
言い方は淡々としている。
懐かしむでも、嫌悪するでもない。
ただ事実を述べている声音だった。
ルーカスは、それ以上を聞かなかった。
視線を彼女から外し、一軒の工房の前で足を止める。
「じゃあ今日は」
扉に手をかけながら、少しだけ調子を和らげて言う。
「選ぶ練習だね」
※
工房の中は、外よりも空気が濃かった。
木の匂いが、はっきりと鼻に残る。
壁際には椅子が並び、奥には机と棚、天井近くには未完成の部材が吊るされている。
どれも実用を重視した造りで、装飾は最低限。
線は直線的で、角は丁寧に落とされていた。
「こちらは官僚邸向けの標準品です」
店主が、布で手を拭きながら説明する。
「耐久性優先でして。十年は持ちます」
「十分だ」
ルーカスは、考える間もなく答えた。
エルフリーデは、並べられた椅子の一つに視線を向ける。
少し迷ってから、手を伸ばした。
「……座っても?」
「もちろんでございます」
一脚、腰掛ける。
背もたれに体重を預け、座面の沈みを確かめる。
床との接地感も、無意識に確認していた。
「……悪くないですね」
「硬すぎない?」
横から、ルーカスが覗き込むように聞く。
「長時間座るなら、このくらいがいいです」
「なるほど」
彼は、同じ椅子に軽く腰を下ろした。
背もたれに寄りかかり、短く姿勢を預ける。
「確かに。書類仕事向きだ」
理由をつけるのが、やけに早い。
店主が、わずかに口元を緩めた。
「こちらで決まりですか?」
「ええ、あとは数量だけ」
エルフリーデが、小さく目を瞬かせる。
「……今の、私の感想で決めたんですか」
「君が使う可能性が高い」
何でもないことのように言う。
「合理的だろ」
その言葉は、少しだけ端的すぎた。
*
棚や机を見て回る。
指で縁を叩いて、音を確かめる。
引き出しを開け、滑りを確認する。
「これは、少し重いですね」
「でも安定してる」
「移動させにくそうです」
「じゃあ却下」
判断は、迷いなく切り替わる。
エルフリーデは、思わず小さく笑った。
「……決断、迷いませんね」
「迷う場面じゃないから」
さらりと。
「生活に必要なものは、早く決めた方がいい」
完全に、住む前提の言い方だった。
本人は、気づいていない。
※
奥へ進むと、少し大きめの家具が並んでいた。
寝台。
長椅子。
肘掛け付きの、広いソファ。
店主が一つを指す。
「こちらは、ご夫婦向けでして」
空気が、わずかに変わる。
エルフリーデは何も言わない。
ただ、視線だけが一瞬泳いだ。
ルーカスは、そのまま近づいた。
「……寸法は?」
「標準より広めです」
「屋敷の間取りなら、問題ないな」
声音は、終始変わらない。
エルフリーデが、横から小さく言う。
「……置く、前提なんですね」
「選択肢として、ね」
視線を逸らさず答える。
「使わなくても、困らない」
理屈は通っている。
だが、必要以上に先を見ている。
店主が察したように、軽く咳払いをした。
「では、他にもご覧になりますか?」
「今日はここまでで」
ルーカスが言った。
「必要な分は揃った」
*
店を出ると、昼の光が一気に視界に入った。
石畳に反射した明るさに、エルフリーデは一瞬目を細める。
歩きながら、ぽつりと言った。
「不思議ですね」
「なにが?」
「まだ住んでもいないのに、もう生活の話をしていました」
ルーカスは、少しだけ考える。
通りの先を見ながら、穏やかに笑った。
「順番の問題だよ。君が選んだ場所なら、後から理由はいくらでもつく」
言い方は軽い。
だが、その前提は揺らがない。
エルフリーデは、静かに息を吐いた。
「……そうかもしれません」
二人の歩幅は、自然と揃っていた。
それが、ただの買い物だったのか。
それとも――
未来を確かめる時間だったのか。
少なくとも、どちらも否定できないまま、
二人は屋敷へ戻っていった。




