表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

149/171

朝を迎えるのであれば

連合商務調整局の執務棟から少し離れた屋敷街は、静かだった。

王城ほどではないが、連邦の要職者が住まう区域だ。


外灯は間隔を空けて配置され、

その明かりが石畳に落とす影も、どこか整然としている。


エルフリーデは、ルーカスと並んで歩いていた。


ここ数日は、特別なことは何もない。

仕事も、会議も、すべて日常の延長線上にある。


――それなのに。


何も変わっていないはずなのに、

何かが、確実に変わってしまったという感覚だけが残っていた。


宿舎の門が見えたところで、ルーカスが足を止める。


「エルフリーデ」


名を呼ぶ声は、いつもよりわずかに低い。


彼女も、自然と歩みを止めた。


「……はい」


夜風が、二人の間を静かに通り抜ける。

外套の裾が揺れ、その音だけが短く響いた。


ルーカスは、視線を逸らさないまま口を開く。


「一つ、提案がある」


その言い方は、業務連絡に近い。

だが、内容がそうでないことは、すぐに伝わった。


エルフリーデは、静かに頷く。


「聞かせてください」


ルーカスは、言葉を選ぶために一度だけ呼吸を整えた。


「王位の関係で」


前置きとして、短く切り出す。


「今すぐ正式な婚姻は結べない」


事実を確認するような口調だった。


「兄が即位するまでは、立場が不安定だ。

 僕が婚姻することで、余計な思惑を生む」


慎重に言葉を選んでいるが、逃げてはいない。


少しの沈黙のあと、彼は続けた。


「だから、法的には――

 まだ“何者でもない”状態が続く」


エルフリーデは、その現実を否定しなかった。


「……はい」


分かっている、という静かな返事。


ルーカスは、そこで一歩だけ距離を詰める。


「でも」


声が、ほんの少しだけ柔らいだ。


「生活まで、別である必要はないと思っている」


エルフリーデの指先が、わずかに動く。


「……それは」


「一緒に住まないか」


迷いのない声。


「同じ屋敷で」


甘さはない。

だが、曖昧さもない。


「使用人も、警備も、すでに調整できる。

 連邦側にも、王家側にも、説明はつく形だ」


現実的な説明が、淡々と続く。


「君の立場も守れる。

 僕の立場も、崩れない」


言葉を整理した末、結論が置かれる。


「実質的に、夫婦と変わらない生活になる」


その一文が、夜の空気に静かに落ちた。


エルフリーデは、すぐには答えなかった。


胸の奥で、何かがゆっくりと波打つ。


(……一緒に、生きる)


言葉としては、すでに交わしている。

だが、それを“生活”という形にする話は、また別だった。


「……ルーカス様」


ゆっくりと顔を上げる。


「それは、“仮の居場所”ではありませんか」


試すような問いではない。

ただ、確かめたかった。


ルーカスは、即座に首を振る。


「違う」


短く、はっきりと。


「少なくとも、僕にとっては」


一呼吸置いて、続ける。


「君が“帰る場所”だ」


その言葉には、肩書きがなかった。

王子でも、統括官でもない。


一人の男としての声だった。


「形式が追いついていないだけで、

 僕はもう、君と人生を共有するつもりでいる」


だから、と言葉を重ねる。


「一人で待たせるつもりはない」


エルフリーデは、静かに息を吐いた。

夜の空気が、少し冷たく感じられる。


「……私」


言葉を選ぶための、短い沈黙。


「王女だった頃も、官僚になってからも」


視線を落とす。


「“誰かの決定に住まわされる”ことは、何度もありました」


それを受け止めてから、顔を上げる。


「だから今回は、選びたいです」


ルーカスは、何も言わずに待った。


「一緒に住むなら」


はっきりと告げる。


「私の居場所として、選ばせてください」


ルーカスの表情が、わずかに緩む。


「それでいい」


続けて、確かめるように。


「それがいい」


夜風が、二人の外套を揺らした。


「準備は、急がない」


彼は言う。


「君の仕事の区切りもあるだろうし」


「……はい」


少しの間を置いて、彼は付け加える。


「でも、君が嫌じゃなければ――

 同じ屋敷で朝を迎えたい」


派手な愛の言葉ではない。


それでも。


エルフリーデの胸には、確かに届いた。


「……では」


小さく、微笑む。


「引っ越しの話から、ですね」


ルーカスは、少し困ったように笑った。


「生活の話から始まる婚約も、悪くないだろ」


「……ええ」


夜の連邦は、変わらず静かだった。


だがその静けさの中で、二人はすでに、同じ生活を思い描き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ