確認
昼下がり。
シュトラール公爵邸は、いつもと変わらぬ佇まいだった。
高い塀。
整えられた庭。
静かすぎるほどに統制された空気。
――ここは、感情を預ける場所ではない。
エルフリーデはそのことを理解したまま、応接室へ通されていた。
「どうぞ」
促され、席に着く。
正面にはシュトラール公爵。
書類を手にしているが、視線はすでにこちらに向いている。
「体調は」
形式的な問い。
だが、無関心ではない。
「問題ありません。連邦で業務復帰しています」
「そうか」
それだけで、安否確認は終わった。
――本題は、別だ。
エルフリーデは姿勢を正す。
「本日は、確認のために参りました」
公爵は黙って続きを促す。
「王宮より送付された照会文、その対応についてです」
公爵は、ふっと鼻で息を吐いた。
「ずいぶん丁寧な言い回しだな」
皮肉でも嘲りでもない。
事実としての評価だった。
「拒否すれば、『瑕疵を隠した』『不当な囲い込み』『連邦との癒着』そう整理される可能性がありました」
エルフリーデは、静かに言葉を積む。
「それを避けるため、確認に応じる判断をしました」
ここで、視線を下げる。
「結果として誘拐という形となり、公爵家に対して不当な外交的圧力を生じさせた可能性があります。その点について、当家の判断と立場を、改めて確認したく存じます」
謝罪ではない。
言い訳でもない。
責任の所在を整理するための、確認だった。
公爵は手元の書類を閉じた。
「結論から言う」
即断。
「君の判断は、誤りではない」
エルフリーデの指先が、わずかに動く。
「公爵家としても、あの照会文を拒否し続ければ『不透明な養子縁組』として扱われた」
淡々と、現実を述べる。
「だから我々は、『本人の意思を尊重する』という形で照会に応じる構えを取った。――ただし。」
視線が、鋭くなる。
「“本人確認”を名目に、本人の自由を奪う行為は一線を越えている。」
それは、断罪だった。
「当家は即座に抗議書簡を送付している。」
机の上に、別の書類が置かれる。
「『当家養女エルフリーデ・フォン・シュトラールは、家族法および貴族法の保護下にあり、貴国の一方的拘束は明確な越権行為である』――という内容だ。」
エルフリーデは、静かに息を吸った。
「……ありがとうございます」
公爵は首を横に振る。
「礼は不要だ」
即座に。
「君は当家の名を利用して王宮に身を委ねたわけではない。制度上、正面から来られた以上、確認に応じるのは合理的判断だ。」
つまり――
「今回の件で当家が被った不利益は、アルディア王宮の判断によるものだ。」
はっきりと線を引く。
「君が負うものではない。」
エルフリーデは、少しだけ目を伏せた。
「……それでも。」
声が、わずかに柔らぐ。
「私の存在が、当家を政治的に利用され得る状態にあることは事実です。」
公爵は、微かに口角を上げた。
「今さらだな。」
一言。
「君を養子に迎えた時点で、その程度のリスクは織り込み済みだ。」
それは、突き放しではない。
覚悟の確認だった。
「我々は、君を“守るための家族”ではない。」
だが、と公爵は続けた。
「少なくとも、利用されたまま黙る家でもない。」
エルフリーデは、深く一礼する。
「……その言葉を、確認できて安心しました。」
公爵は立ち上がらないまま言う。
「今回の件は、当家と君、どちらの瑕疵でもない。責任は、線を越えた側にある。」
エルフリーデは一度だけ言葉を切った。
それから、改めて口を開く。
「……もう一点、確認と謝罪を。」
公爵が、視線だけで促す。
「私は、王籍から排除されていたとはいえ、アルディア王国の王女であった事実を当家に明示していませんでした」
淡々と。
感情を挟まず。
「結果として、その情報が王宮側の“正当性の装飾”に利用され、当家を不必要な外交的事案に巻き込む要因となりました。――この点については、判断として不十分だったと認識しています。」
深く、だが形式に沿った一礼。
「ご迷惑をおかけしました。」
空気が、静まる。
公爵はすぐには返事をしなかった。
数秒。
書類に指を置いたまま、考える素振り。
「……確認する」
低い声。
「君は、“自分が王女であること”を武器として使う意図はあったか。」
即答だった。
「ありません。」
視線も逸らさない。
「王籍を離れた以上、それは私の経歴の一部に過ぎないと考えていました。当家との関係は、養子縁組という法的整理以上のものではない、――そう理解していました。」
公爵は短く息を吐いた。
「十分だ。」
即断。
「それなら、“隠した”のではなく、“重要度を低く見積もった”だけだ。」
線引きが、はっきりしている。
「判断の是非はあるが、瑕疵と呼ぶほどではない。」
エルフリーデの肩から、わずかに力が抜ける。
「それに。」
公爵は続ける。
「王女であることを明示していれば、より早く、より露骨に利用されただろう。」
事実として。
「結果論だがな。」
視線が、静かに向けられる。
「今回の件で、当家が取るべき対応はすでに取った。君が謝罪する必要は、これ以上ない。」
それは、許しではない。
業務上の清算完了宣言だった。
エルフリーデは、再度一礼する。
「……承知しました。」
それで、この話題は終わった。
「――ルーカス」
扉へ向かいかけた背に、公爵の声が掛かる。
ルーカスは一度だけ立ち止まった。
「例の件だが」
書類に視線を落としたまま、公爵は言う。
「どこまで進んでいる」
一瞬の沈黙。
ルーカスは、振り返らないまま答えた。
「……まだ、本人には」
それだけで、公爵は理解したように頷いた。
「そうか」
それ以上、問わない。
「なら、急ぐ必要はない」
低い声。
「君の判断でいい」
ルーカスは、小さく息を吐いた。
「承知しています」
それで会話は終わった。
廊下へ出る。
張りつめていたものが、少しだけ緩む。
ルーカスが、自然に隣に並んだ。
「確認、できた?」
「はい」
ルーカスは、短く頷く。
「それなら、いい」
屋敷の門が見える。
エルフリーデは、振り返らなかった。
ここは、戻る場所ではない。
だが――
自分の判断を、否定されない場所だった。
それで、十分だった。
あとはもう、
自分の場所に戻るだけだ。




