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元のまま

朝。


連合商務調整局の執務棟は、いつも通りの時間に動き始めていた。


大きな扉が開き、空気が流れ込む。

紙の匂い。

インクの匂い。

人の気配。


エルフリーデは、その入口に一瞬だけ立ち止まった。


(……久しぶり、ではない)


正確には、数週間ぶりだ。

だが、感覚としては“戻ってきた”というより――


(……座り直す、だけ)


隣を歩くルーカスが、足を止める。


「無理はしない」


念押しのような声。


「分かってます」


即答できた。

それは、以前と変わらない自分だった。


執務室へ入る。


天井の高い大広間。

整然と並ぶ机。

人の数も、動きも、いつも通り。


ざわめきは、起きない。


ただ、一瞬だけ。

視線が集まる。


誰も声をかけない。

誰も立ち上がらない。


――けれど。


「おはようございます」


一人が、自然に言う。


指出し確認をしながらの声。


「おはようございます。」


エルフリーデも、同じ調子で返す。


それで終わりだった。


特別扱いも、遠慮もない。

歓迎の拍手もない。


それが、ひどく安心できた。


自分の席へ向かう。


広い執務室の中でも、

動線の中心に近い位置。


視界が開け、

声が届き、

判断が集まる場所。


机は、きちんと整えられていた。


空ではない。

だが、積まれすぎてもいない。


「……回してくれてたんですね」


小さく、呟く。


ルーカスが、隣で頷く。


「滞らせる理由がないからね」


それだけ。


座る。


椅子の高さも、

机の位置も、

何も変わっていない。


(……変わらない)


それが、こんなにも心強いとは思わなかった。


午前。


持ち込まれる案件は、控えめだった。


事前に調整されている。

明らかに、負荷が管理されている。


「これは、午後でいい」

「これは、明日に回そう」


そう言える環境が、ここにはある。


エルフリーデは、

一つ一つを、丁寧に処理した。


急がない。

詰め込まない。


判断は、鈍っていない。

視界も、狭くなっていない。


(……ちゃんと、できてる)


昼。


簡単な食事を取る。

席を立つことを、誰も咎めない。


午後。


会議は一件だけ。

短時間。

要点のみ。


「今日は、ここまでで」


自分の口から、その言葉が出た。


誰も驚かない。

誰も引き止めない。


「了解しました」


それで、終わる。


夕方。


執務室の空気が、少しずつ緩む。

書類の音が減り、話し声が増える。


エルフリーデは、机の上を整えた。


積み残しは、ない。

無理も、していない。


椅子から立ち上がる。


その瞬間、ふと気づく。


――疲れている。


でも、それは嫌な疲れじゃない。

体がちゃんと使われた後の、健全な重さ。


(……これで、いい)


扉を出ると、ルーカスが待っていた。


「どうだった?」


「……普通でした」


そう答えると、彼は少し笑った。


「それが一番だね」


外は、夕暮れ。


建物の影が伸び、

一日の終わりを告げている。


「明日は?」


「午前だけ、出ます」


迷いなく言えた。


「午後は?」


「様子を見て」


ルーカスは、それ以上聞かなかった。


頷くだけ。


歩き出す。


並んで。


肩書きでも、

過去でもなく。


今日の自分として。


エルフリーデは、胸の奥で思った。


(……戻った)


(……でも、前と同じじゃない)


壊れていない。

削られてもいない。


ただ、

きちんと整え直された場所に、

座り直しただけ。


連邦の夕暮れは、静かだった。


そして。


――ここは、帰ってきていい場所だった。


それを、一日の終わりに、

ようやく、実感できた。

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