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知っていたでしょう

花畑は、宿から少し歩いた先にあった。


丘の緩やかな斜面いっぱいに、

色とりどりの花が咲いている。

背の低いものもあれば、高く伸びたものもある。

名前も知らない花が、風に揺れていた。


観光用に整えられすぎてはいない。

けれど、放置されているわけでもない。


人の手が入っていることは分かる。

ただ、主張しすぎないだけだ。


エルフリーデは、花の間をゆっくり歩いていた。

市場よりも静かで、人影も少ない。


宿に荷物を置いてから、ここへ来た。

鉢植えは、部屋の窓辺に置いてきた。


両手は、空いている。


「……綺麗ですね」


飾らない感想だった。


「うん」


ルーカスは、少し後ろを歩いている。

歩調を合わせているというより、

彼女が止まれば止まり、進めば進む距離。


守るための位置取りではない。

ただ、離れないための距離。


エルフリーデは、しばらく黙って花を見ていた。


白。

淡い紫。

やわらかな黄色。


どれも、強く主張する色ではない。


それでも、確かにそこに在る。


(……ここなら)


そんな考えが、自然と浮かぶ。


足を止める。


風が通り、

花が一斉に揺れた。


「……ルーカス様」


名を呼ぶ声が、少しだけ硬くなる。


「なに?」


即座に返ってくる。

構えのない声音。


エルフリーデは、少し迷ってから口を開いた。


「……私のこと」


少し、間があった。


「王宮に、迎えに来ましたよね」


その言い方は、確認というよりも事実のなぞりだった。

責める響きはない。

ただ、避けて通れない一点を、静かに指で示すような声。


「……あの時点で」


言葉を探すように、視線が花に落ちる。


「私が“王女”だって、分かったはずなのに。それでも……」


小さく息を吸う。


「何も、言いませんでしたよね」


確認だった。

責める響きではない。


ルーカスは、すぐには答えなかった。


花畑を見渡す。

斜面を埋める色とりどりの花を、静かに眺める。


「君が話したくなるまで、待つつもりだった」


穏やかな声。


「無理に聞く話じゃないと思った」


一拍置いて、付け足すように。


「……知ってたよ」


胸の奥が、わずかにざわつく。


「……なのに」


エルフリーデは、言葉を探した。


「何も、聞かなかった」


視線を上げ、ルーカスを見る。


不安ではない。

怒りでもない。


ただ、知りたかった。


「……なぜ、聞かないんですか」


ルーカスは、少しだけ目を細めた。


困ったような、けれど、どこか笑みを含んだ表情。


「正直に言うね」


前置き。


エルフリーデは、静かに頷いた。


「君が王女かどうか」


その言葉を口にしてから、

ほんの一瞬だけ間を置く。


「判断する材料としては、どうでもよかった」


はっきりと。


風が、また花を揺らす。


「……どうでも」


思わず、復唱していた。


ルーカスは、そのまま続ける。


「肩書きがついてきたのは、後から知った情報だ」


視線が、真っ直ぐに向けられる。


「僕が助けに行ったのは、“王女”じゃない」


静かだが、迷いのない声音。


「エルフリーデだ」


胸の奥が、きゅっと締まる。


「連邦で一緒に働いた人」


日々の業務を、当たり前のように把握して、

誰よりも早く状況を理解して、

必要なところだけを、的確に整えていた人。


「責任感が、強い人」


自分の役割を、軽く扱わなかった。

任されたことを、途中で投げなかった。


「僕の国の料理を、美味しいって言ってくれた人」


一度だけだった。

でも、社交辞令じゃないって分かる言い方で。


「気を張らずに、話せた人」


仕事の延長みたいな話も、

そうじゃない話も、少しだけ。


「……ただの、エルフリーデ」


その言葉が。


今まで、誰にも与えられなかった呼び方が。


胸の奥に、深く落ちた。


「王女かどうかは、君の一部だろうけど」


彼は、少しだけ肩をすくめる。


「僕が興味を持った理由じゃない」


花畑の中で、二人の間に沈黙が落ちる。


長くはない。

重くもない。


エルフリーデは、ゆっくりと息を吐いた。


「……そう言われると」


小さく、笑う。


「少し、肩が軽いです」


ルーカスも、わずかに口元を緩めた。


「それなら、よかった」


花畑の向こうで、雲が流れていく。


王女でもなく。

官僚でもなく。


ただの一人として、

隣に立っている。


エルフリーデは、花を見つめながら思った。


(……この人は)


(……私を、楽にする)


(……名前で、呼んでくれる)


それが、こんなにも救いになるなんて。


花の国の午後は、

まだ、静かに続いていた。


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