花の国
街が見えたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
馬車の揺れが、いつの間にか変わっている。
柔らかく、規則的だった振動が、確かな重みを帯びる。
土の道から、石畳へ。
「着いたよ」
ルーカスの声に、エルフリーデは目を開けた。
窓の外。
まず目に飛び込んできたのは、花だった。
街道の脇に、さりげなく。
家々の軒先に、当然のように。
石造りの壁の隙間や、階段の端にも。
意図して植えられたものもあれば、
放っておいたら、そのまま根付いたようなものもある。
色は揃っていない。
白、薄桃、黄色、紫。
それぞれが、勝手な場所で咲いている。
――それなのに、うるさくない。
視界に流れ込む色が、自然に馴染んでいる。
「……すごい」
思わず、そう漏れた。
フローレンティア王国の街並みは、整ってはいるが、きっちりしすぎていない。
建物の高さも、揃いすぎていない。
通りの幅も、場所ごとに違う。
人の手で作られた“秩序”の間に、
わざと残されたような“余白”がある。
その隙間を埋めるように、花が咲いていた。
「ここは、花を“飾り”だと思ってない」
ルーカスが、窓の外に視線を向けたまま言う。
「生活の一部、って感覚らしい」
馬車が、街の門をくぐる。
衛兵は立っているが、構えは柔らかい。
荷の検分も、流れ作業のように淡々としている。
ルーカスの顔を一度見て、
それ以上、深く踏み込まない。
身分証の確認も、必要最低限。
――通される。
それが、この国の空気だった。
街の奥へ進むにつれ、人の気配が濃くなる。
市場のざわめき。
小さな噴水の水音。
子どもが走り抜け、花籠を抱えた女が、誰かに声をかけて笑う。
誰も、じっと見ない。
だが、目が合えば、自然に微笑む。
「……見られてるのに」
エルフリーデが、ぽつりと言った。
「嫌じゃない」
「うん」
ルーカスも、同じ調子で頷く。
「ここ、王族が視察に来ることもあるけど」
少しだけ、言葉を選んでから続ける。
「“敬われる”より、“通り過ぎる”感じなんだ」
その距離感が、今のエルフリーデにはありがたかった。
馬車は、街の一角で止まる。
大きな宿ではない。
だが、古い石造りで、壁には蔦が這い、窓辺には花鉢が並ぶ。
門構えだけで、分かる。
――静かな場所だ。
扉が開く。
花と、乾いた木の匂いが、ふわりと流れ込んだ。
「……いい匂い」
「中庭がある」
ルーカスが言う。
「あとで、見に行こう」
“あとで”。
その言葉が、自然に出てくること自体が、今までなかった。
宿の中は、さらに穏やかだった。
木の床は足音を吸い、
光は強すぎず、柔らかく壁に反射している。
人の声は低く、必要以上に響かない。
案内された部屋は二階。
窓を開けると、すぐ下に、花の咲く小路が見えた。
人が通るたび、色が揺れる。
「……」
エルフリーデは、しばらく黙ったまま、外を見ていた。
ここでは。
何も、急かされない。
「……街が、優しいですね」
独り言のように言う。
ルーカスは、少しだけ笑った。
「君向きだと思った」
その一言が、胸の奥に静かに染みる。
花の国、フローレンティア。
ここでは、
誰もエルフリーデを“働かせる目”で見ない。
ただ、
花の多い街に立ち寄った一人の旅人として、
そこにいるだけだ。
――この旅は、ちゃんと“療養”なんだ。
そう思えた瞬間、
エルフリーデの肩から、また一つ、力が抜けた。




