編む
医療院の午後は、静かだった。
昼下がりの光が、高い窓から斜めに差し込み、白い壁にやわらかい影を落としている。
音といえば、遠くで誰かが歩く気配と、時折、紙をめくるかすかな音だけだ。
エルフリーデは、ベッドの上で半身を起こしていた。
枕に背を預け、毛布を膝まで掛けた状態。
安静と言われている以上、これ以上動く気はない。
……ただ。
「……邪魔」
ぽつりと零れた声と同時に、肩に落ちてきた髪を、指先で払う。
普段なら、まとめてしまえば済む。
仕事の時は、邪魔にならないよう、きっちりと高い位置でまとめていた。
だが今は、横になる時間が長い。
結い上げて横になると、後頭部が当たって痛くなるし、解けば解いたで、首元が落ち着かない。
結局、どうにもならない。
エルフリーデは、小さく息を吐いた。
「……?」
その様子を、向かいの椅子から見ていたルーカスが、視線を上げる。
書類から目を離し、少しだけ首を傾げた。
「どうした」
「いえ……」
言いかけて、正直に言い直す。
「髪が、邪魔で……」
ルーカスは一瞬、状況を見ただけで理解したらしい。
「ああ」
短く頷く。
「確かに、その長さだと寝づらいね」
そう言って、立ち上がった。
「編んであげる」
「……え?」
思わず声が裏返る。
ルーカスは、すでに彼女の背後に回っていた。
「動かないで」
低い声で言われ、反射的に従う。
指先が、髪に触れた。
思ったよりも、ずっと慣れた動きだった。
梳かすように、絡まりをほどき、指で流れを整えていく。
引っ張らない。
痛くない。
(……あ)
その時点で、エルフリーデは少し驚いていた。
「……慣れてますね」
「自分の髪でね」
淡々とした返事。
確かに、ルーカスの長髪はいつも整っている。
結い方も、日によって微妙に違う。
「三つ編みでもいいけど」
言いながら、手は止まらない。
「横になっても邪魔にならない方がいいだろう」
そう言って、編み方を変える。
後頭部ではなく、少し横に流し、首のラインに沿わせるように。
きつすぎず、ほどけない絶妙な力加減。
編み終えた髪の先で、指が止まる。
留め具を探すような仕草を一瞬だけしてから、
ルーカスは、何でもない動きで自分の外套の内側に手を入れた。
取り出されたのは、細い結い紐。
濃い色で、装飾もない。
実用一点張りのものだ。
「……それ」
エルフリーデが、思わず言葉にすると、
「予備」
短く返ってきた。
言い訳にも説明にもならない、一語。
ルーカスは、そのまま髪をまとめる。
慣れた指で、結い紐を絡め、きちんと留める。
「はい」
エルフリーデは、恐る恐る、手を伸ばして触れる。
編まれた髪は、枕に当たらない位置に収まっていた。
引っかかる感じもない。
「……」
そして、ぽろっと、本音が落ちる。
「……素敵……」
ルーカスは、少しだけ視線を逸らした。
「そう」
それだけ。
だが、耳元がわずかに赤い。
エルフリーデは、それを見て、なぜか胸が温かくなる。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
ルーカスは、また椅子に戻り、何事もなかったように書類を手に取る。
まるで、当たり前のことをしただけみたいに。
その日、エルフリーデは、編んだ髪のまま、安心して眠れた。
それから。
ルーカスが医療院に来る日は、いつの間にか決まって、髪を結ってもらうようになった。
今日は少し緩め。
明日は細かく。
三つ編みだったり、二本を合わせたり。
「今日は、違いますね」
そう言うと、
「昨日と同じじゃ、つまらないだろう」
なんて、平然と返される。
鏡を見るたび、少しだけ気分が上がる。
――療養中なのに、悪くない。
エルフリーデは、そう思いながら、編まれた髪にそっと触れた。
これは、仕事じゃない。
役目でもない。
ただ、大切にされている、という実感だった。




