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急かされない朝

朝の光で、目が覚めた。


エルフリーデは一瞬、天井を見上げてから、静かに息を吐く。

白い天井。

装飾のない梁。


――そうだ、宿だ。


身体を起こすと、ベッドが小さく軋んだ。

昨日と同じ音。

それだけで、ここが現実だと分かる。


窓を開けると、港町の朝の空気が流れ込んできた。

潮の匂い。

荷車の音。

人の声。


昨日よりも、少しだけ賑やかだ。


着替えを済ませ、髪をまとめる。

鏡に映るのは、平民の服を着た自分。


王女らしい装いではない。

けれど、こちらの方がずっと自分らしいと思えた。


階下に降りる。


宿の一階にある食堂は、まだ人が少なかった。

朝の仕込みを終えたばかりなのか、焼いたパンの匂いと、薄く湯気の立つスープの香りが混じっている。


エルフリーデは、壁際の小さなテーブルに腰を下ろした。


昨夜は、久しぶりに途中で起こされることなく眠れた。

それでも身体の奥に残る疲労は抜けきっておらず、肩を回すと鈍い痛みが返ってくる。


――三十日。


革袋の中に入れた通行証のことを思い出す。

入港時、検閲官が淡々と告げた期限だ。


「滞在は三十日まで」


言い方は事務的だったが、意味ははっきりしている。

三十日以内に、ここにいる理由を示せなければ、出ていけということだ。


エルフリーデは、スープのカップを両手で包みながら、ゆっくりと思考を整理する。


――方法は、知っている。


外交の仕事で、何度も見てきた。

国外から来た商人、学者、職人。

彼らがどうやって滞在権を得て、延ばし、根を下ろしていったか。


条件は、大きく分けて二つ。


仕事。

もしくは、保証人。


理想は、その両方だ。


短期でもいい。

だが、きちんと契約があり、記録が残る仕事。

税が発生するものなら、なおいい。


そうして実績を作り、「この人間は、ここにいた方が得だ」と誰かに判断させる。


――商会、ね。


昨夜泊まったこの宿も、商人の出入りが多い。

一階の食堂は、半分が情報交換の場のようになっている。


エルフリーデは、周囲に視線を走らせる。


帳簿を広げている男。

納期の話をしている二人組。

港の掲示板の写しを片手に、ため息をつく女。


どれも、王宮では見慣れた光景だ。

ただ、肩書きが違うだけ。


――選り好みは、できない。


王宮にいた頃のように、「重要案件」だけを扱う立場ではない。

だが、何でもいいわけでもない。


三十日で結果を出すなら、自分が一番早く役に立てる場所を選ぶべきだ。


帳簿。

契約文書。

期限管理。

利害が絡む調整。


……外交絡みの書類が混ざっている仕事なら、なお良い。


エルフリーデは、スープを飲み干し、深く息を吐いた。


胸の奥に、微かな緊張が走る。

けれど、不思議と嫌ではなかった。


「……やることは、決まってるわね」


呟いて、立ち上がる。


まずは掲示板。

短期でもいい、記録が残る仕事。

できれば、商会絡み。


保証人は、その先だ。


エルフリーデは、簡素な服の袖口を整え、食堂を後にした。


三十日は、短い。

けれど――


何もできないほど、短くはない。

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