幕間 自業自得
王宮、国王執務室。
窓は開いていない。
そして、空気は重かった。
アルディア国王は、机に両肘を突いたまま、動かなかった。
書類が、三通。
重ねて置かれている。
一通目。
レクシア王国よりの正式通知。
二通目。
シュトラール公国からの追認文。
三通目。
――返送された、ヴァルディス記録院宛の書簡。
返送。
それだけで、胸の奥がひりついた。
(……切られた)
理解は、早かった。
記録院は、説明をしない。
反論もしない。
関係を「なかったこと」にする。
それはつまり――
価値がなくなった、という判断だ。
国王は、ゆっくりと息を吐いた。
(……馬鹿な)
思考が、ようやく追いつく。
あの王女は、静かだった。
問題を起こさず、前に出ず、常に「足りている」ように見えた。
王家にとって、手がかからない存在だった。
連邦に出したのは、失策だったが――
戻せばいいと思っていた。
戻せば、回る。
そうすれば、その間に王宮を立て直す猶予ができる。
――そう、信じていた。
それだけの話だった。
(……それが)
噛み合わなかった。
――いや。
正確には。
自分が、線を誤認した。
扉の外で、足音が止まる。
「陛下」
側近の声。
「……入れ」
入ってきたのは、内務卿だった。
顔色が、明らかに悪い。
「第一王子殿下が……」
「今は、いい」
遮る。
聞かなくても分かっている。
王女が戻ったと思い込み、第一王子と第一王女は、癇癪のように書類を押し付けた。
――何も知らないまま。
それ自体は、問題ではない。
問題は。
「連邦側ですが」
内務卿が、続きを告げる。
「通商協定の一部凍結を示唆してきています。名目は、“人的安全保障条項の再確認”」
再確認。
それは、制裁の前段階だ。
「……どれほどだ」
「即時ではありません。ただし――」
一拍。
「次の更新で、こちらに不利な条件が付加される可能性が高いと」
国王は、歯を食いしばった。
(……連邦め)
だが、怒りは続かない。
怒っても、意味がない。
連邦は、合法の塊だ。
正面から殴り合えば、必ず負ける。
「ヴァルディスは?」
内務卿が、一瞬だけ目を伏せる。
「……連絡は、ありません」
それが、答えだった。
助けない。
庇わない。
名前も出さない。
(……あいつら)
記録院は、常にこうだ。
使えるうちは、微笑む。
使えなくなった瞬間、存在を消す。
今回、切られたのは――
自分の方だ。
「……王女は」
声が、少し低くなる。
「完全に、連邦側です。本人の意思も、明確に」
その一言で、全てが終わった。
誘拐は、失敗した。
消耗品として扱ったことも、記録に残った。
もう、「王家の一員」ではない。
「……なぜだ」
思わず、口を衝いて出る。
「なぜ、あそこまで……」
内務卿は、答えなかった。
答えが、分かりきっているからだ。
――使いすぎた。
――壊しかけた。
――そして、他国に拾われた。
それだけだ。
国王は、椅子に深くもたれかかった。
(……失ったのは、王女だけじゃない)
評議院との裏の取引。
連邦との実務ライン。
そして――
「こちらが選ぶ側だ」という立場。
すべて、崩れ始めている。
「陛下」
内務卿が、最後に言う。
「今後、記録院との接触は……」
「……不要だ」
短く答える。
向こうが、もう要らないのだから。
部屋に、沈黙が落ちる。
国王は、ふと、思った。
あの王女が、何も言わずに働いていた日々。
不満も、要求も、ほとんどなかった。
――あれは、忠誠ではなかった。
諦めだった。
それに気づいた時には、もう遅い。
国王は、机の上の書類を見下ろした。
戻らないものばかりだ。
王女。
信用。
そして、未来の選択肢。
窓の外では、王宮の鐘が鳴っている。
いつもと同じ音。
だが。
この王宮は、もう以前と同じではない。
王は、初めて理解した。
――使い潰したのは、一人の王女ではない。
――この国の「逃げ道」そのものだったのだと。
そしてその責任は。
他でもない。
自分自身の、独断だった。




