あるべきところに
港は、騒がしかった。
荷の積み下ろし。
号令。
人の行き交う音。
――いつも通りの、連邦の港だ。
エルフリーデは、船の甲板に立ったまま、その光景を見下ろしていた。
変わらない。
何も、特別じゃない。
それなのに。
岸壁の一角だけ、妙に整っていた。
人が並んでいる。
多くはない。
だが、立ち方が揃っている。
正装。
礼装。
連邦の紋章。
(……待ってる?)
理由が分からないまま、船が接岸する。
縄が投げられ、固定される。
荷役の声が飛ぶ。
それでも、その一団は動かない。
タラップが下ろされた。
最初に降りたのは、護衛。
次に、ルーカス。
最後に――エルフリーデ。
甲板からタラップへ足を移した、その瞬間。
一斉に、帽子が外された。
音はない。
号令もない。
それでも、動きは揃っていた。
誰かが膝を突く。
それに倣うように、次々と礼が連なる。
深く頭を下げる者。
胸に手を当てる者。
姿勢だけで敬意を示す者。
――声は、誰も出さなかった。
「……え」
エルフリーデは、思わず足を止めた。
意味が、分からない。
これは、祝賀じゃない。
歓声もない。
拍手もない。
ただ――迎えの形だ。
ルーカスが、隣で小さく言う。
「気にしなくていい」
声は低く、落ち着いている。
「手続き通りだ」
手続き。
その言葉で、ようやく腑に落ちた。
連邦にとって、これは“事件の帰結”だ。
越境移送。
身柄の返還。
保護対象の回収。
個人への感情じゃない。
制度が、人を迎えている。
前に出たのは、年配の男だった。
連邦商務調整局の上層部。
何度も顔を合わせた人物だ。
彼は、深く一礼する。
過剰でも、芝居でもない。
形式として、正しい深さ。
「――エルフリーデ様」
肩書きは、最低限だった。
「ご無事で、何よりです」
それ以上、何も言わない。
事情説明もない。
叱責もない。
質問もない。
「……あの」
反射的に、声が出る。
何を言いたかったのか、自分でも分からない。
遅れたことか。
迷惑をかけたことか。
勝手に連れ戻されたことか。
だが、男は静かに首を振った。
「今は、お話しする必要はありません」
はっきりと。
「医師の指示は把握しております。本日の執務復帰は想定しておりません」
――執務。
その単語が出たのに、仕事の話は、そこで終わった。
誰も続きを口にしない。
エルフリーデは、戸惑った。
(……聞かれない)
(……何も)
歩き出す。
両脇に、人が並ぶ。
囲む距離ではない。
導く距離だ。
視線は、柔らかい。
――見られているのに、評価されていない。
それが、王宮との決定的な違いだった。
馬車が用意されている。
連邦仕様の、揺れを抑えたもの。
扉が開く。
ルーカスが先に乗り、手を差し出す。
迷う前に、身体が動いた。
座席に腰を下ろすと、毛布が静かに掛けられる。
誰も急かさない。
誰も指示しない。
馬車が動き出す。
窓の外で、誰かが一礼したまま、頭を上げなかった。
それを見た瞬間。
胸の奥で、何かがひび割れた。
(……あ)
(……私)
(……責められない)
その事実が、遅れて染み込んでくる。
王宮では、
立っているだけで理由を求められた。
役割を果たせと迫られた。
ここでは。
いるだけで、「無事でよかった」と言われる。
エルフリーデは、毛布の端を、ぎゅっと掴んだ。
(……戻って、いい)
そう、初めて思えた。
馬車は、連邦の街を進む。
窓の外には、見慣れた景色。
なのに。
世界が、まるで別物に見えた。
ルーカスの隣で、エルフリーデは静かに目を閉じる。
――ここは、戻っていい場所だ。
それを、
誰一人、疑っていない場所だった。




