帰るべき場所
王宮の門が、ゆっくりと閉じた。
重い音だった。
装飾された鉄が噛み合う、逃げ場を断つ音。
馬車は、すでに動き出している。
石畳の振動が、一定のリズムで身体に伝わる。
それは王宮に来た時と同じはずなのに――
今は、まるで別の世界の揺れだった。
エルフリーデは、ルーカスの腕の中にいた。
抱き上げられている、という認識がどこか遠い。
身体は軽いのに、意識は重い。
思考だけが、遅れて落ちてくる。
(……外)
王宮の外だ。
それだけで、胸の奥がきしむ。
馬車の中は静かだった。
護衛も、使節も、必要最低限。
誰も、話さない。
ルーカスは何も言わずに座っていた。
片腕で、エルフリーデを抱えたまま。
力は強くない。
でも、絶対に離さない位置。
その腕に、エルフリーデは完全に体重を預けていた。
「……ごめんなさい」
気づいたら、そう口にしていた。
声は驚くほど小さく、
自分でも、ちゃんと聞こえたか分からない。
ルーカスは、すぐには答えなかった。
馬車が曲がる。
揺れが、少しだけ大きくなる。
「何に対して?」
低い声。
責める色は、一切ない。
それが、余計に苦しかった。
「……全部」
曖昧な答え。
「約束、守れなくて……心配、かけて……ちゃんと、戻るって」
言葉が、途中で途切れる。
喉が、詰まる。
(……あ)
その瞬間だった。
――もう、謝らなくていい場所なんだ。
そう理解してしまった。
理解してしまったから、
心が、耐えられなくなった。
指先が、ルーカスの外套を掴む。
力はない。
縋るというより、確認するみたいな動きだった。
「……私」
声が、震えた。
「もう……」
続かない。
何が「もう」なのか、
自分でも分からない。
ルーカスは、ほんの少しだけ腕に力を込めた。
抱き寄せる、というより、
落ちないように支える動作。
「……うん」
短い返事。
それだけで、十分だった。
エルフリーデの額が、彼の胸に触れる。
布越しに伝わる、確かな鼓動。
あの香の香り。
(……動いてる)
(……現実だ)
そこまで考えたところで、
張り詰めていたものが、完全に切れた。
肩が、小さく震える。
声は出ない。
涙も、まだ出ない。
ただ、息が、うまく吸えない。
「……大丈夫」
ルーカスが、低く言う。
命令じゃない。
慰めでもない。
事実を述べるみたいな声。
「もう、君を粗雑に扱う人間はいない」
その一言で。
――ああ、終わったんだ。
そう思った。
終わった。
やっと。
身体から、力が抜ける。
エルフリーデの意識が、
ゆっくりと、静かに沈んでいく。
最後に感じたのは、
揺れる馬車と、抱きしめられている腕の温度。
そして。
(……連邦の執務室より、あったかい)
そんな、どうでもいい感想だった。
ルーカスは、腕の中の重みが変わったのを感じる。
完全に、意識を手放している。
呼吸は浅い。
体温は低い。
身体は、驚くほど軽い。
「……」
何も言わない。
ただ、外套を少しだけ寄せ、
冷えないように包む。
窓の外では、王宮の塔が、少しずつ遠ざかっていく。
ルーカスは、それを一度も見なかった。
見る必要が、もうないからだ。
馬車は、ゆっくりと走る。
帰るべき場所へと。




