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宿探し

船を降りてしばらく、エルフリーデは港の外縁をゆっくりと歩いていた。


埠頭の喧騒から少し離れるだけで、音の質が変わる。

荷を運ぶ掛け声は遠のき、代わりに聞こえてくるのは、店先の呼び込みや、人同士の会話だ。


石畳はよく整えられていて、割れや大きな段差がない。

靴底に伝わる感触が一定で、歩きやすい。


――港町、ね。


人の往来は多いが、ぶつかるほどではない。

商人、船員、地元の住民らしい者、旅人。

身なりも話す言葉もまちまちだが、互いに干渉しすぎない距離感がある。


視線を向けられても、深く見られることはない。


王都では、歩くだけで立場を測られていた。

ここでは、ただの「一人の人間」だ。


通りの角を曲がると、宿屋らしい建物がいくつか並んでいた。


どれも派手ではない。

だが、外壁はきちんと手入れされ、窓枠に割れもない。

入り口の前が掃き清められている宿は、それだけで信用できる。


エルフリーデは、そのうちの一軒の前で足を止めた。


木製の看板には、簡素な文字で宿の名が書かれている。

値段表が外に出ているのも、好ましい。


――まずは、ここね。


扉を押すと、控えめな鈴の音が鳴った。


「いらっしゃい」


応対に出てきたのは、中年の女主人だった。

視線は一瞬だけエルフリーデを見て、すぐに穏やかになる。


詮索はない。

値踏みも、過剰な愛想もない。


「一泊ですか?」


「……いえ、数日。状況次第で延ばしたいのですが」


女主人は頷いた。


「部屋は空いてますよ。長期なら、週払いもできます」


その言葉に、エルフリーデは小さく息をついた。


――ちゃんと、選択肢がある。


料金を確認し、革袋から硬貨を出す。

王宮を出るときに持たされた最低限の金額だが、当面は問題ない。


「こちらへ」


案内された部屋は、簡素だった。


木のベッド。

小さな机。

洗面用の水差し。


窓からは、港の一部が見える。

だが、喧騒は直接届かない位置だ。


扉が閉まる。


部屋に一人きりになってから、エルフリーデは革袋の中身を机の上に広げた。


硬貨。

通行証。

簡素な身分証。

そして、最低限の私物。


量は多くない。

だが、失えば困るものばかりだ。


「……まずは、分けないと」


そう呟き、部屋の隅に備え付けられた小さな金庫を確かめる。

古びてはいるが、鍵の動きは悪くない。


当面使わない硬貨と予備の書類を中に入れ、鍵をかける。

一度閉め、もう一度、指で押して確認した。


残りは分散させる。


服の内ポケット。

スカートの裏地に縫い込まれた小さな袋。

靴の中。


王宮を出て地方や国外を回っていた頃、いつの間にか身についた癖だ。

誰に教わったわけでもない。

必要に迫られて、そうなっただけ。


準備を終え、ようやく一息つく。


「……三十日」


通行証に記された滞在期限を、頭の中でなぞる。


この国にいられるのは、ひとまず三十日。

それまでに在住権を取らなければならない。


申請先。

必要書類。

理由――仕事。


そこまで考えてから、ふっと肩の力が抜けた。


「……今日は、ここまでね」


立ち上がり、革袋から寝巻きを取り出す。

粗い綿布の、飾り気のないものだ。


王宮で使っていた寝間着より、ずっと簡素。

それでも、指を通すと柔らかい。


ドレスを脱ぎ、丁寧に畳む。

何度も袖を通し、何度も机に向かった服だ。


少しだけ迷ってから、革袋の底にしまった。


寝巻きに着替えると、体がふっと軽くなる。

締め付けるものがない。

誰かに見られることもない。


ベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。


鍵の位置をもう一度確認し、灯りを落とす。


窓の外から、港町の気配がかすかに届く。

人の声、遠くの足音、風に揺れる何かの音。


王宮の夜とは、まるで違う。


「……明日は、掲示板ね」


小さく呟いて、横になる。


すぐには眠れないかもしれない。

それでも、目を閉じる。


今日は、十分やった。


エルフリーデは久しぶりに、“休むための夜”に身を委ねた。

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