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何もかも

朝。


第三王女の私室に隣接した執務室には、朝の光が差し込んでいた。


カーテンは半分だけ開けられている。

完全に開ける必要はない。

この部屋で“景色を見る時間”など、予定に存在しないからだ。


エルフリーデは、椅子に座ったまま書類に目を通していた。


昨夜、気絶するように倒れ込んだ記憶はある。

だが、どれくらい眠れたのかは分からない。


目が覚めた時には、もう机の上に新しい書類が積まれていた。


――いつも通り。


指先に、鈍い痛みが残っている。

包帯の下で、爪の割れた部分がじくじくと熱を持っていた。


それでも、ペンを取る。


取らなければ、

今日が始まらない。


一通、処理を終えたところで、

控えめなノックがした。


「……失礼いたします」


入ってきたのは、王宮付きの文官だった。

年配で、表情は整っている。

敵意も、同情もない。


ただ、仕事を運んでくる顔だ。


「こちらを」


差し出されたのは、書簡ではなかった。


封印された――公文書。


王宮印。

評議院の認証。

複数の署名。


(……これは)


直感的に、嫌なものだと分かる。


「内容の確認を、とのことです」


文官は淡々と言う。


「署名は不要です。“通知”ですので」


――通知。


エルフリーデは、ゆっくりと封を切った。


紙を広げ、文字を追う。



第三王女エルフリーデに関する

身分および後見関係の整理について


近年の不在期間および管轄の変動を踏まえ、

当該王女の法的立場について再確認を行う必要が生じた。


特に、シュトラール公爵家との養子縁組については、

当時の経緯および現状を含め、

王宮としての正式な見解を整理するものとする。



……再確認。


……整理。


……正式な見解。


エルフリーデの呼吸が、わずかに浅くなる。


読み進める。



本件は、当該王女の将来的な立場を明確にするための

手続きであり、

不利益を与える意図は一切存在しない。


なお、確認期間中は

王宮内にて必要な業務を継続するものとする。



紙を持つ指が、微かに震えた。


(……ああ)


(……なるほど)


これは、命令じゃない。

処分でもない。


“善意の顔をした否定”だ。


養子縁組を破棄する、とも書いていない。

連邦との関係を切る、とも書いていない。


ただ、


「不確かなものとして扱う」


それだけ。


「……質問は」


文官が、形式的に尋ねる。


エルフリーデは、ゆっくりと顔を上げた。


「……これは」


声が、少しだけ掠れる。


「私の意思は、どこに反映されますか」


文官は、一瞬だけ目を伏せた。


そして、答える。


「本件は、王宮の内部整理ですので」


――答えになっていない。


だが、それで十分だった。


エルフリーデは、紙を机の上に置いた。


連邦。

公爵家。

ルーカス。


あの場所で積み上げてきたものが、

一行の「再確認」で、全部“仮”にされた。


守ってきたつもりだった。

選んだつもりだった。


だが。


(……私が、ここにいる限り)


(……全部、こうやって削られる)


文官は、すでに踵を返している。


「何かありましたら、また」


それだけ言って、部屋を出ていった。


扉が閉まる。


静かだ。


エルフリーデは、しばらく書類を見つめていた。


公文書。

未処理案件。

決裁待ち。


どれも、同じ紙だ。


(……助けは)


思考が、そこまで進んで、止まった。


助け。


利害関係にある養子を守るために、他国の王宮と正面から衝突する理由は、公爵家には存在しない。


そしてルーカスは、分かっている人だ。

いくら連邦の商会を纏める立場にあろうと、自分に、他国の王族をどうこうする権限がないことを。


だから彼は、来ないのではない。

来られないのでもない。


来てはいけない立場にいる。


ここでは、助けは来ない。

来ると期待すること自体が、間違いだ。


(……私は)


(……戻されたんじゃない)


(……元に戻されたんだ)


雑用王女。

責任だけを背負う駒。

壊れるまで使われる部品。


それが、この王宮での自分の形。


エルフリーデは、ゆっくりとペンを取った。


公文書を脇に置き、

次の未処理書類を引き寄せる。


心は、もう抵抗しなかった。


壊れた、というより――

折れることをやめた。


期待しない。

希望を持たない。

抜け出そうと考えない。


ただ、今日の分を終わらせる。


それだけ。


机の灯りは、朝になっても消えなかった。


エルフリーデの一日は、

今日も、昨日と同じ形で始まった。


――終わりがあると、信じなくなったまま。

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