幕間 歪んだ期待
王都・王宮/第一王子レオナルト
久しぶりに、執務室が“回っている”。
少なくとも、レオナルトの目にはそう映っていた。
机の上の書類は、まだ多い。
だが、昨日までのような「見ただけで頭が痛くなる山」ではない。
分類され、順番が付き、目を通すべき箇所に印がある。
「……はぁ」
息を吐く。
重たい溜息ではない。
肩の力が抜けた時の、それだ。
(やっと、だ)
エルフリーデが戻ってきた。
詳しい事情は知らない。
正直、興味もなかった。
国王が決めた。
使節団が連れ帰った。
それで終わりだ。
重要なのは、今ここにいるという事実だけ。
「……やっぱり違うな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
文官の出入りが増えた。
報告の順序が整った。
評議会からの突き上げも、今日は来ていない。
(そりゃそうか)
あれだけ溜まっていたものが、片付き始めているのだから。
「……最初から、こうしていれば良かったんだ」
一瞬だけ、そんな考えがよぎる。
だが、すぐに打ち消す。
(いや、必要なことだった)
追放は追放で、意味があった。
あいつも、少しは外の世界を見た方が良かったはずだ。
その結果、戻ってきた。
問題が解決した。
――何も、おかしくない。
扉がノックされる。
「殿下、午前分の整理が終わりました」
エルフリーデの声。
淡々としていて、事務的。
だが、それがいい。
余計な感情がない。
仕事に集中できる。
「もう終わったのか?」
思わず声が軽くなる。
「はい。午後分の下準備も済ませています」
書類が、机に置かれる。
整っている。
見やすい。
「……助かる」
素直な感想だった。
エルフリーデは、何も言わずに一礼する。
(ああ、これだ)
この距離感。
この役割分担。
王宮はこうでなければならない。
「昼までに、評議会用の中間報告も頼めるか?」
当然のように言う。
「多少量は多いが……まあ、お前なら問題ないだろう」
信頼というより、前提。
できて当然、という感覚。
「承知しました」
即答。
エルフリーデは踵を返し、部屋を出ていく。
扉が閉まった瞬間、レオナルトは椅子に深くもたれかかった。
「……ふぅ」
思わず、口元が緩む。
(これで、だいぶ楽になるな)
頭の中で、ここ数週間の重圧が一気に軽くなる。
会議。
評議会。
地方からの苦情。
文官の不手際。
全部、自分にのしかかっていた。
それが、今は――
(まあ、回るだろ)
そう思える。
「……あとは」
次に浮かぶのは、当然のようにミレーネの顔だった。
「……ミレーネ、か」
正直、面倒だとは思う。
だが、難しい話ではない。
彼女が不機嫌だったのは、状況が悪かったからだ。
自国からの支援が減ったのも、王宮が不安定だったから。
つまり。
(環境が整えば、元に戻る)
それだけの話。
「……花でも送るか」
指で机を叩きながら考える。
「それとも、食事に誘うか……いや、今は忙しいって言われるか?」
少し悩む。
だが、その悩みは軽い。
(まあ、時間の問題だな)
エルフリーデが戻った。
仕事が回る。
評議会も落ち着く。
そうなれば、第一王子としての立場も、自然と戻る。
「……結局、全部元通りだ」
そう結論づける。
何が問題だったのか。
何を失っていたのか。
深く考える気はない。
王宮は回っている。
自分は、椅子に座っている。
それで十分だ。
机の上には、まだ書類が残っている。
だが、もう焦りはない。
誰かが、片付けてくれる。
今まで通り。
これからも。
レオナルトは、その考えに疑問を持たない。
それが、どれほど危うい前提かを――
この時点では、知る由もなかった。




