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呼び出しは、朝だった。
鐘の音より先に、扉が叩かれる。
「第一王子殿下がお呼びです」
その声に、感情はない。
命令を伝えるためだけの音だった。
執務室へ向かう廊下は、やけに長く感じられた。
昨日一日で、身体はもう重い。
扉が開く。
第一王子――レオナルトは、机に向かっていた。
書類の山に囲まれ、余裕のない背中。
「……やっと来たか」
顔を上げる。
視線は冷たいが、鋭さはない。
疲れている。
焦っている。
そして――苛立っている。
「お前、戻ってきたそうじゃないか」
確認するような口調だった。
再会を喜ぶ声音ではない。
「……はい」
それだけで、十分だった。
「正直、死んだと思ってた」
悪気はなかった。
本当に、どうでもよかっただけだ。
「まあいい」
レオナルトは手元の紙を放り投げる。
「お前が消えてから、王宮は最悪だ」
言葉は荒いが、内容は空疎だ。
「文官は使えん、会議は荒れる、評議会は俺を突き上げる。ミレーネは文句ばかりで、支援も減った」
――全部、レオナルトの失策だ。
だが、彼はそれを言わない。
「で?」
視線が、エルフリーデに向く。
「お前、何してた?」
問いは雑だった。
興味がない。
「……」
沈黙が答えになる。
レオナルトは、鼻で笑った。
「まあいい。どうせ大したことじゃない」
机の横に積まれた書類を、指で示す。
「それより、これだ」
雪崩。
崩れかけた決裁書。
差し戻し。
未処理案件。
「お前がいなくなってから、誰も片付けられなかった」
責めるようでいて、どこか安堵した声音。
「戻ってきたなら、元通りだ」
――元通り。
「午前中で、ここまで」
量を示すために、あえて雑に落とされる。
「終わらなければ、昼は不要だ」
目を逸らしながら、付け足す。
「倒れるなよ。今は医者を呼ぶ余裕もない」
それは配慮ではなく、優先順位の宣告だった。
エルフリーデは、静かに一礼する。
「承知しました」
それ以上、言うことはない。
※
午後。
次の呼び出しは、唐突だった。
「第一王女殿下がお呼びです」
声が、廊下に響く。
部屋に入った瞬間。
平手打ち。
考える暇もない。
「よくも!」
甲高い声。
「よくも、逃げ出したわね!」
第一王女――セラフィーナ。
豪奢な部屋。
だが、外に出られない女の空気がこもっている。
かつて彼女がエルフリーデを追い出した一員だったのを、もう覚えていないようだった。
「あなたのせいで!」
ヒステリックに叫ぶ。
「私、ずっとここに閉じ込められてたのよ!」
机を叩く。
爪が鳴る。
「外に出るな、会うな、黙ってろって!」
――それは、セラフィーナの不祥事の結果だ。
だが、そんな理屈は通らない。
「あなたがいなくなったせいで!」
再び、平手が飛ぶ。
「私、もう何もかも取り上げられたのよ!」
涙混じりの怒号。
「ドレスもない!お茶会も!宝石も!全部よ!」
荒い呼吸。
「なんで私がこんな目に遭うのよ!」
エルフリーデは、俯いたまま立っている。
反論しない。
説明しない。
説明する価値がないと、理解している。
「……分かりました」
それだけを、口にする。
セラフィーナは、一瞬、拍子抜けした顔をした。
怒りをぶつける相手が、抵抗しないと、拍子が狂う。
だが、すぐに書類を蹴飛ばす。
「なら、これ!」
床に散らばる紙。
「今日中に片付けなさい!あなた、そういうの得意でしょ!」
――得意なのではない。
押し付けられていただけだ。
だが。
「承知しました」
それで、終わりだった。
※
夕方。
作業部屋に戻る。
腕の中には、第一王子分、第一王女分。
合算された、地獄。
椅子に座った瞬間、視界が一瞬揺れた。
(……二人とも)
(……何も知らない)
自分が連邦で何をしていたか。
どれだけの責任を背負っていたか。
知ろうともしない。
「戻ってきた」
「使える」
それだけだ。
エルフリーデは、ペンを取る。
逃げない。
逃げられない。
それが、この王宮の仕組みだから。
――二日目。
王宮は、何も変わっていなかった。
変わったのは、戻ってきた者だけだった。




