閉じ込められる
扉が閉まった音は、小さかった。
だが、港の風と音が一緒に断ち切られたことで、
エルフリーデは“中に入った”のではなく、
“外から切り離された”のだと理解した。
船内は、静かだった。
床は磨かれ、照明は落ち着いた色。
揺れもほとんど感じない。
大型船ではないが、近海航行用としては十分すぎる設備だ。
(……移送用)
そう思った瞬間、背中に冷たいものが走る。
――確認の場に、移送用の船は要らない。
「こちらへ」
案内役の男は、相変わらず丁寧だった。
急かさない。
押さない。
ただ、進路を示す。
通されたのは、応接用に整えられた一室だった。
簡素だが、手入れが行き届いている。
机と椅子。
壁際には小さな書架。
航行記録とは別の、書類用の金庫。
(……最初から、ここでやるつもりだった)
「どうぞ、お掛けください」
勧められ、エルフリーデは椅子に腰を下ろす。
護衛は、室内に入らない。
扉の外に二人。
――だが、距離が近すぎる。
逃がすためではない。
逃げない前提の配置だ。
案内役が、金庫を開ける。
中から取り出されたのは、
確かに――王宮の決裁文書の原本だった。
追放時の決裁。
署名。
封印。
(……本物)
そこに嘘はない。
だからこそ、逃げ場がない。
「こちらが、当時の原本です」
机の上に置かれる。
「写しとの照合をお願いします」
声は、変わらない。
態度も、変わらない。
エルフリーデは、文書に目を落とす。
形式。
署名。
日付。
すべて、知っているものだ。
「……相違は、ありません」
そう答えると、男は頷いた。
「ありがとうございます」
一拍。
「では――次に進みましょう」
(……次?)
その言葉に、エルフリーデは顔を上げる。
「確認は、これで終わりでは?」
問いは、静かだった。
男は、少しだけ首を傾げる。
困惑でも、警戒でもない。
手順を説明する側の顔だ。
「形式上、もう一点ございます」
そう言って、別の書類を出す。
航路申請書。
王宮名義ではない。
民間輸送の形式。
だが、許可印は揃っている。
(……ああ)
(……やっぱり)
「これは……?」
問いかけると、男は平然と答えた。
「王宮での最終確認に必要な移動記録です」
「一時的に、こちらへ」
――“こちら”。
その指が示した先は、
船の奥だった。
「連邦側での照会は、すでに完了しています」
淡々と。
「以降は、王宮内での手続きになります」
エルフリーデは、ゆっくりと息を吐いた。
(……連邦の管轄を、抜けた)
ここから先は、
彼女が“拒否”すれば、
それは「正当な照会への非協力」になる。
拒否しなければ、
――運ばれる。
(……詰み、ね)
だが、表情は崩さない。
「確認ですが」
視線を上げる。
「これは、強制ですか」
男は、ほんの一瞬だけ言葉を選んだ。
「いいえ」
即答。
「王女殿下の意思を尊重しています」
――王女。
その呼称が、あまりにも自然に出てきた。
確認を終えた相手に使う呼び方ではない。
(……ほら、出た)
エルフリーデは、はっきり理解した。
彼らは、
まだ“戻している”つもりなのだ。
誘拐ではない。
連れ戻し。
正当な手続き。
だから、罪悪感もない。
だから、躊躇もない。
「……分かりました」
静かに答える。
立ち上がる。
その動作に、護衛が反応する。
一歩、距離が詰まる。
「ただし」
エルフリーデは、続けた。
「私は、戻る意思を示していません」
男は、微笑んだ。
「ええ」
否定しない。
「ですから、“確認”なのです」
その言葉で、すべてが揃った。
――これは、誘拐未遂ではない。
誘拐が完了するまで、未遂ですらない。
船が、わずかに揺れた。
錨が上がる音が、
遠くで、低く響く。
エルフリーデは、その振動を足裏で感じながら、
心の中で、静かに言った。
(……ルーカス)
(ごめんなさい。あれほど言われたのに)
(でも、これは私が選んだ場所だから)
顔を上げる。
背筋を伸ばす。
「続けましょう」
その声は、はっきりしていた。
――船は、もう動き始めている。
王宮は、まだ気づいていない。
この瞬間を境に、
すべてを敵に回したということに。




