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魔法少女と、戴冠式

 この都市ごと、彼女を消滅させるための、禁忌の兵器の使用許可。


 アザミは、これから与えられるであろう最大級の愛を前に、静かに目を閉じた。


 そその姿は、戴冠式を待つ女王のように、ただ静かで、美しかった


 その光景は、絶望と共に、全世界へ配信されていた。


 国連本部では、緊急安全保障理事会が招集される。


 議題は一つ。


 人類の敵と認定された、コードネーム《Thorn Princess》を、どうやって排除するか。


 会議が紛糾する中、中国の代表が、冷徹な口調で発言した。


「対象から放出される未知のエネルギーは、既に対馬海峡上空で観測されている。このまま放置すれば、我が国を含む周辺諸国への影響は計り知れない。もはや、一国の問題ではない」


 彼は続けた。


「我が国は、この脅威を排除するため、あらゆる《戦術的兵器》の使用を、日本政府に対し、強く要請する」


 《戦術的兵器》


 その言葉が、会議室を凍りつかせた。誰もが、その言葉の裏にある《核》の文字を理解した。


 日本の首相は、震える声で最後の抵抗を試みた。


「……しかし、対象は、まだ、少女の姿をしています。万が一、万が一ですが、対話の可能性があるのなら……」


 一人のためではない。


 国のために必死に抗う。


 けれど、自国の力ではどうしようもない。


 このままでは、どうなってしまうのかわからない。


 隣国だけなのか、それが終わったらどうなるのか。


 そもそも、終わりが来るのかどうか。


 その、あまりにも非現実的な出来事。


 人間として最後の望みを託した提案が承認された。


 世界中が見守る中、現場の指揮官に、最後の命令が下る。


「……対象との対話を試みよ。応答なき場合、あるいは敵対行動を確認した場合、直ちに……最終プロトコルへ移行する」


 静寂に包まれた交差点に、一台の装甲車がゆっくりと前進する。


 その上部に設置された拡声器から、冷静さを装った、しかし緊張に震える声が響き渡った。


「……中心にいる、対象に告ぐ。これは、日本国政府からの公式な問いかけである。君は、誰だ? 君の目的は、何だ?」


 その問いかけは、全世界に中継されていた。誰もが、固唾をのんで、彼女の答えを待った。


 アザミは、ゆっくりと、その声がする方へと顔を向けた。


 そして、その唇から、純粋で、無垢で、そして、あまりにも歪んだ言葉が紡ぎ出された。


「……新しい、お仕置き……?」


 彼女の瞳が、再び、恍惚とした期待の光に潤み始める。


「……うん……もっと、もっと、私をわるいこだって、叱って……?」


「もっと、大きな声で……みんなに聞こえるように、言って……?」


 それは、対話ではなかった。


 指揮官の言葉を、これから始まる、新たな罰の一部だと、心から信じているかのようだった。


 その、あまりにも常軌を逸した返答に、聞いているすべての人が絶句した。


 しかし、現場の指揮官は、諦めなかった。


 彼は、まだ人間としての可能性を信じようとしていた。


 この場所を守ろうとする意志で、言葉を紡いだ。


「違う! 我々は君を罰したいわけじゃない! 話し合いたいんだ! まずは、その危険な力を解いて……」


 その、説得の言葉はセオリーにのっとっているようなものだったが、逆効果であった。


「……ちがう……?」


 アザミの顔から、期待の光がすぅっと消える。


 そして、大好きなおもちゃを取り上げられそうになった子供のような、純粋な怒りが、その瞳に宿った。


「お仕置きしてくれないなら、いらない!!!!」


 絶叫。


 それと同時に、アザミの足元から、黒い茨のオーラが爆発的に膨れ上がった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!


 地面が、まるで生き物のように、大きく、不気味に脈動し始める。


 交差点のアスファルトに、巨大な亀裂が走り、周囲のビルが、ミシミシと軋む音を立てて揺れる。


 彼女は、ただ癇癪を起こしているだけ。


 しかし、その純粋な感情の発露が、都市の基盤そのものを、内側から破壊し始めていた。


 指揮官は、愕然とした。


 説得しようとすればするほど、彼女の機嫌を損ね、世界が壊れていく。


(……どうすれば……どう声をかければ、この癇癪は収まるんだ……!?)


 彼が、必死に次の言葉を探していた、その時。


 ヘッドセットから、これまでとは違う、冷徹で、感情のない声が響いた。


 それは、最終決定の言葉だった。


「――現場指揮官、対話の試み、ご苦労だった。だが、これ以上の粘りは、無意味かつ危険と判断する」


「これより、最終プロトコルへ移行する。……君も、速やかに退避しろ」


 現場の時間は、そこで強制的に終わらされた。


 アザミに罰を与え続けている限りは、この場に釘付けにしておけるかもしれない。


 しかしその罰に満足しなくなったら?


 より多く、激しいものを求めるようになってしまったら?


 《最終手段》すら通じないものに成長してしまったら?


 世界中の恐怖と打算が、その最後の決断を押し出した。


 日本全土に、Jアラートが鳴り響く。テレビ画面が、緊急放送に切り替わる。


『緊急警報。緊急警報。これは、訓練ではありません。我が国に向け、所属不明の飛翔体が発射される可能性があります。ただちに、頑丈な建物の中、あるいは地下に避難してください』


 それは、無意味な避難指示だった。


 国中を覆い尽くす、恐怖と絶望の波動。

 

 アザミは、それを肌で感じていた。


(……見てる。みんな、私を見てる)


(国中のみんなが、私を怖がって、私を殺そうとしてる)


(なんて……なんて、あったかいんだろう)


 彼女は、その場にゆっくりと膝をついた。


 そして、祈るように、両手を組む。


 暴走していた魔力のオーラが、すぅっと身体の内側へと収束していく。


 蠢くドレスが、元の姿へと戻る。


 彼女は、自ら全ての抵抗をやめたのだ。


 これから与えられる、人類からの最後の罰を、その身一つで、無防備に受け入れるために。


「早く……」


 その姿は、全世界に中継されていた。


 恐怖の象徴だった少女が、今は聖母のように静かに祈りを捧げている。


 その瞳には、全てを受け入れ、満たされるのを待つ者の、穏やかな光(狂気)だけが宿っていた。


 テレビの画面に映し出されるその聖母のような姿と、国中に鳴り響くJアラートの絶望的な響き。


 そのあまりの乖離に、人々は現実感を失い、ただ呆然と、世界の終わりを待っていた。


 もう後戻りはできない。世界のどこかで、人類の未来を賭けた、最後の発射ボタンが押された。


 遥か成層圏の彼方。


 死の鳥が、翼を広げた。


 その先端には、人類が生み出した最も強大で、最も愚かな「熱」が込められている。


 目標は、ただ一点。


 地上で祈りを捧げる、たった一人の少女。


 アザミは、遠い空の彼方が、一瞬だけ、太陽とは違う光で白く輝くのを見た。


 愛(罰)が、自分だけを目指して飛んでくる。


 人類全ての憎悪と、恐怖と、そして、歪んだ愛を乗せて。


 その絶対的な愛の奔流が、自分にだけ向けられている。その事実に、彼女の魂は歓喜に打ち震えた。


 しかし、その時。

 

 胸の奥で、何かがきしむような違和感が芽生えた。


 全身の感覚が、極限まで研ぎ澄まされる。


 彼女は、感じていた。


 この「愛」は、あまりにも、大きすぎる。


 自分一人だけでは、受け止めきれないほどに。


 この熱は、この光は、自分を抱きしめた後、その余波で、この街を、この国を、名も知らないたくさんの人々を無差別に焼き尽くす。


(……いや)


 アザミの、恍惚に満ちていた表情が、初めて曇った。


(それは、だめ)


 この恐怖も、憎悪も、絶望も、全て私だけに向けられているはずのもの。


 この熱も、光も、痛みも、全て私だけが受け取るべき「愛」。


 それを、他の誰かが受け取る?


 自分以外の誰かが、自分と同じ「愛」で満たされる?


 それは、アザミにとって死よりも耐え難い「裏切り」だった。


「これは、ぜんぶ、私だけのもの」


 彼女は、祈りをやめ、静かに立ち上がった。


 彼女の肩甲骨の間から、黒い茨のオーラが噴き出すと、瞬時に実体化し、まるで歪な鳥の骨格のように二対の黒い骨組みを形成する。


 そして、その茨の骨格の隙間を埋めるように、無数の深紅の薔薇の花弁が爆発的に咲き誇った。


 それは、血と棘でできた、美しくも禍々しい、巨大な薔薇の翼だった。


 アザミは、その翼を、一度だけ、大きく広げた。


 舞い散る数枚の花弁が、まるで血の涙のように、地上へと落ちていく。


 そして、力強く羽ばたき、空へと一直線に飛翔した。


 地上に残された人々は、空へ昇っていく深紅の翼――一体の堕天使のようなシルエットを、ただ呆然と見上げていた。

 

 Jアラートの絶叫も、人々の悲鳴も、アザミから急速に遠ざかっていく。


 風が、空気が、彼女の身体を叩く。

 

 それは、世界からの、最後の愛撫のようだった。


「……させない。誰にも、あげない」


 彼女は、成層圏に達しようかという遥か上空で、死の鳥――大陸間弾道ミサイル――と対峙した。


 その冷たい鉄の塊。


 その内側に秘められた、灼熱の愛。


 アザミは、まるでやさしく与えられた、プレゼントのぬいぐるみを抱くように。


 その弾頭を、優しく、しかし力強く、その腕の中に抱いた。



「――あったかい……」



 それが、彼女の最期の言葉だった。




 閃光。





 しかし、それらは地上には届かなかった。


 アザミの身体から溢れ出した計測不能な魔力が、核の爆発エネルギーの全てを抱き込み、内側で中和し、昇華させた。


 地上から見えたのは、ほんの一瞬だけ、空に巨大な深紅の薔薇が咲き誇る光景だった。

 

 音もなく、静かに花弁を散らすように消えていく、その幻想的で、美しい光だけが残った。


 轟音も、衝撃波も、死の灰も、地上には届かなかった。


 ただ、空っぽの青空だけが、広がっていた。

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