解析と、不都合な真実
数日後、街にあの不気味なサイレンが鳴り響いた。
施設の子供たちが怯えたように窓に駆け寄り、職員たちが避難経路の確認を始める。その喧騒の中で、キリサキ・ミサだけが静かに読んでいた本を閉じた。
(……来ましたか)
彼女は窓の外を見た。
市街地から少し離れた古い浄水場の方面、その空が黒い雲のような不気味なエネルギーで淀んでいるのがここからでも分かる。
トリリウムが彼女の足元でそわそわと身体を揺らした。
「ミサ! 来たよ! かなりの大物だ!」
「ええ。行きましょう」
ミサは短く応じ、誰にも気づかれないように施設の裏口から静かに抜け出した。
彼女の心にあったのは恐怖ではなく、これから始まる未知の問題に対する冷たい闘志だった。
現場は想像以上の異常事態と化していた。
古い浄水場の巨大な貯水タンクから、まるで巨大な水晶の華が咲き誇るかのように異形の怪物がその姿を現していた。
しかしその姿は一つではない。ガラス細工のような半透明の花びらを持つ人型の怪物が、全く同じ姿で三体、ミサを囲むようにゆっくりと距離を詰めてきていた。
「ミサ、早く変身するんだ!」
トリリウムが焦ったように促す。
「……はい」
ミサは短く応じ、目を閉じて意識を集中させた。
(このパズルを解きたい。醜悪な、魔法少女というしくみを、解きたい)
その異質な祈りが引き金となり、ミサの身体はふわりと深紅の光に包まれた。
薔薇の装飾が施された気品のあるドレス。そして最後のピースが、彼女の右手に埋め込まれるその瞬間。
ミサは、覚悟を決めて、自らの右手を見つめていた。
隠そうとしていたその事実が、グサリという音とともに、右手甲を貫いた。
「……っ!」
予期していたとはいえ、その痛みは彼女の想像を遥かに超えていた。
ステッキのグリップから伸びた黒い棘が、甲の皮膚を容赦なく貫く。
それはただの鋭い痛みではなかった。
骨にまで響くような鈍い衝撃と、神経を直接焼かれるかのような灼熱感。
知識として理解していることと、実際に体験することは、全く違う。
棘が刺さる、なんていうのはなんと生易しい表現なのだろうかと、ミサは思わず顔をしかめ、額に汗が滲む。
(……『チクっとする』などと、よく言えたものです。これは、棘などではない。杭です)
彼女はそれでも叫びもせず、ただ己の身体に起きた現象とその痛みのレベルを、冷静にデータとして脳に記録していた。
「さあ、行くよ!」
トリリウムに促され、ミサは三体の敵と対峙した。
「ミサ、気をつけて! 全部倒すんだ!」
「待ってください」
ミサはステッキを構え、三体の敵をじっと見つめている。
(……三体。いきなり相手するには厳しいとしか思えない)
「トリリウム、契約です。質問に答えてください」
ミサは敵から目を離さないまま静かに言った。
「蝕花が、このように、複数体同時に出現することはありえるのですか?」
「え? ああ……」
トリリウムは、少しだけ、口ごもった。
「……基本的には、一体ずつだよ。群花みたいな、小さいのがたくさんいるタイプもいるけれど、倒せばいいのは、一体、ううん、ひとつの核だ。こんな、大きなやつが三体もいるなんて……僕も、初めて見た」
「……そうですか。分かりました」
一体倒せばいい。ひとつの核を壊せばいい。
だがどれが本物かはわからない。 群花、というのもミサ自体は見たことがなく想像でしかないが、あまりにも頼りない情報。
(……かなり、厳しいかもしれませんね)
ミサがどのように戦えばいいのか逡巡する中、敵が動いた。
三体が、全く同じタイミングで、寸分違わぬ動きでミサへと突進してくる。
ミサはまず、最小限の痛みで、小さな魔力の矢を生成し一体へと放った。
しかし、矢は敵の身体に当たって、カツンと軽い音を立てただけで、動きを鈍らせることすらできない。
(……威力が、足りない)
その事実だけを確認すると、彼女は思考を切り替え、迫りくる三体の爪を回避に専念して捌き始めた。
敵を倒す方法を考えながら、まずは敵を観測し、思考する。
一体が爪を振るうと地面に深い傷が刻まれる。
別の一体も同様だ。
しかし、最後の一体が爪を振るった時、地面に刻まれた傷は明らかに浅かった。
(……質量が軽いのか)
次に彼女は、地面に落ちる三体の影に注目した。一体の影だけが、他と比べてわずかに薄い。
(……影が薄い)
質量が軽く影が薄い二体と、一体の本体、あれを狙えば良い。
しかし、まだだ。まだ、決定的な証拠がない。
三体ともが、異なる物理特性を持つ、実体である可能性も、ゼロではない。
核が一つであるというだけ、
ミサは避ける、攻撃をする。ただその攻撃も、影が薄いほうに当たればすこしだけひるませる程度のもの。
「―――っ!」
水晶の爪が左腕、ドレスだけではなく、ミサをも浅く切り裂く。
鋭い確かな痛み。薄いとはいえ、攻撃は、物理的な実体を持つ。しかし思っていた以上の衝撃ではなく、拍子抜け――ではあった。
それでも、まともに食らってしまえば致命的になることは想像できる。
そして、ダメージを受けた左腕の部分から、反射の茨が発動する。
茨は、攻撃してきた幻影へと、槍のように突き刺さった、けれど、手応えが浅い。
まるで発泡スチロールを貫くかのような軽くむなしい感触。
軽いほうからの攻撃でも、ダメージは受け、反射は発動するけれど、反射の茨から伝わるそれすらむなしい感触。
2体はおそらくデコイのようなもの。攻撃してもあまり意味はないのだろう。
ならば本体を叩くしかない。
もし、何も考えずに戦えば、すべてを相手にし、疲れ、本体の攻撃をもらってしまえばそのまま終わり。
本体は、ただ、その様子を、安全圏から眺めているだけだ。
彼女は、攻撃の雨を避けながら、肩の上のトリリウムに、静かに、問いかけた。
「トリリウム。契約です」
「な、なんだい!? 戦闘中に!」
「先ほどの攻撃、威力があまりにも低すぎます。出力を上げるにはどうすれば?」
「だ、だから、言ったじゃないか!」
トリリウムは、叫ぶように答えた。
「もっと、強く握りしめるんだよ! 痛みが強ければ、威力も上がるんだ!」
「―――了解しました」
なんて醜悪な、と思いつつも、すがるしかない方法。
「……フェーズ2へ移行します」
ミサは静かに呟くと、これまでの回避行動をやめ、その場に、ぴたりと足を止めた。
そして、デコイだと確信している一体が振り下ろす水晶の腕。
その、攻撃の軌道へと、自らの左肩を意図的に差し出した。
「―――っ!!」
肉が裂け、骨がきしむ、衝撃。
けれど、大ぶりの割にはその程度。 肩から先がなくなるような致命傷ではない。
それでも、これまでで避けてきた痛みは、彼女の顔を激痛に顔を歪めさせる。
しかし、そんな中で微笑を浮かべていた。
そして、彼女はそれと同時に、ステッキのグリップを渾身の力で握りしめた。
被弾と、自傷。
二つの痛みから生まれた魔力が、彼女の中で螺旋を描くように混ざり合い、そして、増幅されていくのが確かに感じられる。
攻撃が当たり、好機だと判断したかのうように、三体すべてが、同時に大振りな攻撃を仕掛ける。
ミサは、左肩の痛みに耐えながら、その――ミサ自身にとっての好機を見逃さない。
「―――今です」
ミサが放った魔力、それは矢ではなく、二つの痛みを燃料として練り上げられた、深紅の破壊の光線。
それは、本体をまっすぐ貫き、深紅がひと筋空へと走っていく。
「ギィアアアアアッ!?」
悲鳴を上げたのは、中央の個体だけだった。
その水晶の身体に、内側から、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、まばゆい光を放つ。
それと同時に、二体のデコイが、操り人形の糸が切れたかのように力を失って崩れ落ちた。
本体は、ガラス細工が砕け散るように美しい音を立てて崩壊し、光の塵となって風に消え、それに続くようにしてデコイたちも同じように消えていく。
「……すごい。すごいじゃないか、ミサ!」
トリリウムが純粋な称賛の声を上げる。
しかしミサは傷ついた左肩を押さえ、荒い息をつきながらゆっくりとトリリウムの方を振り返った。
その瞳には安堵も達成感もなく、ただ実験を終えた科学者のような冷徹な光だけが宿っていた。
「トリリウム」
「な、なんだい?」
「いくつか、確認したいことがあります」
ミサは、ボロボロになった左肩を、まるで他人事のように、静かに見下ろした。
「衣服による自動の反撃という機能は、魔法少女が生き残るための、補助装置として、あらかじめ組み込まれていたものですね?」
「え、ああ……まあ、そうだね! 君が危ない時のための、お助け機能さ!」
トリリウムは、待ってましたとばかりに答えた。しかし、ミサの次の言葉が、彼を凍りつかせた。
「では、なぜ、そのお助けが必要なのですか?」
「……え?」
「初陣の相手ですら、このような、命懸けの機能がなければ生き残れないほど、この戦いは過酷である、と。そういうことなのですね?」
ミサの声は淡々としていた。しかし、その言葉の端々には、「話が違うじゃないか」という、明確な非難の色が滲んでいた。
「こ、こんな強い敵が出てくるのは多くはないから珍しかったからそうでもないともいうか……」
「チクっとするだけ、その説明も、随分と実態とはかけ離れていたようです」
しかし、その言葉の端々には、非効率な手順を踏まされたことへの明確な苛立ちが滲んでいた。
「あとで、さらに聞かせてもらいます……それと」
「そ、その前に早く変身を解くんだ!変身を解けば、傷が元に戻るから」
ごまかすかのようにトリリウムが口にすれば、言われた通りミサは変身を解く。
そうイメージすれば、変身が解かれる。どのような仕組みなのかはわからないけれど、確かに傷はなくなり、痛みもない。
ないはずなのだが、激しい攻撃を受けた部分は痛みを訴えるような気がした。
「なるほど、いくら痛みを与えても元に戻る仕組みなのですね」
「そ、そうだよ。だから気にせず戦っても大丈夫――」
「……あとで、さらに聞かせてもらいますからね」
じっと、強く睨むようにトリリウムに告げるミサ。
その言葉に、トリリウムはただただうなずくしかなかった。




