#42 新たな変異種
「おーいっ!皆どこだぁっ!」
俺の声は無情にも森の中へと吸い込まれ、決して返ってはこなかった。
逆にその声は、野生動物達の目を覚まさせてしまったようだった。
姿や形の分からない生物の鳴き声が轟く。
「…この森で皆を探すのは無理なんじゃないかな。」
オドオドしながら俺の顔色を伺うのは、懐かしき同期のイケ。
俺はこいつが苦手だ。
あの時は避難民同士助け合わなければと思っていたが、今になって馬が合わないと改めて感じた。
地下帝国にいれば既に手を出していたかもしれない。
「…で、何でお前は俺に着いて来た。」
「ア、アキと…間違えた…。」
俺が溜息を吐くと、毎度ビクビクしている。
───こんな状態で良く生き残ってきたな…。
嫌でもそんな言葉が脳裏を過ぎる。
しかし、行動を共にする事で分かった事もある。此処に着くまで何体もの雑魚ベアを討伐して来た。こいつは、異常な程に器用だ。その証拠として、こいつの服装には一切の傷や汚れが無い。
ここまで生き残って来れたのは、その器用さによるものだろう。
「…な、何?」
つい眺めてしまったせいか、イケは俺を警戒していた。
「お前さ、何でそんなにビクビクしてるんだ?俺が怖いのか?」
「な、何か、緊張しちゃって…。久しぶりだから、尚更…。」
アキやエアとは少し前から一緒にいたから忘れていたが、こいつとはもう何年も会っていなかった事を思い出した。
「別にお前に何かしようなんて思ってないぞ?」
恐らくこれは、長年地下帝国にいた弊害だ。
結局、外では俺も犯罪者扱いという事だろう。
───やっぱ、どいつもこいつもクソだな。
「…あ、あれ!」
イケが突然声を上げた。
イケが指した方向には、ベアらしき背中が見えた。しかし、それは雑魚ベアより遥かに大きかった。
俺とイケはほぼ同時に刃を抜いた。
ゆっくりと歩み寄るとベアは座りながら何かを食べている様子だった。
何かはよく見えなかったが、ベアの周りは僅かに赤く染っている。
ベチャベチャという音が聴こえ、微かに隙間から見えたそれは野生動物では無かった。
【ホウジンゾク】
俺はやや大きめの石をベアの後頭部に投げ付けた。
すると、ベアの動きは止まり、振り向くとギロっとこちらを睨み付けた。その眼は、死体の血が染まったように真っ赤に染まっていた。しかし、眼だけでは無い。口元や手にもドロっとした血液が付着していた。
ベアは立ち上がり、こちらへ猛進してきた。
全身はやや深緑色で四肢が他のベアよりも圧倒的に太い。そして、速い。
「イケッ!飛べッ!」
「う、うんッ!」
俺達はほぼ同時に羽根を動かし、上空へと昇った。
「イケ、時間を稼いでくれるか?」
「りょ、了解っ!」
イケはベアの元へと向かい、俺は後方へと回った。
イケが囮となっている間に、俺はベアの首の後ろへ思い切り刃を振り落とした。
刃は通り、深い傷を負わせた。
しかし…
「ふむ、中々良い腕だ。お前、俺達の仲間にならないか?」
俺は、このベアが何を言っているのか理解が追い付かなかった。
「…何言ってんだ。俺達はお前達を殺す。その為にここに居るっ!」
俺の反論にベアは高らかに笑った。
「何がおかしいっ!」
「ホウジンゾクがこれ程までに哀れだとは。こんな人達に先代は負けたのか。いやはや、恥ずかしい。」
ベアは明らかに俺達を侮辱した。
そして、ふと目をやると首の傷が既に治癒していたのだ。
「…何なんだこいつ。今までのベアとは何かが違う。」
「ヤ、ヤマッ!」
珍しくイケが大声で叫ぶ。
その大声で我に返ったが、俺はあのベアに思い切り叩き落とされた。
───クッソ…痛ぇ…………!?
俺は痛みと同時に羽根を失った事を悟った。
ゆっくりと背中に手を伸ばすも、全ての羽根を失っていた。
「イケッ!イケッ!羽根が!羽根が死んだァッ!」
俺はこの瞬間、地下帝国での一件を思い出した。
脳裏に過ぎったのは、地下帝国でのならずものを追い詰めた際の事。俺はその犯罪者の羽根を引き抜いた。苦しみ、叫び、助けを求めたその声を無視した。羽根を抜いた後、何度も何度も痛め付けた。
───あぁ…そうか…これは…俺がやった事…
ふと見上げるとそこに空は無く、不気味なベアの大きな顔があった。ベアはニヤリッと笑い、こちらを見下ろしていた。
「もう一度。仲間になる?」
俺はその威圧に耐え切れず、思わず頷いてしまった。
すると、ベアは俺から何もかもを奪った。
戦闘服や武器、道具の全てを奪った。
俺は下着姿のまま涙目を浮かべ、哀れな姿を晒している。
「よろしいっ。では、そこのベアに喰われろ。」
俺はハッとして後ろを振り返った。
そこには、腹を空かせた三メートル級の雑魚ベアが唾液を垂らしながら待機していたのだ。
「…おいっ!どういう事だっ!仲間になるって!」
「そうだ、仲間になるんだ。だから喰われろ。」
するとベアは、雑魚ベアに向かって合図を送った。
三メートル級の雑魚ベアは、勢いよく俺に飛びかかって来た。
俺は惨めにも泣き叫びながら走って逃げた。
そして、それを上空からイケが見ていた。
「おぉいッ!イケッ!助けてくれッ!羽根も…何もかも無いんだッ!頼むッ!頼むってッ!」
しかし、イケは震えてその場から動こうとはしなかった。
「テメェッ!ふざけんなよッ!一人だけ生き残ろうっていうのかッ!」
「ぼ、僕は…ベアの仲間になんかなりたくない…。」
───はっ?イケは、俺を見捨てるって事か?はっ?はっ?えっ?なんでなんでなんでなんで?やばいやばい、マジでやばいっ!
三メートル級のベアは、背後目前にまで迫って来ていた。
ならずものを痛め付けていたあの時、アキやキリによく言われた。
『そんな事していたら、いつか返ってくるよ。』
───本当に返って来ちまったじゃねぇか。あいつらがあんな事言い出したからだ。アキがさっさと俺を迎えに来てくれなかったからだ。いや、そもそも天才の俺を地下帝国にぶち込んだあのクソ軍団長のせいだっ。全部全部全部全部全部ッホウジンゾクのせいだッ!!!!!
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
俺は怒りのあまり、ベアへと立ち向かった。
当然適うはずもなく、押さえ付けられながら少しずつ肉を喰われた。
その痛みは想像を絶するものだった。
しかし、俺は抵抗した。
ベアの目を両手で握り潰したり、耳を噛んだりした。
ベアは苦しみながら違う方向へと進んで行き、最終的に森深くへと姿を消した。
「そんな格好でベアを追い払うとは大した根性だ。まああの程度で負けているようじゃ無理だがな。」
俺は声も出せず、至る所からの出血が止まらなかった。
「さぁ、お前には今二つの選択肢がある。このまま息絶えるか、ベアになるかだ。王のベアはベアを産む事しか出来ないが、俺はどんな奴でもベアに姿を変えることが出来る。お前程の奴なら、文句無しに変異種になれるだろう。その気があるなら手を出せ。」
瀕死状態の俺にもはやプライドなどは持ち合わせていなかった。
要は生きたいか、死にたいかだ。
恨みの炎を持ち合わせていた俺は、ゆっくりとベアに手を差し伸べた。
するとそのベアは、微笑みながら自身の名を名乗った。
「俺の名は、シシレン。百獣のベアだ。」




