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あとどれくらい生きられるか分からないので、大好きな幼馴染の夢を叶える話

作者: 神経水弱

 

 仕事帰りの電車の中、私はスマホの画面をじっと見つめていた。

 スマホの画面には、活動開始わずか1年でチャンネル登録者数100万人を突破した今話題沸騰中の人気Vtuber『紀美野きみの ネガイ』のライブ配信が映し出されている。

 ネガイは肩にかかるくらいの長さの漆黒の髪、そして金色の右目と深い紫色の目を持ち、視聴者に妖しげで幻想的な印象を与える半人半妖の18歳の男の子である。

 そんなネガイの柔らかな声が耳に届く瞬間だけが、私の疲れ切った日常を癒してくれる。


「今日も来てくれてありがとう、みんな!」


 彼の声がヘッドフォン越しに響く。その瞬間、胸がじんと熱くなる。顔も知らない、ただ画面の向こうで言葉を紡ぐ存在。それでも、私の中では彼が「現実」を生きる誰よりも大切な存在だった。


 19歳で社会人2年目。私、朝倉あさくら 萌愛もあは正直に言うと“社畜”だ。営業職として働いているけれど、上司の無理な要求や、終わりの見えない残業にすっかり疲れ果てている。

 唯一の救いは、Vtuber『紀美野 ネガイ』の配信を見る時間だった。ネガイの声は、私にとって唯一の居場所だ。



ーー5月下旬。



 LINEに母からのメッセージが届いた。


『ちょっと話があります。後で電話ください。』


 直感的に、いい話じゃないとわかった。帰宅してすぐ、震える指で母に電話をすると、予想以上に辛い現実が待っていた。


 「丈瑠くんの白血病が再発したって……。それで、お母さんから相談があったの。できたら、萌愛、帰ってきてくれない?」


 丈瑠――北由きたより 丈瑠たける。私の1歳年下の幼馴染。二重瞼でぱっちりとした目元と高い鼻が特徴で、正統派のイケメン男子。

 中学の頃、彼が初めて白血病になった時、私は毎日のように病院へ通った。彼が無事退院して以来、私はちょうど就職で上京して来たため、あまり会えていない。

 だけど特別な存在には変わりない。


 ずっと片思いしているからだ。


「……帰るよ」


 そう答えた時、自分の声が思った以上に震えていることに気づいた。翌日の仕事のことも、周囲の目も考えず、ただ丈瑠に会いたい。それだけだった。



ーー6月初旬。



 久しぶりの故郷に降り立つと、駅前の景色は少しだけ変わっていた。でも、変わらないものもあった。丈瑠の家もその一つだ。


「萌愛ちゃん、来てくれてありがとうね……」


 丈瑠のお母さんに迎えられて、私はお母さんに案内され、彼の部屋へと向かう。

 お母さんが部屋を開けると、病状とは打って変わって、元気で明るい声が私を迎えた。


「萌愛、久しぶり!」


 丈瑠はパジャマ姿で、ベッドの上で体を起こし、笑顔を見せて私を迎える。

 久しぶりに見るその顔に安心感もあった。

 けど今こうやって私に笑顔を見せている彼が難病に侵されているという事実に胸が締め付けられる。

 

 私は取り繕ったその場凌ぎの作り笑顔で久しぶりに再会した彼に、平々凡々に言葉を掛ける。


「おひさー。元気そうじゃん!……っていうのは、ちょっと違うか」


「まあね。でもまだまだ負けてないよ!てかむしろますます元気になってるって具合だしな!」


 そう言って、丈瑠は軽やかに拳を突き出し、わざと明るい声を出していた。

 言葉そのものは力強いけど、手の甲に残る注射痕や気のせいか少し痩せたような彼を目の当たりにし、病気の現状を改めて思い知らされた。


「お母さんから聞いた。なんて言うか…その…」


 身につまされた私は、結局何て言葉を掛けるのが正解かわからなくて、ただ唇を噛んだ。

 丈瑠は私の心情を察してか、一瞬だけ表情を曇らせた。でもすぐに私を宥めるように、いつもの柔らかい笑みを浮かべて口を開く。


「まぁ元気って言ってもな......タイムリミットまで時間は長くない。とはいえ幸いにもまだ半年以上あるしさ。それまでに、俺、後悔しないためにも、できることは全部やりきるつもりだから!」


「……そっか」


 彼の言葉を聞いて、私は彼から、彼の現状から目を背けるように俯いた。

 結局、それ以上何も言えなくなった。彼が一生懸命前を向こうとしているのに、水を差すようなことはしたくない。


 それでも、心の奥に広がる不安と悲しみを抑えるのは難しかった。


 そんな複雑な心境の中、私は丈瑠を置いて翌日始発で自宅に戻った。こんな時まで仕事のことを気にしている自分に遣る瀬ない気持ちでいっぱいになった。


 仕事に戻った翌日から、いつも以上に忙しい日々が始まった。プロジェクトの遅れを取り戻すため、残業や休日出勤が増えた。目の前の仕事をこなすだけで精一杯で、丈瑠のことを考える余裕なんてなかった。


 でも、そんな日々でも私の癒しは変わらない。夜、家に帰ると、スマホを開いて『紀美野 ネガイ』の配信を見る。それだけが私にとっての安らぎだった。


「みんな、今日も来てくれてありがとう!さてと...みんな!聞いてほしい話があるんだ。今から...少しだけ大事な話をさせてね」


いつものようにネガイの配信をつけたその夜、彼の声にはどこか緊張が混ざっていた。コメント欄には『何かあったの?』『大事な話って何?』と視聴者たちの疑問が飛び交う。


 私も息を飲み、画面を食い入る見つめる。

 スマホを持つ手に、手汗がじわっと滲み出てくるのを感じる。


「実は……半年後に、僕は引退することにしました」


 引退。思いもよらない言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。配信は続いていたけれど、耳に入るのはネガイの声ではなく、自分の鼓動ばかりだった。


「もちろん引退まで全力で活動するよ!後悔したくないから。限られた時間の中で、大切な人のために、夢を叶えるために、時間をもっと大事にしたいって思ってるから!」


 その言葉が、私の胸に突き刺さる。ネガイの気持ちは痛いほどわかる。だけど――その言葉に、なぜか丈瑠の姿が重なった。


 丈瑠の『後悔しないためにも、できることは全部やりきる』という言葉と彼が懸命に前を向いている姿を思い出し、私は無意識に拳を握った。


「……私も後悔したくない」


 その夜、真っ暗な自室で布団の上で横になり、目を閉じて自分の心の中を直視した。


 いつまでこのまま働き続けるのだろう。

 何のために。

 私が本当にしたいことは。


 夜明けの薄明かりの中で私は決めた。


 翌朝、会社のエントランスをくぐると、いつもの無機質な空間が違って見えた。机に座ると、私は意を決して、出張中の上司に連絡を入れた。


「……辞表を出したいです」


「急にどうしたんだ、萌愛?何かトラブルでもあったのか?」


 電話越しの上司の声は驚きと困惑に満ちていた。でも、私は一歩も引かなかった。


「私、やりたいことができました。今のままじゃ、それができない。きっと後悔すると思うんです」


 そう言い切ると、上司はしばらく黙っていた。でも、何も言わないまま電話を切るわけにはいかなかったのだろう。最終的には渋々「わかった」と返事があった。


 その瞬間、心が軽くなるのを感じた。


 家に帰ると、すぐに丈瑠の家に連絡を入れた。


「実は仕事を辞めて、実家に帰ることになったんです。またその時、丈瑠君に会いに行ってもいいですか?」


 丈瑠のお母さんは驚いた声色だったけれど、「それは丈瑠も喜ぶわ」と快諾してくれた。


 『これでいいんだ』と自分に言い聞かせた。丈瑠が頑張っているのに、私だけ何もしないなんて許されない。私も丈瑠と同じように『後悔しないためにできることは全部やるんだ』と心に決めた。



ーー8月の終わり。



 蝉の声が遠のき始める頃、私は再び丈瑠の家を訪れた。晴れた空に浮かぶ雲がどこか儚げで、心の中に広がる不安を増幅させるようだった。


 玄関を開けると、3か月ぶりに会う丈瑠のお母さんが笑顔で迎えてくれた。


「萌愛ちゃん、おかえりなさい。丈瑠も萌愛ちゃんの帰りを待ってたのよ」


 そう言って私を迎え入れると、丈瑠に部屋に案内し、丈瑠の部屋の扉をそっと開けた。

 パジャマ姿でベッドの上で座ってゲームのコントローラーを握っている丈瑠が、こちらに気づいて顔を上げた。


「お、帰ってきたな」


「うん、ただいま……相変わらず元気そうね」


 言葉ではそう言ったけど、3か月前よりも明らかにやつれている彼の顔を見て、タイムリミットが迫っていることを再認識させられた。


 それでも、彼の笑顔は変わらない。

 

 私は彼のその笑顔に覚悟を決めた。


 丈瑠と他愛ない話をしばらく続けた後、私は深呼吸を一つして、彼の顔をじっと見つめた。


「丈瑠」


「なに?」


 物言いたげな私の気持ちが声色に出ていたのか、丈瑠は目を二、三回ほどパチクリと瞬きさせ、首を傾げる。


「私...丈瑠のことが好き。ずっとずっと前から、好きなの」


 言い終えると同時に、心臓が早鐘のように打ち始めた。

 勇気を振り絞って伝えた言葉に、丈瑠は驚いたような表情を見せる。

 そして、しばらくの沈黙の後、丈瑠は静かに口を開いた。


「……ごめん、萌愛。僕は、萌愛の気持ちには応えられない」


 まるで刃物で胸を刺されたような感覚だった。心の奥が軋むように痛む。それでも、丈瑠の目に宿る真剣さに、私は何も言い返せなかった。


「それに、お願いがある。もう僕に会いに来ないでほしい」


「……どうして?」


「僕の病気は治らない……僕のことを好きだって言ってくれる萌愛に辛い思いをさせたくないから。言ってる意味、わかってくれるよね?」


 私に同意を求める丈瑠の声は震えていた。


 彼が私を突き放そうとしている理由がわかった。それでも、私はそれを受け入れることなんてできなかった。


「そんなの、私が決めることだよ……」


 そう言って私は丈瑠を部屋に残して、丈瑠の家から逃げるように帰ってしまった。


 丈瑠に言われた言葉の重みに押しつぶされそうになった。

 何も手につかず、実家の自室のベッドに倒れ込む。


 その日の夜、ふとスマホを見ると、Vtuber『紀美野 ネガイ』の配信通知が届いていた。いつもなら救いだったその通知にさえ、今日は触れる気になれなかった。


 何気なくベッドから起き上がり、ふと目についた机の引き出しを開ける。懐かしいもの、つまり丈瑠との思い出の品の一つや二つが出てくるかも...なんて期待をした。

 すると引き出しには一枚の白い封筒があった。

 記憶にない封筒。

 その封筒には『もあちゃんへ たけるより』と小学生低学年らしい拙い平仮名で書かれてあった。

 記憶の底から浮上する思い出。


 丈瑠が初めてくれたラブレターだ。


「懐かしい」


 自然と笑顔になる。


 開封すると丈瑠が昔くれた手紙とイラストが入ってあった。


「え...」


一緒に添えられたイラスト見て、一瞬時が止まったような衝撃が走る。


 イラストには小学生の時、私が丈瑠と一緒に考えて描いた『私の王子様』が描かれていた。


 肩にかかるくらいの長さの漆黒の髪、そして金色の右目と深い紫色の目を持ち、妖しげで幻想的な印象を与える半人半妖の絵。


 小学生が描いた拙い絵だけど、姿や特徴がネガイと一致していた。


まさか……。


 

 翌朝、私は丈瑠の家を訪れた。

 

「なんで来たの?」


 丈瑠は低く、冷たい声で私を迎え入れる。

 その目は、私の姿を捉えた途端にわずかに揺れ、けれどすぐに感情を押し殺すように暗く沈んでいった。


 部屋に案内されるまで沈黙が続いた。


 私は言葉を探した。でも、何を言っても彼を困らせるだけなのかもしれない。


 だから小細工なし、単刀直入に言った。


「昨日気づいたの。小学生の時にくれたイラストに、あれにネガイが書かれてたの。丈瑠と私が描いたやつ。私の未来の王子だなんて言って」


 丈瑠は顔を赤らめながら息を呑む。


「活動休止が決まったのだって、丈瑠の病気が再発したのと時期重なるし...丈瑠...丈瑠がネガイだよね?」


 丈瑠は「はぁぁ」とため息を吐いて、観念したよう頭を片手でわしゃわしゃと掻き、静かにうなずいた。


「そうだよ。僕がネガイだよ。できたら最後まで気づかれたくなかったけど」


「なんで言わなかったんだよ」


 そう訊くと、照れくさそうに頬染めて、また頭をぽりぽりと掻く。


「王子様になりたかったんだ。萌愛の願いを叶えるために」


「私の願い?」


「中学生の時だよ。入院してた時。見舞いに来てくれた萌愛がテレビ見てさ、言ってたじゃん。有名人に...憧れの有名人に画面の向こうから名前を呼ばれたいって」


 その言葉に私の奥底に眠っていた丈瑠とのあの日の記憶が鮮明に蘇った。


「あ...言ったね。たしかに言ったことある」


 あの日、たしかにあの言葉は私の本心から出た言葉だったかもしれない。でも丈瑠にそうなってほしいと懇願するように言ったわけではない。ただポロっと私の口から溢れるように発した何気ない言葉だったはずだ。


 そんな言葉を、そんな私の夢を、叶えるために丈瑠は頑張ってきたのか。


 その事実が、私の目頭を熱くする。

 そんな私を見て、丈瑠は私に何故か申し訳なさそうに顔を曇らせていく。


「実際の僕は病に侵されてズタボロだ。なのにこんな僕がネガイだなんて萌愛に言ったら、がっかりさせちゃう...もっと辛い思いをさせるって思ったんだ。だから言いたくなかった」


 丈瑠は相変わらず優しい。病気になっても、まだ私を思い遣ってくれる。そんな丈瑠が大好きだけど、嫌だった。だから私は丈瑠に本音をぶつけることにした。


涙を目に溢れさせながら、我ながら無様な姿だけど、後悔はしたくないから。


「違うんだってば!....私は!...私はただ丈瑠のそばにいたいだけなの!」


 私は感情を抑えず、ありのままの気持ちを叫ぶ。

 

 丈瑠は目を閉じ、深く息を吸った。そして、意を決したように、私の目をまっすぐに見つめた。


「萌愛、僕……僕は萌愛が好きだ。大好きだ!」


 その一言に、頭が真っ白になる。驚きと喜びで言葉を失った私を見て、丈瑠は続ける。


「ずっと、萌愛だけが好きだった。でも、こんな僕じゃ萌愛を幸せにできない。だから、萌愛の気持ちには応えられないって思ったんだ」


「そんなの勝手だよ……!」


 涙が止まらなかった。丈瑠は私の手をそっと握り、静かに微笑む。


「だったら、最後に...最後に一つだけお願いしてもいいかな?」


「なに?」


「ずっと一緒に居て。それ以外は何も望まないから、僕が死ぬその瞬間まで、隣りに居てほしいんだ」


「うん」


 私はその言葉に、小さく頷くしかなかった。涙でぼやけた視界の中で、丈瑠が微笑んでいるのが見えた。



ーー8月の終わり。



 丈瑠とようやく本心から心を通わせた私は、丈瑠との時間を少しでも多く過ごしたいと強く願うようになった。



 丈瑠の部屋で過ごす午後。

 

 窓から差し込む柔らかな日差しが、私たち二人を包み込んでいた。いつものように他愛のない話をしているうちに、ふと丈瑠が言った。


「僕、ネガイとしての配信は、クリスマスまで続けるつもりなんだ」


「クリスマス……?」


 丈瑠は微笑みながら続けた。


「最後の配信のクリスマスには、特別な配信をしようと思ってる。そこで……最後に...」


「最後に?」


 丈瑠は悪戯気にニヤける。


「まだ秘密!楽しみにしてて」


 丈瑠はそう言って話を切り上げた。


 そんな丈瑠に対して、心の中どこかで不安が膨らむのを感じた。



 丈瑠と過ごせるタイムリミットが迫る中、私たちは恋人としてかけがえのない日々をたくさんの思い出を詰め込んでいくように過ごした。

 またVtuber『紀美野 ネガイ』の配信も引退に向け、より一層私たち視聴者を毎日楽しませてくれた。



ーー時は流れ、クリスマスがやってきた。



 雪がちらつく寒い夜、丈瑠はいつもより少し張り切った様子で準備をしていた。


 丈瑠の提案で、私は配信スタジオに同行することになっていた。


「ネガイの最後の配信、萌愛に立ち会ってほしいんだ」


 スタジオに到着すると、丈瑠はセットを確認し、マイクやカメラの位置を整えていた。その様子を見守りながら、私は不安と期待が入り混じった気持ちで彼の後ろ姿を見つめていた。


「準備完了。よし...始めよう」


配信時間3分前。丈瑠は私に視線を向け、小さく頷いて開始の合図を送ると、マイクの前に立った。私は配信の邪魔にならないようにカメラの奥から丈瑠を、ネガイのラスト配信をそっと見守る。


 配信がスタートする。


「みんな、今日も来てくれてありがとう。そして、メリークリスマス!」


 いつも通りの明るい声。私はスマホ側からも一ファンとして、配信の反応を確認する。コメント欄は視聴者からの挨拶や感謝の言葉で埋め尽くされていた。丈瑠は楽しそうにコメントを読み上げて、いつも通りに配信を進めていく。


 本当に楽しそうで、終始笑顔の丈瑠に、なぜか私は一抹の寂しさを覚える。

 

 彼にとって、この楽しい時間も、配信も、最後になるのだと思うと私は思わず目に涙が浮かんだ。


 配信も終盤に差し掛かる頃、丈瑠は一変して、真剣な表情になった。


「今日は僕の最後の配信です」


 その言葉に胸が締め付けられる。


 コメント欄でも騒然となる。本当に最後の配信であることに視聴者からは驚きと悲しみの声が流れ続ける中、丈瑠は静かに語り始めた。


「僕がネガイになった理由、それは……僕にとって大切な人が、『一度でいいから有名人に名前を呼ばれたい』って言ったからなんだ」


 丈瑠は私に一瞬だけ、笑顔で視線を移す。

 私は息をのんだ。視聴者たちはその「大切な人」が誰なのか知らないまま、ただ画面越しに聞いているのだろう。でもそれが自分であることを知っている。


 丈瑠は続ける。


「今日、僕が最後に歌う曲は、その人の大好きな曲です」


 音楽が流れ始めた。イントロが流れ、丈瑠がマイクを握る。


「……月のしずく、聴いてください」


 私が大好きな柴咲コウの『月のしずく』をそれはそれは見事な歌唱力で、そして自分の全てを注ぎ込むように歌う。

 まるで彼がいなくなった後、私が道に迷わないように願いを込めたメッセージを帯びていた。彼がいなくなった後も、私は彼を求め、探し続けるかのように、逢いたいと願い、思い続けるだろう。

 それでも前を向いて歩いてほしいと言っているように、聞こえてならなかった。

 私はそんな丈瑠の...ネガイの歌に、カメラの向こう側で涙をこらえることができなかった。


 配信が終わった後、スタジオの静寂が私たちを包んだ。丈瑠は私の方を振り返り、そっと手を差し出した。


「泣きすぎだよ、萌愛」


「だって……だって、こんなの反則だよ」


 涙を流しながら私が言うと、丈瑠は優しく微笑んで、私を抱きしめた。その腕の温もりが、この上なく愛おしかった。


「ありがとう、萌愛。君がいたから、僕はここまで頑張れた」


 その言葉に、私もまた「ありがとう」と伝えた。これほどの幸せはもう二度とないかもしれない。そんな幸せをくれる丈瑠は私にとって昔、夢見た王子様そのものだった。



ーーこの配信が、丈瑠が私にくれた最後のクリスマスプレゼントとなった。



 年が明けると同時に、丈瑠の体調は急激に悪化し始めた。


 病院に入院することになった。


 わかってはいた。


 それでも、彼は私の前では弱音を吐くことはなかった。私はタイムリミットのその日まで毎日丈瑠の元へ通い、できる限りそばにいることに決めていた。


 1月中旬のある日、丈瑠はいつもより苦しそうだった。息をするたびに体が震えているのがわかる。それでも、丈瑠は微笑みを絶やさない。


「大丈夫だから、心配しすぎないで」


「心配しないわけないでしょ……!」


 私は思わず声を荒げた。彼の無理を知りながら、それを受け入れざるを得ない自分に苛立ちを感じていた。


 その日の夕方、丈瑠は私の20歳の誕生日を一緒に祝ってくれた。ケーキのロウソクに火を灯し、二人で小さな拍手を送る。けれど、彼の頬はやつれ、手のひらも冷たかった。


「これ、誕生日プレゼント。受け取ってほしい」


 丈瑠が差し出したのは、綺麗にプレゼント用の包装用しでラッピングされたDVDだった。


「これは?」


「中身は秘密。俺の病気が治ったら見てほしいんだ」


 彼がそう言うと、私は胸が締め付けられるような思いになった。そんな約束、丈瑠がどれほど辛いか知っているからこそ、受け取るのが苦しかった。


「……わかった。早く治してよ、丈瑠。それまで楽しみにしてちゃんと取っておくからね」


 私は涙をこらえながらそう言い、DVDをそっと胸に抱いた。


 2月に入ると、丈瑠はほとんどベッドから起き上がることができなくなった。彼の19歳の誕生日が近づく中で、私は目の前に迫るタイムリミットとそれと共にやって来る現実に向き合わざるを得なかった。



「萌愛……ありがとう」


 小さく息をして、微かに笑みを浮かべながら丈瑠が弱々しい声でそう言ったのは、彼の誕生日の前日のことだった。

 彼が頑張って声に出した『ありがとう』は私の胸を締め付ける。まるで『さよなら』と言っているかのように聞こえたからだ。

 私は大粒の涙をポロポロとこぼし、彼が離れないように私は力強く手を握りしめていた。


「何を言ってるの?...ねぇ?...いっぱい...私、まだいっぱい丈瑠にお返ししないといけないの!まだまだ離れたくないの!...そんなお別れみたいな感じで...言わないでよ.....」


 彼は微かに笑った後、小さな声でつぶやく。


「ずっと.........愛してる……ありがとう……」


 言葉は途切れたけれど、私はそれ以上何も言わせなかった。


「やだやだやだ...お別れなんて嫌だ...私には丈瑠しかいないの....だから……お願い...離れないでよ...。」


 私は涙を流しながらそう告げる。丈瑠の目はうっすらと潤んでいた。


「ありがとう……」


 それが、彼の最期の言葉だった。


 翌朝、丈瑠は静かに息を引き取った。


 ちょうど彼の19歳の誕生日だった。雪がちらつく冷たい朝、私はただ彼の手を握りしめ、涙を流し続けた。



ーー3月。



 誕生日プレゼントにもらったDVDを私はようやく手に取る勇気を持った。

 プレイヤーにディスクを入れると、そこにはネガイが映し出されていた。

 だが、雰囲気や声はネガイではなく、丈瑠だった。


「萌愛、これを見てくれてるってことは、僕はもういないんだろうね」


 画面越しの丈瑠の声が、私の胸を突き刺した。涙が止まらない。


「萌愛に伝えたいことがあって、これを撮りました。それは僕がネガイとしてVtuberを始めた理由を萌愛にだけ伝えたかったからだよ。昔、萌愛が『有名人に名前を呼ばれたい』って言ったのを覚えてるかな?僕はね、大好きな萌愛の夢を、残りのわずかな時間で叶えるためにネガイになったんだ。まぁ、夢変わってたら、ごめんだけど...」


 画面の中で、丈瑠は少しだけ照れたように笑う。


「とにかくさ、僕が萌愛の名前を呼びたかったんだ。画面越しで、萌愛の王子様として、伝えたいことがあったんだ。それは……」


 丈瑠は一呼吸置いた後、真剣な表情でカメラを見つめた。


「僕は朝倉 萌愛が……大好きです。ずっとずっと、今も萌愛だけを愛して、想ってるよ」


 その言葉を聞いた瞬間、私は泣き崩れた。画面の中の丈瑠は、最後にこう言った。


「後悔のない人生を生きて。僕の分も、精一杯、生きてほしい。それが僕が望む最後の願いです」


 私はDVDをそっと閉じた後、涙を拭って空を見上げた。春の陽光が、暖かく私を包み込む。


 彼は最期に私の夢を叶えてくれた。

 残りわずかな余命の中でも、私を愛して、最期まで私の願いを叶えるために。



「ありがとうね、丈瑠」


 私は涙を拭い、彼の想いを胸に、私は前を向いて歩き出した。






ーー丈瑠、中学3年生の思い出。



 病院の白い天井を見上げながら、僕は深く息を吐いた。点滴の管が絡まる腕が痛々しい。中学3年生の春、学校にも行けず、ただ病室で過ごす毎日。外で吹く風や、誰かの笑い声さえ遠い世界の出来事のように感じられた。


「丈瑠、大丈夫?」


 柔らかな声に、僕は笑顔で顔を向けた。素直に嬉しさが滲み出た。


「うん、今日も点滴だけだから暇なんだ」


「そっか。でも、暇だからって一人で暗い顔してたらダメだよ。ほら、こんな可愛いお菓子持ってきたんだから」


病室の扉を開けて入ってきたのは幼馴染の萌愛だった。先日、入学したばかりの高校1年生の萌愛は高校の制服のせいか、どこか大人っぽく見えた。


 高校生って、放課後には友達と出かけたり、部活も中学なんかと比べて盛んだ聞いていた。なのに彼女はそんな楽しみを捨てるかのように、僕なんかのために毎日お見舞いに来るのだ。


「なあ、萌愛」


「なに?」


「んーやっぱなんもない」


「なにそれー。めっちゃ気になるんですけどお」


 言えなかった。

 

 『気を遣わなくてもいいから、高校生活を満喫して』なんて言ったら、もう来てくれないような気がしたから。


 申し訳なさに、胸が締め付けられる。


 そんな僕を他所に、萌愛は鼻歌を歌いながら上機嫌に袋からカラフルな包装の飴を取り出す。


「のど飴って...なんかおばあちゃんみたい」


 僕は思わず笑みを溢す傍ら、萌愛はぷくっと頬を膨らませる。

 

「おばあちゃんって、ひどくない?せっかく喜ぶかなと思って持ってきたのに!」


「あぁ、嘘嘘!ありがたくもらうよ」


 そう言って、萌愛の頭を軽くぽんぽんと宥めるように叩く。

 萌愛はぷいっと顔を僕から背ける。

 どうやら本当に怒っているようだ。


「嘘でもおばあちゃんは失礼でしょ!私、ぴちぴちのJKなんですけど」


「あ...いや、ほんとにごめんて」


 少し焦っている僕を見て、彼女は「ふふっ」と肩を揺らし、悪戯気な顔をして笑う。


「嘘嘘!冗談だよ」


「やられたあ」


「やられたやりかえす!倍返しだ!」


「いや、等倍だろ」


 そうやって団欒を楽しむ僕と彼女。


 やっぱり僕はこの時間が一番大好きだ。


 彼女と居れるこの時間が。


 だから僕は彼女に素直に伝えた。


「萌愛、いつも本当にありがとう。毎日来てくれて」


「なになに、急に改まって?」


「いや、別に」


「てか、私が来たくて来てるだけだから」


 萌愛は少し照れくさそうに俯いた後、僕に笑顔を見せて、ベッドの横に腰を下ろした。その無邪気さが、僕の心を救っていた。


「てかさ丈瑠!丈瑠は元気になったらやりたいことある?」


 萌愛が突然、目を輝かせながら聞いてきた。僕は少し考えた後、その場凌ぎの笑顔を浮かべながら首を横に振った。


「特にないかな。病気治ったら、普通に学校行って、みんなと遊べればそれでいい」


「そっか……。普通が一番だもんね」


 萌愛は小さく頷いた後、ぽつりと呟く。


「私はね……一度でいいから、有名人に名前を呼ばれてみたいな」


「有名人?」


 僕は意外な彼女の夢に眉を上げた。萌愛は恥ずかしそうに笑いながら続ける。


「テレビとかで、誰かの名前を呼んでもらうの、ちょっと憧れるじゃん。『朝倉萌愛さん』って、ちゃんと名前で呼ばれるのが夢なんだよね」


「そんなの簡単だろ。何かしらの番組のコーナーの応募メールとかで送ればいいんじゃないの?」


 しかし僕の言葉に、萌愛は首を横に振る。


「うーん、それじゃちょっと違うんだよね。もっとこう……特別な感じがいいの。相手は私を知ってて、なんて言うかな...画面の向こうから、ちゃんと私に向けて話してくれるみたいな。愛を叫ぶみたいな?」


「壮大だな」


 萌愛は顔を赤くして、慌てて意見を肯定する。


「だから夢なんじゃん!」


「なるほどね……」


「ま、先に丈瑠の願いを叶えるとしますか!」


「なら壮大に頼む」


「壮大にって...じゃあいっぱい遊びに連れ回すから!」


「あいよ!楽しみにしてる」


「だから早く病気、治しなさいよ!」


「言われてなくても治すよ」


 終始笑顔で話す僕たちだが、心なしか萌愛の表情は切なさが混じっているように思えた。


 

 その夜、僕はベッドに横になりながら、萌愛と語り明かした将来の夢の話を何度も思い出していた。


「……僕にできること、あるかな」


 僕は自分の病状を知っている。

 この先、どれだけ生きられるかもわからないし、どれだけ普通の生活を送れるかわからない。

 でも、もしも叶えられるのなら――僕は萌愛の夢を叶えてあげたい。彼女が笑顔になれるなら、自分の時間を使ってでも。


 その日、僕は初めて自分の『夢』を心に抱いた。


 それは『朝倉萌愛の王子様になって、スクリーンデビューして、そして彼女に感謝の気持ちと......を伝えること』だ。


「絶対、叶えてみせる」


 静かな病室に響いた小さな決意の声は、誰にも聞こえなかった。



まだまだ未熟者で勉強中ですので、おかしい点や不明な点、また誤植、誤字、脱字があればぜひ教えてください!

あ、友達のように気軽に教えてくださいね!


もし仮に、上記に当てはまらず、純粋に良かったと思っていただいた場合はお星様★★★★★をお願いします。

めっちゃ喜びます(๑˃̵ᴗ˂̵)

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