5.忍び寄る影
カラオケに行くのは人生で初めてだ。
週末に男子4人、女子4人の計8人で街へ繰り出し、入り口に色とりどりの風船が飾ってあるカラオケ店に恐る恐る足を踏み入れた。
「俺、初めてなんだよな」
個室に入り、俺がそう言うと「えー! まじ!」「それって天然記念物やん」と男子も女子も面白がった。そうか、俺と同じ歳の子は中学に上がるまでにカラオケデビューをしているものなのか、と悟る。
チラリと横目で詩織のことを見た。彼女も、カラオケが好きなんだろうか。大人しい彼女が歌を歌うところを見てみたいとも思う。
「んじゃ、あたしから歌いまーす!」
弾ける笑顔でマイクを手に取り一番手で歌を歌い出したのは有村莉緒。クラスで一番元気な女の子だ。ちなみに、ここにいるやつらは全員他小出身だった。
有村の明るい歌声に、女子も男子も大盛り上がり。こういうとき、どうやって場を盛り上げたらいいのか分からない俺は、とにかく他の男子と同じように腕を上げ、「フー!」とか「いけー!」とかそれらしい声援を送った。
詩織は笑顔で手を叩いている。彼女は、自分とは明らかに性格の異なる人間たちと一緒にいて、本当に楽しいのだろうか。俺だったら疲れるだろうなあと想像しながら、それでも彼女が時々俺に向けてくれる優しいまなざしを素直に受け取った。もしできるのなら、彼女と話をしてみたかったし、彼女が有村たちと一緒にいるわけを聞きたかった。俺のことも知って欲しいし、好きなゲームの話をしたかった。
大勢でいても、常に詩織のことを目で追っていた。周りの盛り上がりに完全には溶け込まず、かといって露骨に嫌そうな顔をすることもない。その場の雰囲気に合わせて、流れに身を任せる彼女が本当はなにを思ってそこにいるのか、聞き出したい。
「鍋島さん」
カラオケ合戦が終わり、皆で帰路につく。気がつけばもう夕方。一体何時間歌っていたんだろうと呆れるくらい長い時間だった。
俺は勇気を振り絞り、彼女に声をかけた。他のやつらは各々別で話をしていたから、今がチャンスだと思ったのだ。
彼女はとても驚いた表情をして、俺の方を振り返った。
「どうしたの」
お互い、直接口を利くのは初めてだった。彼女の声は先ほどカラオケで歌を歌っていた時と同じで透き通るような高い声をしていた。
「あのさ……電話番号教えてくれへんかなって」
人生でこんなに恥ずかしいと思うことは初めてだった。
まさか俺が。小学生の頃は誰もが恐れ、女子とまともに話したことのなかった俺が。
気になる女の子に自分から声をかけ、あまつさえ番号を聞き出そうだなんて。
背中の汗がTシャツに滲んで気持ち悪かった。耳に熱が集中していくのが分かり、頼むから他のやつらは見ないでくれと祈った。
「うん、いいよ。でも、メールじゃダメ?」
必死の思いが通じたのか、彼女が答えてくれたことが嬉しくて心臓が大きく跳ねた。
「ごめん。俺、自分の携帯持ってへんから」
「あ、そっか。じゃあいいよ、番号で」
彼女はあっさりと、俺の願いを聞き入れてくれ、携帯番号をメモした紙を俺に差し出した。
「ありがとう!」
感極まった俺は自分の番号を彼女に伝えるのも忘れて、彼女の携帯番号が書かれたメモを握りしめた。
これは俺の勇気と更生の勲章だ。
「悪魔の子」などと呼ばれていた自分はもういない。
これからは普通の人と同じように、胸を張って歩こう。見慣れているはずの田舎道の夕暮れが、今日はすごく綺麗だと思えた。
しかし、俺はこのとき知らなかった。
俺と詩織が話している様子を、振り返って見ていた有村たちの視線の違和感を。
その瞳が、明らかに不快な色をしていたことも、俺は知らなかったのだ。