2.再会
その日の夕方、市ヶ谷から明日の検査について聞かされた。怪我の経過を調べるために行うとのことだったが、実際の検査では何やら心理テストのような問答も繰り広げられた。まあ、大した検査ではないのだろうと鷹を括っていたが。
検査後、結果について調べるのに少し時間が欲しいと市ヶ谷に言われ、そのまま入院生活が続いた。世間は新しい年の始まりに、ソワソワと心がざわめいているところだが、入院患者に正月などない。リハビリが終わり、きちんと歩けるようになれば俺は退院できるらしい。その後ヒナには会えていない。市ヶ谷があまり頻繁に会いに行くのはよせと言うからだ。俺も、自由に動かせない身体を無理やり動かすと疲れるため、病室で一人、妻の実花を偲ぶ毎日だった。
実花の死に目に、俺は会うことができなかった。お通夜も葬儀も義両親が執り行った。寂しくないと言えば強がりだ。俺はまだ、心に開いた穴を塞ぐことができない。
それに、俺だけじゃない。きっとヒナだって、辛いはずだ。10歳にして母親を亡くしたのだから。
そうだ、ヒナがいる。
俺は、悲しみに沈んで立ち止まっている場合じゃない。母親がいなくても、ヒナをこの先幸せにしなければならない。今は不安しかないけれど、俯いてばかりでは実花が悲しむ。
実花の笑顔を思い出す。鮮明に脳に刻まれた記憶が、どうかこの先一生色褪せることのないよう祈るばかりだ。
検査から一週間後、俺の病室にやってきたのは市ヶ谷ではなく、意外な人物だった。
「……久しぶり」
病室の扉から顔を覗かせたのは、見慣れたはずの妹・咲良だ。
「咲良、どうして」
妹と会うなんて、一体いつぶりだろう。
俺は地元である大阪の片田舎から、現在は家族で大阪市内に暮らしていた。一方咲良は、新卒で東京の出版社に就職してからこれまで、ずっと東京で一人暮らしをしている。
ただでさえ、決して仲が良いとは言えない兄弟だ。
特に咲良がまだ小さい頃は、毎日のように彼女を泣かせていた。よくある兄弟喧嘩と言えばそうだが、その後も治らない俺の暴力癖に、咲良はきっと怯えていただろう。
母親に怪我をさせたあの事件以後、俺は二度と他人や家族を傷つけないと誓って生きてきた。その甲斐あってか、市ヶ谷のようにまともな友人ができ、他にも多くはないが、気の許せる人たちもいる。
ようやく普通に接することができる人間として、咲良も認めてくれたということだろうか。
「そりゃ、これだけの事故だもん。お兄ちゃんも大変だったね。実花さんが、こんなことになるなんて……」
すっかり東京の訛りになっている咲良は来年で36歳だ。お互い、良い大人になったものだと、呑気に妹の成長に驚く。
「参ったよ、ほんまに。ちょっと前までは普通の家族やったのに」
ある日突然、大切な人が目の前からいなくなる。
そんなこと、テレビの向こう側だけで起こることだと思っていた。日々流れてくる痛ましいニュースを、俺は一週間だって覚えていられなかった。所詮、人間など自分の身に降りかかってくること以外、興味を持てないのだ。
「うん。実花さんの葬儀、きちんと最後まで見届けてきた。だから安心して」
咲良は、母親のような表情で俺にそう告げた。俺が塞ぎ込んでいると思って、励ましに来てくれたのだ。かつてあれだけ「ダメな」兄貴だったのに。それとも、小さい頃の記憶など、もう咲良にとってはどうでもいいことなんだろうか。