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読んでくれたらちょっと嬉しい

ハローぺてん師

作者: 阿部千代

 潮が引くように気力が衰えていく。すべてが不愉快で、味気ないものに思える。まるで漬物石を頭の上に乗せられているような気分。心を駆り立てるものがなにひとつない。ああ、わかっているさ。いや。わかっていないか。おれはなにもわかっちゃいない。

 イメージをするんだ。なにか楽しいこと……。心浮き立つごきげんなこと……。友人と酒を飲みながら語らうのは楽しいね。すごく充実した、幸せな気分になれる。そうだな、あとはガールズバーで自分よりも若い女性と話すのも楽しいよ。彼女たちはおれの話で、けらけら笑ってくれるんだ。とてもいい気分になれるね。しばらくすると彼女たちは、おれが払わなければならない金額の書いた紙を、申し訳なさそうに持ってきてくれる。結構な額だ。そんな悲しい顔するなって、ベイビーちゃんたち。ちゃんと払えるってば。

 働かずにのらくらできるのはあとどれくらいだ? あと二月、いや三か月は耐えられそうだ……。


 刀折れ矢尽きて、それでもなお、こうして文章を書こうとしているおれを、まずは褒めてあげたい。偉いぞ。偉くねえよ。なにか愉快なことでも書いて、あなたを笑わせてあげたいが、とてもじゃないがそんなことはできそうにもない。いかなるときでも太陽のような人間でいたいのはやまやまだ。冷や汗をかきながらも笑顔を忘れず。最悪の瞬間にだってユーモアを忘れない。そんな人間で。

 札付きの悪漢連中に袋小路に追い詰められた。わかっているぜ、おまえらの狙いはこの子だろ。連中は暴力の専門家、めちゃめちゃ痛くておっかない手段を知り尽くしている。絶対絶命のピンチ、でも怖がらないで、おれのとなりにいるきみよ。おれがついてる、なにも心配はいらない、実はもう既にこの窮地を切り抜ける妙案は思いついているんだ。おれが合図を出したら、きみは脇目も振らずに、連中の脇を走り抜けるんだ。いいね? おれは連中に余裕しゃくしゃくで軽口を叩く。連中がかっかしてやがる。いいぞ。もっと近づいてこい。そうだ、もう少し、あと一歩。今だ――。

 かつてこんな場面がおれの人生にあった。だいぶ大袈裟にしているけれど、大袈裟というか限りなく出鱈目に近いけれど、似ているといえばかろうじて似ていなくもない場面が。

 だが現実ってのは、おれときみのためにあるわけじゃない。誰のためにもあるわけじゃない。ただそこにあるのが現実なんだ。いちど冷静になって計算機を叩いてみれば、冷酷な数字が出てくるのが現実なんだ。おれはそれを知らなかった。知っていたつもりで、なにも知らなかった。精一杯カッコつけて、盛大にしくじった。そのせいで、おれもきみも、深く傷ついた。

 おれはおれのせいで数々の傷を負った。今日みたいな気分のときは、その古傷がそれとなく囁くんだ。おれは醜いろくでなしだ。わかっている。わかりきっていることを、今更なんだってんだよ。いいや、わかってない。おれはなにもわかっちゃいない。精算はまだまだ済んじゃいないぞ。おれは醜いろくでなしだ。


 そうだな、おれはなにも辛気くさいことを書きたいわけじゃない。書いているつもりもない。ただもっと……人を幸せにするような文章を書けたら、どんなに素敵なことだろうなって、そう思っているだけなんだ。

 文章なんて大して珍しいものじゃない。この世界には文章が溢れかえってる。ほとんどの文章が読み手に恵まれず、さまよって、行き場をなくして、そのまま腐ってゆく……。そんななかで、おれごときがなにを書くことがあるっていうんだ? もちろん。そんなものはない。書くべきことも、書く意味も、なにもない。そして残念ながら、おれの書いている文章では人は幸せにはなれない。

 それでも、おれはおれのやり方で文章を書き留める。申し訳ない。それしかやり方を知らないんだ。おれは言葉繋ぎレースにも参加していないし、金も名声も求めちゃいない。誰の邪魔もしないよ。お先にどうぞ。頑張って。


 かつてはおれの中から文章が湧き出ていた。扉を開ければ我先にと飛び出してきたのだ。おれはただそいつを書き記すだけ。頭を絞る必要はなかった。ただひたすら書くだけだ。まさかつっかえつっかえ書き進めるはめになるなんて考えもしなかった。こんなことになるなんてな。

 おれはどうしてもあの感覚を取り戻したい。途方に暮れたまま老いていくなんて我慢できるわけがない。誰もおれの文章を必要としちゃいないだろうが、おれには必要なものだ。文章がおれを守ってくれる。どうしようもないことどもから。そうだ、おれは大したロマンチストだ。吐き気がするほどの。エゴイストでもありナルシストでもある。ほらね。文章を書いていたら段々元気になってきた。


 ずいぶんと長い夜だ。文章を書いていると一日がゆっくり進む。ビデオゲームばかりやっていたときは一日なんてあっという間にすっ飛んでいった。どっちが充実しているかなんて酷なことを聞かないでくれ。おれにはとても決められそうもない。ビデオゲームへの恋心もまだ残っているんでね。だが最近学んだことがある。ビデオゲームと文章、二股の恋は成立しない。例え一日が24時間以上あったとしてもだ。

 いまのおれの恋人は文章だ。ビデオゲームには本当に悪いけどね。

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