ロイ
湖の底から浮き上がる時のように、ふわりと意識が浮上していく。
ぼやぼやとした視界、なかなか焦点があいずらくなってきたのは何時からだろうか。昔はどこまでも見通せたのに。
さて、早く起きないと鞭で打たれる。それとも焼き石をあてられるかもしれない。
そう自分に言い聞かせて無理やり意識をハッキリとさせた。
「え…」
(睫毛なが)
目の前にはどアップの男の顔。
リーネは一瞬叫びそうになるのを何とかこらえ、まじまじとその顔を観察した。
(確か、ロイって言ってたな…めちゃくちゃ美人だし、睫毛ながすぎんだろ…この人が俺の新しいご主人様?)
そこまで考えたところで、体がとても温かく柔らかいことに気がつく。
(まさか、ベッドで俺寝てるの?!は?何年ぶり…じゃなくて、さすがに殺される…奴隷の分際でベッドなんて、しかもご主人様と!!)
慌てて、起き上がろうとするが、相変わらず体には力が入らないし、なんなら目の前の男にしっかりと腕を掴まれているため、身動きが取れない。
「おきた、のか」
「あ」
目の前の男がいよいよ目を覚ましてしまった。
「ごめんなさ、あ、いや、申し訳ございません!俺、こんな…罰なら受けます」
「は?何言ってんだ…俺がここに寝かせたんだ」
気にするな、もう少し寝よう。そう言って、リーネの肩を抱くと、そのまま自分の胸元にしっかりと抱き寄せて、男…ロイはそのまま、また眠りについた。
ロイのがっしりとした体には閉じ込められたリーネは、いよいよ気が動転してくる。心臓はバクバクなるし、冷や汗もでる。もちろん寝付けるわけなく、リーネは結局朝まで眠ることは無かった。
日が登り、鳥たちが鳴き出す頃、ようやく目を覚ましたロイは、リーネをバスルームに連れていき、汚れを落としてこいと石鹸を投げる。
それをなんとかキャッチし、リーネは豪華絢爛…とまではいかないが、かつて仕えていたシャルドン家に比べたらかなり豪華な作りのバスルームへと閉じ込められた。
洗うまで出てくるなということだろう、とリーネは一人納得し、水を出す。冬の朝の水はなかなか傷口にしみてこたえたが、今までば泥混じりの水や川で体を洗っていたため、こんな綺麗な水で体を洗えるのは嬉しかった。
(余程の金持ちなんだな)
石鹸で頭から体としっかり汚れを落とし、水で洗い流す、ぶるぶると体は震えたが、何とか体を動かしてバスルームからでようとしたが、タオルなどを勝手に使っていいかわからず、リーネは立ちすくむ。
(どうしよう)
何が正解なんて分かるわけなかった。
全てはご主人様の気分次第、今日黒だったものも明日には白になって、折檻を受ける。それが当たり前の毎日だった。
「あの」
思い切って、リーネはドアの外にいるだろうロイに声をかけた。
「どうした」
返事がすぐにあり、ドアが開けられる。
濡れ鼠のリーネと、酷く驚いた顔をするロイの目が合う。
(こいつ…昨日は気が付かなかったが、酷い傷だ…は?まさか、こいつ)
「水で洗ったのか!!」
ロイから発せられた大きな声に、思わずリーネはビクっと震えて、その場で崩れ落ちるように跪く。
奴隷の癖のようなものだ。怒鳴られればすぐに許しを請う。床に額をあて、お許しくださいと。
「申し訳ございません!」
「よ、よせ。やめろ。こんなに冷えてるじゃないか…ああ、クソ!俺が悪かった。待ってろすぐに湯をはるから…リーネ、立てるか?」
口早にそう言われ、リーネはなんと返していいかわからず、ただただ頭を下げる。
もう、埒が明かないと悟ったロイは、蛇口をめいいっぱい捻り湯を出してバスタブにためだし、自分も服を脱いで、リーネを姫抱きにして持ち上げた。
さすがのこの事態にリーネも慌て出す。
「え、あの!なにを」
「お前このまま入っても溺死しそうだから、俺もはいる」
「え、あ…でも」
リーネの小さな抵抗など見えないといったふうに、ロイはそのままざぶんと湯に浸かる。
足元からだんだんと温まっていく体には、リーネはなんだか泣きそうになった。
「俺はお前の世話係だ。気にすんな」
「世話係?ご主人様じゃなくて?」
思わず聞き返してしまったことに、リーネは慌てて謝るが、ロイは気にした様子もなくリーネの問いに答える。
「ああ、そうだ。俺は、このローデンワイナ王国の貴族シェラード伯爵家に使えている。今回お前は、ヴィクター・シェラードという男に買われたんだ。で、俺はお前の世話係。これからは俺が一緒だ」
「ロイ、さまと一緒?」
「様はいらねえ、ロイでいい」
「いや、さすがに…」
「じゃあ、命令」
「…わかった」
その後さらにリーネはロイから今の状況を教えてもらうことが出来た。
そもそもシェラード家というのは、現王であるローデンワイナ国王陛下であるオーガス5世の最も信頼を置かれている貴族らしい。
その当主である、ヴィクター・シェラードがある日突然、リーネという奴隷を手に入れろとロイに命じたとのこと。
ちなみにロイは、もともとは貴族の出ではあるが、既にその家は捨てシェラード家の庇護下にあるらしく、主に仕事はヴィクター・シェラードの護衛などで、とにかくなんでもこなすとの事だった。
しっかりと温まったリーネの髪を乾かしながら、ロイはこの任にあたれて俺は嬉しかったと、少し微笑んだのだった。
「この後はヴィクター・シェラードに謁見する」
「わ、わかりました」
「俺には敬語入らない」
「…わかった。それで、俺はここで何をすればいいの?」
さらに綺麗に身を整えられ、今は爪をロイに研がれている。そんなこと初めてで、リーネはとても恥ずかしい思いをしたが、しっかりとリーネの手を掴むロイの手を振り払うことは出来なかった。
「さあな、俺も詳しくは聞いてない…ただ、もし、お前が辛い目にあうなら…」
ロイが手を止める。
そして、両の手でリーネの頬を包むと、額にキスを落とし微笑んだ。
「俺がお前を連れてこの世の果てまで逃げてやるよ」
「んなっ!?」
「ええー逃避行の約束ー?ロイはひどい奴だ」
「え?」
誰?