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宿木  作者: 宇美百子
番外編
5/5

チアーズ、マイダーリン!

 見つけた、と電話口から声がして、あたりを見回していると彼女が走ってこちらへ向かってきた。携帯を耳から離し、俺も彼女の方へ向かう。


「また時間より先に着いてたの?」

「だって、海星のこと待ってるの楽しいから」


 へへへ、と頬と鼻先を真っ赤にして笑う恋人はかわいいが、やっぱり心配が勝つ。肩をすくめてもこもこのマフラーに頬を埋める彼女の表情に、小さく違和感を覚えた。

 今日の彼女は黒いニットに黄色と黒のチェックのロングスカートを合わせ、上から白いボアブルゾンを身につけていた。黒いブーツは踵の高いものなので、いつもより少しだけ彼女の顔が近い。

 白いふわふわしたマフラーは、俺が今年あげた誕生日プレゼントだ。焦茶の髪も丁寧に巻かれているようだが、マフラーの中に隠れてしまっていた。


「寒い? カイロ要る?」

「ううん、大丈夫。手、つなご」


 はい、と俺より一回りほど小さそうな手を差し出されたので、恋人つなぎをして俺の上着のポケットにそのまま突っ込む。


「海星が心配しなくても、わたし、そんなに寒くないよ?」

「こんな手冷え冷えにして何言ってんだか」

「冷え性だからだもん」

「俺だって清花のこと待ってたいから、今度からはゆっくり来てよ」

「……努力、する」


 そう言いながら、次のデートでもきっと彼女は俺より先に着いて待っているんだろうな、と簡単に想像ができる。次は集合時間の十分前に着くようにしようか。


 高校の時から片想いをしていた大橋清花と恋人関係になって、早くも一年が経つ。


 清花は専門学校の超過密スケジュールのなかで勉学に励んでいるので気軽には会えないが、最低でも二週に一度は俺に会うために時間を割いてくれているし、連絡も欠かさないようにしている。

 勉強がどうしても間に合わないから今度のデートを無しにしてほしいと言われたことも、次に会う時に「ごめんね」と半泣きで言う彼女を「大丈夫だから」と宥めたことも、一度や二度じゃない。


 俺は、どがつくほど真面目に勉強に取り組もうとする彼女が好きで、その邪魔などしたくないし、寝不足で疲労を溜め込む姿も見たくないのだ。


 手をつないで目的地に向かう。前に会ったのは二週間前の土曜なので、今日は二週間と一日ぶりのデートということになる。


「海星さん、本日のデートコースは?」


 ふわふわとした笑顔で横からそう問いかけられる。付き合ってすぐの頃は緊張していたせいか笑顔もぎこちなかったが、最近はこうしてリラックスした柔らかい表情を見せてくれる。


「一輝くんのところで飯食って、そのへんぶらぶらしよ」

「……いいねえ。一輝くんと夏海さんに会うの、たのしみ」


 清花はいつもより歩調も口調もゆったりとしている。雰囲気や話し方がほわほわしている人ではあるが、この様子は何かおかしい。


 そこで、俺の中にぼんやりとあった違和感の正体を掴んだ。並木道の途中で立ち止まって、道の端に寄った。頭上では電飾がちらちらと瞬いている。


「清花」

「……なあに?」

「こっち向いて」

「いやです」


 向かい合って両手をつなぐようにすると、清花は俺から視線を合わせないように俯いた。ここからでははっきり見えないが、その瞳も心なしかうるうるとしている。


「……体調悪いだろ」

「悪くないもん」

「正直に言わないと今日のデートは無しにする」

「正直に言ったらどうせ無しになっちゃう、……あ」


 言質を取ったも同然だった。


「なんで黙ってたの?」

「……気づかなかった」

「今日は嘘つきの日か? とりあえず、清花の家行こ」

「一輝くんのご飯……」

「そんなのいいよ。俺から説明しとくから」


 持っていたカイロを清花に渡して、ついでに上着も清花の肩にかけてやる。清花の頬を触ると、真冬の夜だと言うのにうっすら汗をかいていた。苦しそうに眉を寄せて、痛みに耐えているようだ。


 清花の家には一度だけ行ったことがあるので道順は覚えていた。清花は電車に乗ってここまで歩くだけで気力を使い果たしてしまったらしく、彼女の家の玄関に着いて靴を脱ぐなり座り込んでしまった。


 清花の脱ぎ散らしたブーツを揃えて、隣に俺のスニーカーを並べて置いた。こんなに高いヒールのある靴を履いていたら、きつく感じるのも当然だ、と息を吐いた。

 家の中は暗く、しんとしている。


「お邪魔します。清花、お父さんとお母さんは?」

「今日から旅行に行ってて、……明後日まで帰ってこない」

「兄弟は?」

「……一番目は友だちの家に泊まりに行ってて、二番目はお父さんたちと一緒」


 彼女は兄弟のことを話す時、自分のすぐ下の弟のことを『一番目』、末っ子のことを『二番目』と呼ぶ。

 一番目は清花で末っ子が三番目だろう、といつも思うのだが、家族の中でもこの呼び名が定着しているらしかった。清花は『一番目』とも四つ歳が離れており、さらに言えばきょうだいの中では唯一の女子なので、そう呼んでいるのだろう。


 清花の肩からずり落ちそうになっていた俺の上着を膝にかけ直す。お膳立てされたような状況だが、さすがにこの清花に手を出そうと思うほどバカではない。


「清花、俺の首に手ぇ回して」

「うん……? ぎゃっ」


 腕に彼女の鞄をかけ、清花の膝裏と背中に手を回して、そのままぐっと清花を持ち上げた。


「むり、重いでしょ、おろして」

「重くないから」

「……恥ずかしい」

「誰も見てないし。それより、自分で歩けるの?」

「……でも、海星のお手数をおかけするわけには」


 真っ暗な家の中を進み、階段を上って清花の部屋にたどり着いた。電気を点け、清花をベッドに降ろす。俺の上着と清花のコートを回収してハンガーにかけてから、部屋の暖房をつけた。

 清花の部屋は、壁紙も家具もカーテンも、白と淡い黄色の系統で統一されている。初めてこの部屋に訪れた時、小さい頃から白と黄色が好きなんだ、と話してくれたことがあった。


「それ、清花の口癖だよな」

「どれ?」

「お手数をおかけするわけには、ってやつ。高校の時、保健室に連れて行く前も同じこと言ってた」


 ベッドのそばに座り込む。清花はそうかなあ、と小さい声でつぶやいた。


「遠慮しいなのは清花のいいところだけど、もっと甘えてよ。俺は恋人なわけだし」

「……へへ、ありがとう」


 清花は布団を鼻の下あたりまで被って、くすくすと照れたように笑っている。横になったら少しばかり楽になってきたらしい。


「何が要る? 熱はないよな?」

「お薬はさっき飲んだから、何もできないかも」

「そっか」

「……下の冷蔵庫にお母さんの作り置きが入ってるはずだから、勝手に食べていいよ」

「さすがに人ん家の冷蔵庫は漁れないよ」

「あ……そっか、わかった」


 額の脂汗でひっついた清花の前髪を、指先で整えてやる。どこが痛いのかはわからないが、相当しんどいことが伺える。


「寒くない?」

「うん、お布団あったかいし、入ったらけっこうマシになってきた」

「よかった」

「……ごめんね」

「何が?」


 今にも泣き出しそうに涙を瞳にためる清花に、わざととぼけた。体調を悪くすることは仕方のないことだし、彼女が無理をして悪化させることの方が俺にとっては苦しい。


「今日……一年記念のデート、だったの、に」


 言いながら、清花はぼろぼろと涙をこぼし始めた。慌てて箱ティッシュを手に取って、清花の近くに置く。


 今日は、俺たちが付き合おうと約束してちょうど一年の日だった。ちょうど日曜日で、お互いに学校が休みだから会おうと前々から約束していたのだ。


 俺も、今日バイトを休むために十二月前半のシフトはかなり詰めた。クリスマス当日に飲食店が混むことは必至で、「堀田が居ないと店回んないよ」とぐちぐち言う店長や先輩を「前半にたくさん働いたので」と黙らせるためだ。


「泣いてもいいけど、謝らなくていいよ」

「うー……なきたいわけじゃないのに……生理なんてきらい……」

「大丈夫」


 清花の頭をゆっくり撫でた。ごめんね堀田くん、と清花はなぜか付き合う前の呼称で俺を呼びながら泣いている。


「会うために我慢したいと思ってくれるのは嬉しいけど、清花が痛いのとか寒いのとかを我慢するのは俺もつらいから、今度からはちゃんと言ってな」

「でも会いたかったんだもん……」

「うん。でも自分のことももっと大事にしろ、な?」

「でも、海星との一年記念日って今日しかないんだよ……?」


 清花は目も鼻も頬も真っ赤にしている。これまでになく落ち込んでいるらしい彼女に、しばらく考えてから言葉をかけた。


「……二年記念の時に一緒に祝ったらいいだろ」


 恥ずかしいことを言っている自覚はあった。顔と耳を赤くしている自覚もある。こんなの、「来年も一緒にいような」と暗に言っているようなものだ。別れるつもりはもちろんないが、なかなか恥ずかしい台詞である。

 清花が「海星ってたまにすごいキザだよねえ」とにやにやしながら言ってくることがあり、それはこういうときのことを指すのだろう。


「……堀田くん」

「海星」

「か、海星」


 清花も俺に負けず顔が赤い。付き合ってからはずっとそう呼んでいるのに、清花はいまだに呼び捨てにすることに照れて躊躇うことがある。

 その様子がかわいいと言ったら、やはりキザだと笑われるだろうか。


「一年もわたしと付き合ってくれて、ありがとう。ほ……海星のこと、好きになってよかった。嬉しいと楽しいをたくさんくれてありがとう」

「俺も、ありがとう。これからもっといろんなことしような」

「うん……ぜんぶ、ありがとう」


 すっかり彼女の涙も止まったらしい。よかった、と胸を撫でおろす。


 清花は月のもので体調が悪くなると精神的にも不安定になるらしく、ふだんより涙もろくなる。

 清花から深夜に「痛い、きつい、こんな時間に電話して迷惑かけてごめんね」と泣きながら電話がかかってくることもあって、清花の身体にそんな装備をした何かを俺はいつも恨んでいるのだ。

 どうやったって俺が代わってやれないことも、彼女がそんな思いをしなければいけないことも、苦しくてたまらない。


「このまま寝る? 清花が寝たら帰るから、目ぇつぶって」

「や、やだ……帰らないで」

「……はあ?」


 俺が立ちあがろうとすると、清花は起き上がって俺の腕を弱い力で引っ張った。思わず怪訝な顔をしてしまう。


「ちょっと休んだらよくなるから、一緒にいて」

「本当に?」

「たぶん。あ、一緒にいるの、いや?」

「なわけないだろ。はい、布団入って」


 へへへ、と清花が嬉しそうに笑うので、まあいいか、と座り直した。


 清花の部屋の妙に甘い匂いを嗅いで心臓が変な音を立てていることも、どことなく、居心地の悪さや後ろめたさを感じていることも、全部無視だ。

 かわいい彼女が俺と一緒にいたいと望んでくれているのだから、それを拒否することなどできない。


「そうだ、海星にプレゼントあるの忘れてた」

「マジで? 実は、俺もある」


 渡すかどうか迷っていたのだ。清花が「バッグの中にある」と言うので、少し離れたところにあった彼女の鞄を取って渡した。先ほどから清花は起き上がったり寝転んだり忙しい。

 俺のほうも鞄からプレゼントを出して、背中に隠す。


「せーので出す?」


 にやりと笑いながら言うと、清花もにんまりと悪戯っけのある笑みを浮かべた。


「いいよ」

「せーのー、どん」


 清花は青い包みを、俺は黄色い包みをお互いに差し出した。大きさは大体同じだ。


「ありがとう」

「こちらこそ?」

「開けよ開けよ」


 包装紙を破いてしまわないように丁寧に開いていくと、文字の書かれた箱が現れた。清花もいそいそと俺が渡したものを開けている。


「……まじ?」

「こんなのって……ある? ふふ、うそでしょう」


 開けた途端、清花は俺の持っているものときょろきょろ見比べて、目を丸くした。


 俺から清花へのクリスマスプレゼントは、ブランドものの香水だ。ノープランでふらふらと買い物に出かけて、偶然見かけたものだった。


 清花、という名前を彷彿とさせるような、やさしくすっきりした花の香りがするもので、押しの強そうな店員に「主張しすぎる感じはありませんし、つけて二時間くらいしてくるとよりお花の香りがふわっと感じられて、おすすめですよ〜」と説明され、他を試すことなくこれに決めた。


 清花からのプレゼントは、俺が清花に送った香水のメンズ向けのものだった。

 購入した時には全く気がつかなかったが、ボトルのデザインもそっくりで清花に送ったもののペアとして販売されていたようだ。


「海星、いつもちょっとさっぱりした匂いのやつつけてるから、嗅いだ瞬間にこれだ! って思って。そっかあ、これ女の子向けのもあったんだ」

「俺も男用があったって知らなかった」

「ほんとに偶然? わたしのあとつけてたとかじゃなくて?」

「それやってたら怖すぎるだろ」


 そうだよね、と清花が笑う。両手で大切そうにボトルを持って頬を緩ませている彼女を見ると、なんだかたまらない気持ちになって、下から掬い上げるように清花の唇に自分の唇を寄せた。

 清花もわかっていたのか目を閉じて大人しく受け入れている。一度離して、もう一度軽くくちづける。


「……おしまい?」


 名残惜しく思いながら顔を離すと、清花は顔を赤らめて、まるい焦茶の瞳でじっと見つめてくる。

 ベッドの上に空いたスペースに腰掛けると、清花は肩を揺らした。


「……もっとしたいの?」

「ば、ばか! しないし!」


 だいぶ前に一線を超えているというのに、彼女はいつまでも「そういうこと」に新鮮に恥ずかしがり、照れるのだ。

 揶揄うと必ずいい反応を見せてくるので、二人きりの時はいつもこうして意地の悪い言葉をかけてしまう。清花が怒っているのも照れの裏返しだ。


「海星、前から思ってたけど、……手慣れてる」


 唇を尖らせて睨んできているのに、どうしてこんなにもかわいいと思えるのだろうか。こんなふうに清花があからさまに嫉妬心を見せてくれることに、恋人間の特別さを感じて、嬉しく思う。


 これまで、控えめであまり自己主張をしない彼女のことを、いじけたり拗ねたりしない人なのだと思っていたが、その反対で清花はわりとちょっとしたことで拗ねて唇を尖らせる。

 すぐに機嫌が治ることがほとんどで、子どものような素直さが俺にとってはとても愛らしい。


 清花が素直なのだから、俺も包み隠さず答えるべきだろう。


「全部清花が初めてだけど」

「き、キスも?」

「あのクリスマスのが初めて」


 一年前のクリスマス、清花に他人の家の前で衝動的にキスをしたことを彼女はたまに持ち出して「キザ海星」とからかってくる。あの夜、俺たちはヤドリギの下でキスをしたが、それがどういう意味を持つのか、清花はまだ知らない。


「嘘だあ」

「高校時代ずっと清花に片想いしてたのに、どうやって他の奴と付き合えんの」

「そ、そうなの?」

「……まあ」


 清花には言ったことはないが、好きになったのは絶対に俺が先だ。

 清花の一番の友だちである三宅は俺の中学時代の同級生で、三宅がやけにかわいい女子を連れ添っている、と高校に入学してすぐの頃から遠目で見ていたのだ。


 高一の六月にあった文化祭で、永輔に連れられて茶道部の出し物を見にいき、そこで鶯色の着物を着ていた清花がずっと心に引っかかっていた。

 しかしこれといった接点も無く、何もできないまま時が過ぎて、清花が腹痛でうずくまっていた時に初めて話すことができた。


 一目見た時からずっとかわいいと、話したいと思っていて、三宅越しに見つめていた。


 清花は、俺が人生で初めて一目惚れをした人で、初恋の相手なのだ。情けないし恥ずかしいので誰にも言ったことはないが、永輔や三宅あたりは勘づいていて、3年間にやにやとした視線を向けられていた。


「……ほら、身体冷えるからちゃんと布団入ってろ」

「海星も入る?」

「どういう意図?」

「……冗談だもん。なにもできないし」


 清花はまたしても頬を赤くしている。鼻の下まで布団を引っ張って顔を隠そうとするのは癖なのだろうか。俺にとっては罠に等しい。


「まだ痛い?」

「うん、ちょっと」

「そっか。……俺、どうすればいいの」

「あと一時間ぐらいしたら多分大丈夫になるから、お母さんのご飯食べて、徹夜でゲームしよ」

「……泊まれと?」

「うん。いや? バイト入ってる?」

「明日は入ってない、けど」


 俺の言葉に、清花は「いいこと聞いた」とにんまり笑う。清花も俺も、学校は冬休み期間に入っているので、問題はない、と言える。


 いつもはないわがままっぷりを見せる彼女と夜通しゲームをして、体調不良を抱えているというのに清花のあまりのゲームの強さにぐったりした、特別な一年記念日だった。


一年おめでとう!

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