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宿木  作者: 宇美百子
本編
3/5

(3)

 真っ暗な部屋で、懐かしい出来事を思い出していた。思い起こすたび、彼のやさしさに感動して、こころがほっとする。

 その後から、目が勝手に堀田くんを追うようになった。そうして一ヶ月半くらいした時、ようやくわたしはこの気持ちに名前をつけた。

 人がたくさんいる場所でも真っ先に彼を見つけて、えくぼを浮かばせて笑っている顔を見ると心臓がきゅっと痛む。彼と少しでいいから話をしてみたくて、彼のことをもっと知りたくて、わたしのことも知ってほしくて、でもそんなことできるわけがないと立ち止まる。


 これを恋だと言わずして、何と呼ぶのか。


 高校三年生で同じクラスになれた時、この世の八百万の神様に感謝した。話す機会はあんまり無かったけれど、毎日堀田くんの顔を見られるだけで胸がいっぱいになった。


 卒業式の日に勇気を振り絞って、一緒に写真を撮ってくれませんかとお願いして、その写真を送るという名目で連絡先を交換した。もちろん渚の入れ知恵で、「どうにかなりたいならちゃんと動きなさい」とお説教を受けたわたしができる最大限の行動だった。


 そこから半年間、頻繁に連絡を取ったり、たまに電話をしたり、すごく幸せだった。高校生の頃からしたら考えられないことだ。


 憧れで、ずっと好きだった人と仲良くいられている。


 それだけでいいと思っていたけれど、やっぱり欲は顔を出す。

 彼のこころの、一番近くに居たい。彼が何かに悩んでいたら相談に乗りたいし、一緒にどこかに出かけて美味しいものを食べたりきれいな景色を一緒に見たりしたい。恋人に見せるやさしい顔を、わたしにだけ向けてほしい。


 彼もそう思ってくれてたら、どれだけ嬉しかっただろう。

 堀田くんはそうじゃなかった。結局、わたしは彼の友だちの一人でしかなくて、特別な存在ではなかったのだ。

 目頭に熱が集まる。喉も熱くて、絞られているみたいだ。暗闇だから、視界がどうなっているのかわからないのがむしろ良かった。膝をより強く抱える。


 みじめだ。気合を入れていたのがばかみたい。わたしを消してやりたい。


 まぶたと喉の熱を必死に冷まそうとしていると、扉の向こうから弟の口笛が聞こえてきた。


 地味に上手い口笛に耳を澄ませて、ようやく曲名がわかった。二十五年くらい前に発表された、クリスマスの名曲だ。クリスマスにまつわる曲を歌ってください、と言われてこれをあげる人も少なくないだろう、というくらい有名で、そういえば今日の街中でもどこかのお店から流れていた。


 英詞の曲だけれど、高校の英語の授業で和訳したことがあるので歌詞はよく覚えている。

 たしか、クリスマスに願うものは一つだけで、それはサンタクロースさえも叶えられるものじゃない、そんな歌詞だった。

 今度は、下の弟がやたら良い発音でその曲のサビを口ずさむ。

 ――クリスマスに欲しいものは、あなただけ。

 ぽとん、と涙が一粒だけ落ちた。そう、わたしもそうだった。望むものはたった一つだけで、わたしだけのあなたが欲しかった。ただ、それだけだった。


 ……だった?


 わたしはどうして、ただ彼からの言葉を待っているんだろう。どうして、自分から気持ちを伝えようともしなかったんだろう。怖かったから? 自信がないから?


 そんなの、どうでもいいじゃないか。まだ砕けてもいないのに、望みが絶たれたみたいな顔をして、ベッドの上で泣いて、意気地無しとは今のわたしじゃないか。

 まだクリスマスは終わっていない。あと三時間も残っている。なんにもしないでしくしく悲しむのは簡単だけれど、わたしはそれでいいんだろうか。自分に問いかけてみた。


 いいわけない、いいわけないじゃん。この三年、ずっと好きで、関わりがなくても諦めることができなかった。恋心はもう弾ける寸前まで膨らんでいて、彼に一つも伝えないで破裂させるなんて、それで未来のわたしが納得できるわけない。


 よし、と立ち上がった。


 会いに行こう。気持ちを伝えて帰ってこよう。フラれたら、今日は一晩中泣けばいいし、明日はお休みだから渚を連れ出して慰めてもらえばいい。成功するなんて小指の爪の先ほども思っていない。だけど、伝えないとわたしの気持ちが可哀想だ。フラれた時には「きっぱり諦めるから、お友だちを続けましょう」って言えばいい。よし。


 会いに行ってみよう。家の場所は以前聞いたことがあるからだいたい知っている。立ったままスマホのロックを解除して、素早くメッセージアプリを開く。堀田くんからは何にも来ていなかった。連絡するって言ってたのにな、と落ち込みそうになったけれど、もう気にしないことにした。


 だって、これはわたしの恋心だ。彼の態度は関係ない。


『堀田くん! もうお家着いた!?』


 送った瞬間に既読がついた。きゅ、と胸が痛む。


『うん、さっき着いた』


 そのメッセージを見て、わたしはドタバタと準備をし始める。寝転んでいたし泣いたし、お化粧が多少崩れているだろうけど、そんな些末なこと、どうでも良かった。

 髪を手櫛で整えて、スマホと財布とコートだけを持って部屋を出た。どたどた音を鳴らして階段を駆け降り、玄関へ向かう。


「おかあさーん! ちょっと出かけてくるー!」

「こんな時間に!? 気をつけてね〜」


 靴を履きながらわたしがそう言うと、台所に立っている母が叫んだ。まだ九時は回っていない。行って帰ってきても十時にはならないだろう。さっきまで履いていたショートブーツではなく、履きなれたスニーカーにした。ショートブーツでは走れない。


「その辺だからだいじょうぶー! いってきます!」


 扉が閉まる寸前に、いってらっしゃーいと声がした。

 駅まで、はあはあと息を上がらせながらひたすら走る。歩いて十分くらいの距離が永遠にも感じられる。

 日頃、運動をしないせいで、息が詰まって足が重い。熱を持った頬に冷たい風が当たって、少し気持ちがいい。


 駅について急いで改札をくぐり、彼の家の方面の電車に滑り込む。わたしが乗り込んで数秒して電車が閉まり、走り出した。額に浮かんだ汗を手のひらで拭う。

 彼の家の最寄り駅まで、だいたい十分ある。ひゅうひゅうと上がっている息を必死に整えていると、隣に立った会社員っぽい女の人にちらりと見られた。恥ずかしい。汗もまだ全然引いていない。


 やっぱり、気持ち悪いかな。迷惑かもしれない。まだ九時だけど、もう九時だ。人と会うには遅すぎる時間に、わたしが会いたいと言って出てきてもらえるのかな。

 不安が渦巻いた。頑張りたいという気持ちと、迷惑だったらどうしようという気持ちがぐるぐる頭の上で回っている。


 そんなことを考えていたら、彼の家の最寄り駅に電車が到着していた。慌てて降りて、人の波に押されて改札まで進む。

 ここまで来たらもう行くしかない、と決意を固めて、そこではたと気づいた。


 ――わたし、堀田くんのお家の住所なんてわかんないよ!


 駅から彼の家まで歩いて十分ということは知っているけれど、それだけだ。どの方向にあるのかも、どんな外見なのかもわからない。

 どうしてわたしはここまで必死に走ってきたんだろう。燃え上がった気持ちが突然水をかけられて鎮火して、一気に冷めていく。

 急速に、心の温度が下がっていった。泣いてしまいそうだ。視界が緩やかに滲んでいく。

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