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父様は母様を愛しすぎてた  作者: うにたむ
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3・ 母様の腕の中

 少女は寝台の上で目を覚ました。

 カーテン越しに部屋の中に差し込む朝日で、部屋の中は明るい。

 目覚める直前の鮮明な記憶が、一瞬で衝撃となって自身の内側を突き抜けて行く。

 衝動的に半身を起こし、咄嗟に首を手で抑える。

 母の形見の短剣は何の抵抗もなく肌を通り、痛みなど通り越して焼けるような熱さをもたらした。

 心臓は早鐘のように鳴り、恐怖で声にならず、微かな呻きのようなものが喉の奥から空気となって漏れる。

 首を切ったと言うのに生きている。しかも、痛みさえない。痛みすら感じないほどに麻痺しているのだろうか。

 怖い。恐ろしい。あの得体の知れない夫となった男は確かに自分の命を狙っていたはずだ。なのに、どうして死ななかったのだろう。

 額から、粘るような汗が伝って流れて行く。

 居室側の扉が開く音がして、誰かの足音が寝室へと近づいているのが分かる。

 未だ収まらぬ心音はバクバクとはねて、その苦しさから掻き抱くように寝衣の胸元を両手で掴んだ。

 怖い。怖い。怖い。もう、たくさんだ。何のために生かされたのか。こんなになってまで、まだ自分を利用しようというのか。

 寝室の扉を開ける音がして、少女の恐怖心は限界を振り切った。

 扉が開かれたのと、少女があらん限りの声で悲鳴を上げたのは同時の事だった。それは思い出せるかぎり生涯において初めての事だ。

「姫様! どうなさいました! 姫様!」

「もう、嫌よ、嫌なの。お願い、母様を……わたくしの家族を返して!」

 半狂乱になって寝台の上で身をよじる少女を、侍女はなすすべなく宥めながら、通常では考えられないその様子に困惑する。

 王女殿下の部屋付き侍女になって、こんな事は初めてのことだ。どちらかといえば、少女の寝起きは良い方である。

 悪夢でも見たのだろうかと思考しながら、なだめすかして見るものの、一向に埒が明かない状態だった。

 まだ幼さの残る顔は青ざめ、冥界の淵でも覗き込んだかのように怯え切った表情をしている。再び寝衣の胸元を固く握り、体全体で怯えるように震えている。

 常には少女らしい爛漫とした様が、今は見る影もない。

 これはただ事ではない、と侍女は判断して、寝台の脇にぶら下がった紐を引いた。

 深夜でも何かあれば使用人が駆けつけられるよう、正寝を総括管理している執事長の部屋のベルが鳴るようになっていた。

 しばらくして、執事長バファが女官長ナタリーを伴ってやってきた。この部屋の主は幼いとはいえ女性だ。男であるバファだけでは対処しきれないかもしれないとの判断からナタリーを伴って来たのだろう。

 そして、廊下側の扉の前の警護を担当していた近衛も一緒だった。近衛は寝室には踏み入らず、居間へと繋がる扉の前で待機していた。

「姫様、ナタリーでございます。どうなさいました? どこかお加減が悪くていらっしゃるのですか?」

 ナタリーの呼びかけに、油を挿し忘れたゼンマイ仕掛けの人形のように、ギギギ、と首が動く。恐怖で見開かれていた瞳が女官長の姿を捉えると、力が抜けたように肩が弛緩した。

 声も上げず、王女は大きな瞳から止めどない涙を流した。

「ナタ……リー? 戻って来てくれたの?」

「戻って来た……とはどう言う意味でございましょう。わたくしはずっと内宮におりましたが」

「だって、母様が亡くなって喪が開けてから、職を辞してバレッサ家に戻ったでしょう?」

 王女の口にした内容に、その場に居合わせた者達は言葉を失った。

「失礼ながら、アレクサンドラ様はお亡くなりになどなっておられません。姫様、お気を確かに……きっと、悪い夢をご覧になられたのでございますよ」

「そんなはずないわ、だって母様はわたくしを逃がすために亡くなられたのだもの! わたくしを元気付ける為だとしても、その嘘は残酷だわ……父様も、シュテフ兄様もお亡くなりになったのに、忘れたりなんかしない」

 その言葉がきっかけになったのだろう、王女は寝台の上で伏し、堰を切ったかのように声を上げて泣き始めた。

 執事長と女官長は互いに顔を見合わせて頷きあった。

 老執事はナタリーだけを残し、それ以外の者達を連れて王女の部屋を辞して行った。



 執事長バファからの知らせを受け、王女の母である王太子妃は急いで娘の部屋へ向かった。

 バファから受けた連絡を夫と共に聞いた時には、あまりにも荒唐無稽な話に思えたが、それを母親として一笑に付す事はできなかった。

 たかが悪夢と片付けてしまう事はできない。眠る時に見る夢は自分で制御できない分厄介だと言うことは、自分も夫もよく分かっていた。夫婦共に、長らく身の内に抱えた記憶(ゆめ)があったからだ。

 起きたばかりでまだ身支度を整える前だったから、とりもなおさず必要最低限の着替えだけをしてやって来た。娘の方が大切だ、化粧などしてはいられない。

 前室を抜け、居室へと足を踏み入れると、娘がしゃくりあげて泣く声が聞こえて来る。

 開け放たれた寝室の扉を抜け、晴やかな笑顔を作って寝台へ歩いてゆく。

 側についていてくれたナタリーに無言で頷いて、娘の隣に座って小さな体を包み込んだ。

「おはよう、ティナ。母様はここにいてよ? 父様とシュテフも元気よ。母様の言葉が嘘だと思うなら、後で二人にも来てもらいましょうね。エルも呼んだ方が良いかしら?」

「かぁ……さま……」

 伏せるように丸めていた背中が、声を聞いてゆっくりと起き上がる。

「辛かったのね……もう大丈夫よ、何があったのか母様に教えてくれるかしら?」

 娘の紅い瞳を覗き込むと、安堵したように口元が震えた。胸の中に飛び込むようにして顔を埋めた娘の背中を黒髪ごと撫でる。

 再びわんわんと泣き始めた娘をあやすように、アレクサンドラは泣き止むまでそうして包み込んでいた。

 

 寝台の上でようやく落ち着いた娘から話を聞く。聞き始めてみると、その内容が異質なのはすぐに分かった。思うままに娘に喋らせてやりたいのを我慢して、抱き上げて自室へと連れて戻った。

 予定していた公務を全て中止するようミレイヤに指示を出し、部屋付き侍女サラに温かいミルクを用意させる。

 内容が内容だけに、より安心できる場所で娘の話を聞いてやりたかった。娘の部屋付き侍女も警護担当者も、確かな身元の者しか置いていないが、それでも万一という事もある。

 少しずつでも甘いミルクを口にする娘の姿に、とりあえずは胸をなで下ろす。

 アレクサンドラは紙とペンを用意して、我が子クリスティーンの抱えた悪夢と長い時間を掛けて向き合う事となった。

 休憩を挟みながら娘の話を聞き終えたのは、夫カイルラーンが政務を終えて帰室した夜の事だった。

 

 

 胸の内を吐露しきって安心したのだろう、夕食も摂らずに眠ってしまった娘を、夫婦の寝室へと抱いて連れて行く。寝台の中程に横たえて、疲労の色が濃い寝顔に掛かる黒髪を指で梳いた。

 そこに、着替えが済んだ夫がやってくる。

「今夜は親子三人か。久しぶりだな」

 子供たちがうんと小さい頃は、泣いて部屋へやって来た子と三人で眠ったものだ。翌朝それを聞いた他の子が駄々をこねるものだから、この寝台に親子全員で寝た事もあった。それなりに大きい寝台とはいえ、寝相の悪い子供達と寝るのはなかなかに大変だった。

 それも、ここ最近はぱったりとなくなっていたが。

 どの子も皆可愛いが、それでも末っ子として産まれて来た娘は、夫にとって格別に可愛いものらしい。初めての女児で、自分と同じ色の髪持って生まれた娘だ。差をつけるつもりなどなくても、どうしても長男次男に対するものとは接し方が変わってしまう。その証拠に、寝顔を見つめる顔が珍しく緩んでいる。

「それで、ティナのみた悪夢とはどうだったのだ」

「起こしてティナの耳に入れたくないのです。わたくしが聞いていても恐ろしい内容でしたから……こうして明かりをつけて扉を開けたまま、居間へ参りましょう。詳しい事はそちらでお話し致します」

 ではそうしよう、と頷いたカイルラーンと共に、彼の私室へと移動する。

 二人で居間の中央のカウチに腰掛け、アレクサンドラは娘の話の重要な部分をかいつまんで説明した。

「ふん、それはまたなんとも不吉な夢だな。エルセオンを除いて最後は全員死ぬのか……」

 ベリタスと共に逃亡したと言っていたが、クリスティーンが語った夢の状況を考えると、それが現実ならばエルセオンの生存すら怪しかった。

「わたくしが気になったのは、それだけではないのです。ティナの結婚相手です」

「父上が亡くなった僅か三ヶ月後の婚姻だったか。現実ならば荒唐無稽だが、八歳のティナの見る夢にしては内容が詳細すぎるな」

「ええ。結婚相手は、クリストファー・エル・ハイルデンという名の赤毛の男で、ハイルデン伯爵家の直系だと聞いたと」

「ハイルデン伯爵家? 聞いたことがないな」

 そう言って夫は首を傾げた。ええ、とそれに同意する。

 上位貴族ならば、叙爵されている時点で所領を持っているものである。封じられる領にはそこを治めている領主の家名がつくものだ。子爵以下の下位貴族ならば所領のない家も存在するが、無封の伯爵家など記憶が確かなら存在しない。

 王族として自国を統治しているのだから、各所領の名前くらいは頭に入っている。

 王族の政略結婚の場合、家格も重要視されるから、系譜の定かでない伯爵家がクリスティーンの伴侶として王配に着く事は考えにくかった。

「でも、ハイルデンという家名、別のところでは聞いたことがあるのです」

「別の所?」

「ええ、サルーンの調べていた古書の中で」

 夫カイルラーンには年の離れた腹違いの弟がいる。彼は妻帯せず王城の中で暮らしているが、古文書の研究者のような事をして生活していた。

「柩の間で見つかったやつか」

 まだ王家に嫁してくる前、隣国との戦争終結直後に起こった革命の翌日、現在は義父となった国王ディーンが城内で行方不明になるという事件が起こった。

 結果ディーンは翌日発見されるが、その捜索の最中、一箇所だけ開ける事のできない部屋が見つかった。

 アレトニア国は建国五百年を越えたが、その前身であったとされるアレシュテナ聖教国時代からこの城は存在している。広大な敷地の中で増改築を繰り返してきた城の中には、何のために存在しているのか分からない部屋も多く存在している。

 王家そのものが部屋の中の状態を把握していない部屋も幾つかあり、そのひとつが開かずの間だった。

 捜索指示を受けた兵が、怪しいと睨んでその部屋の扉を壊す勢いで開ける事を試みたが、どうあっても開く事ができなかった。

 報告を受けたカイルラーンがそこへ向かうと、その扉は開かなかった事がまるで嘘のように簡単に開いたという。

 開いたその先にあったのは、部屋の壁面を埋め尽くした書架に収められた古語で綴られた膨大な量の本と、ガラスで出来た柩だった。その時から、その部屋は柩の間と称されている。

 一連の騒動が落ち着いた頃再び調査してみると、柩の間の扉は王家の直系の血を引く者のみが開く事ができるのだと分かった。

 その頃から、義弟サルーンはその部屋の古書の研究にとりつかれている。

 第二王子とはいえ実質王位継承権を剥奪されているようなもので、直轄地の領主に収まるつもりもない義弟は、古文書解析に没頭する毎日だ。

 幼少期から体の弱いサルーンは、大人になった今も男性にしては華奢で、頑健ではない。直轄地とはいえ所領を持って健全に治めて行く事が可能なのかどうかも怪しかった。

 だから彼が好きな事をして暮らしているのについては、それで良いという事になっている。

「とりあえず、サルーンに聞いてみないといけないな」

 夫は思案するように、そう呟いた。

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[良い点] クリスティーンの落ち着きと共に、安堵しましたw 今まで衝撃が盛り沢山の内容だったので、安心も一入でしたね(*´艸`) [一言] この先の展開が、どうなるのか全く予想できません!! だから…
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