真実の王子様の御伽噺
あるところに大変可愛らしいお姫様と、仲の良い王子様がおりました。
二人は大層仲が良く、いつも一緒にいましたが、お姫様がとても我儘なものですから、仲の良い王子様以外は皆、年を重ねるごとにお姫様のそばを去って行きました。
そうしてお姫様が十四歳になった年、とうとう仲の良い王子様もお姫様のそばからいなくなってしまい、お姫様は独りぼっちで泣き出してしまいます。
そうしてしくしく涙を流していると、一匹の悪魔が現れてお姫様に声をかけました。
お姫様は大変可愛らしいものでしたから、悪魔も放って置けなかったのです。
「そんなに泣くと可愛いお顔が台無しだ。寂しいのならわたしがなんとかしてあげよう。だけどもしもわたしの世話になるって言うなら、お前はわたしの言うことをきちんと聞かなきゃいけないよ」
お姫様は、本当はちっとも悪魔が好きではありませんでしたが、寂しさあまりに小さく首を縦に振ってしまいます。
お姫様の返事に気を良くした悪魔は山奥にある自分のお城にお姫様を招き入れると、お姫様に綺麗なお部屋を用意してあげて、極め付けには専属の召使もつけてやりました。
召使はとても面倒見が良かったのですが真っ黒い肌に針金のように硬い髪でピクリとも笑わないものですから少し怖い印象を受けました。
「良いかい、ここでは好きに過ごしてくれて構わないけれど、決して外へ出てはいけないよ。もし約束を破ったら、お前は野の狼の食事になってしまうからね」
悪魔がお姫様に言いつけたのはたったそれだけでした。これならお姫様にも難しくありませんね。
身の回りのことはなんでも召使がやってくれましたので、とても快適に過ごしていました。
ですが召使はニコリともしないものですから、一緒にいても退屈でなりません。
ここへ連れてきた当の悪魔もお姫様はどうしても好きになれませんでした。だってしわくちゃの白髪が見窄らしくてならなかったのですから。
そうして幾日か悪魔のお城で約束を守って過ごすお姫様に感心した悪魔は、お姫様に綺麗な真っ白いお着物を着せ、ピカピカの指輪を用意して言いました。
「わたしはお前が大層気に入ったから、お前をお嫁に貰ってあげよう」
ああなんてことでしょう、お姫様はこの悪魔をちっとも好きじゃありませんのに。
悪魔は暫く式の準備にとりかかりましたが、その間お姫様はお部屋でしくしく泣いていました。
傍らにはお姫様が寂しくないようにとあの召使がついています。
相変わらず無愛想でニコリともしませんので、お姫様は井戸の底へ向けて語りかけるように召使へと自分の胸の内を話しました。
「わたし、悪魔のお嫁になんてなりたくないわ。だって、わたしのお相手は王子様じゃなければいけないもの。そう、あの一番仲良しの王子様よ」
「どうしてでしょうか、お姫様?あなた様の望みを叶えてくれるのですから、どちらであろうと相違ないではございませんか?」召使はツンとした言葉で問いました。
「まるで違うわ!」とお姫様は返します。
なぜなら悪魔はお姫様に召使を寄越しただけで自分は一切お姫様の傍にいようとしないのですからね。
悪魔だから仕様がないことでしょうけれど、お姫様が目を伏せ影を落とすお顔が一番好きだと言うのです。お嫁になったらもっと酷い仕打ちを受けるに違いありません。
お姫様は仲の良い王子様が居なくなって、とうとう会えなくなってしまった今だからこそ彼の慈しみ深さと暖かさを大変貴く思うのでした。
そうして思い返すほど自分がいかに愚かであったかを感じてじんわりと瞳から零れる滴が増えてゆくのです。さてそんな姿に召使はいよいよ困ってしまいます。
なにせ召使はとても世話焼きなものでしたから、お姫様の悲しみをどうにかして払えないものかと思ったのですね。
「ああ、お姫様、どうか泣かないでくださいまし。そんなに王子様にお会いしたいのでしたらば、わたしがなんとか取りはからって差し上げましょう」
そう言うと召使は小さな額を持ってきました。
「さあ、お部屋を暗くしてくださいまし。そうしてこの額を覗いてみれば、あなた様の望むお人がたちまち額の向こう側の現れることでしょう。しかし決して触れたりしてはいけませんよ、明かりもつけてはいけません。お守りいただけるのであれば、きっと望むお人があなた様を慈しんでくださいましょう」
言われるままにビロードのカーテンを閉め切って真っ暗なお部屋の中お姫様が額を覗き見ると、あら不思議、召使の言った通り見覚えのあるあの王子様が内側に立っていらっしゃるではありませんか!
嬉しくなってお姫様はそのお顔へ手を伸ばそうとしましたが召使の言いつけを思い出してすぐに引っ込めました。
それでもお姫様は嬉しくなって、仲の良い王子様へと話しかけます。
彼は額の中で優しく相槌をしてくれますが、可笑しな事にちっとも笑いかけてはくれませんので、お姫様は自分の行いを省みて王子様から嫌われてしまったのではないかと思いました。だって急に居なくなってしまっていたのですものね。
暫くして召使が額を下げるとお姫様が呟きます。
「やっぱり、王子様はわたしが嫌いになってしまったのね。思い出の中のあの柔らかい微笑みをむけてくれないもの」
「とんでもない!何をおっしゃいますお姫様!額に嵌められた絵とはもとより動かぬものでございます」
召使は大きくかぶりを振りました。
「いいですかお姫様、絵の中で表情をちょこっと動かすと言うのはむずかしいことなのですよ。間違って絵具を滲ませてしまうかもしれませんからね。大きく頷くのとは訳が違うんでございます」
「まあ、そうなのね」召使の言葉にお姫様はほっとして、また王子様とお話がしたいとせがみました。
けれども召使は「それでは続きはまた明日」と言って額を片付けてしまいます。
それも仕方がありませんね、お姫様と王子様が会話をしているあいだ中、召使はずっと重たい額を持っているのですから、腕がもうじんじんと痺れていますもの。
その事に気づいたお姫様は召使の手にそっと労りのキスをしました。
すると不思議な事に召使の真っ黒い肌がほんの一瞬白く見えたのです。
お姫様は目をパチパチしてもう一度召使の手を見ますが、見間違えだったのかいつもの真っ黒い肌しかありません。
召使はお姫様の反応に不思議そうに首を傾げて、すぐにお部屋を出て行きました。
それから毎晩、召使は額を持ってきて、お姫様はあの仲の良い王子様とお話をしまして、額を片付けるときにはいつも決まってお姫様は召使へいたわりのキスを贈りました。
そんな日々にも終わりが近づいております。ええそうですよ、悪魔との式がいよいよ明日に迫ったのです。
お姫様は哀しくなってわんわんと泣き出してあまりの恋しさにとうとう王子様に会いたくて仕方がなくなってしまいました。
そのことを召使に吐露すると、面倒見の良い方でしたから「それでは式の前に一度だけなら」とお姫様を王子様の元へ連れて行くと言ってお姫様をお城の外へ連れ出しました。
お城の外は悪魔の言っていた通り恐ろしい野の狼の縄張りがありましたが、狼たちは召使の鋭い瞳を怖がって遠くから唸るばかりで近づこうとはしませんでした。
そうして山を降ったり、登ったりを繰り返して、お姫様の息が上がるくらいお疲れになった頃小さな洞にたどり着きます。
「これより連れてまいりますので、お姫様はくれぐれもここから動かぬようにお願いします。ええ、狼がおりますからお一人で引き返してはいけませんし、とはいえ絶対洞に入ってはなりませんよ」
一人残される事は不安でしたが、丁度ヘトヘトで歩けそうにはなかったので召使の言う通り待つことにしました。
辺りが静まり返り薄暗くなった頃、ようやく洞の奥にうっすらと人影が見えました。
召使が戻ったのでしょうか?
お姫様が声をかけると、落ち着いた優しい声が返ってきます。
それはお姫様が恋しくて仕方がなかった仲の良い王子様の声に他なりません。
あまりの嬉しさにお姫様は駆け寄ろうとしましたが、王子様は先ほどと打って変わって鋭い言葉で制止します。
「洞に入ったら良くないことが起こるから決して入ってはいけない」
「まあ、それじゃあ王子様やあの召使はどうなってしまうの!」
「私達は平気だよ、良くない物共の方が私達から逃げてくからね」続けて王子様は口にします。
「召使の彼は気を遣って奥で待っていてくれてるから、正真正銘二人きりさ。私に何か話があってきたのだろう?さあ、どうか話しておくれ、可愛い私の仲良しさん」
お姫様は、明日には悪魔のお嫁にいかなければならないことと、どうしてもそれが嫌なことをお話ししました。
「私の王子様はあなただけだわ。ねえ王子様、私もう我儘も言いませんし、気立てだって良くなりますから、どうか私を遠いところへ連れ出して。悪魔のお嫁なんてまっぴらなの」
王子様は返事に大層悩んで、長い沈黙の末に小さく頷き言葉もなく洞の奥へと引っ込んで、代わりという様に召使が戻って来ました。
「王子様からお話は恙無く伺いました。あなた様を遠くへ連れて行く手筈をいたしましょう。しかし王子様は一緒にはいけませんよ」
「まあどうして?」
「私はええ、言いましたとも。『式の前に一度だけ』と確かに仰いましたよお姫様。あなた様の式が終わるまでもう王子様とは合わせて差し上げられません。しかしその式も挙げてくださらないとなりますと、王子様とはもう会えぬことでございましょうが、あなた様がどうしても遠くへと申すのですから致し方ございませんよね。もちろんお戻りになってご予定の通り式を挙げてくださるならば、ご来賓のお席にあの王子様もいることと存じますがね」
相変わらずニコリともせず召使は手を差し伸べて「さあ参りましょう」と言いましたが、お姫様はその手を取りませんでした。
「ああ、ごめんなさい。あなたは私に大層良くしてくれたけど、今度ばかりはその手を取って遠くへはいけないわ。もちろん戻ろうだなんてこれっぽっちも思っていないけれど」
お姫様は召使から離れると洞の奥へ向かい歩き始めました。
制止の声も気に留めず、恐る恐る足を前に運びます。
「ああそんな!それ以上奥へ行ってしまっては大変なことになってしまいます!」
けれどお姫様は良くないことなんてちっとも恐ろしくありませんでした。
それよりもっと、このまま王子様と会えなくなってしまう事の方がお姫様にとって一番不幸せな事だったのですからね。
ところが意を決して歩き始めたというのに、すぐに壁にたどり着いてしまいます。どうやら洞のように見えていた穴は余り広くはなかったようで抜け道さえもありません。
これにはお姫様もびっくりして、真っ暗なあたりをしきりに見渡しましたが、どうしてでしょう、確かに奥へ消えたはずの王子様はどこにもおりません。
お姫様は、もしやこれが、王子様が消えてしまうことこそが、良くないことなのではないかと思い、あまりの悲しさにその場に蹲り泣き出してしまいました。
するとそこに、後を追って召使が訪れると深々とこうべを垂れてこういうのです。
「申し訳ございません、お姫様」
どうして謝るの?とお姫様は思いましたが、言葉は嗚咽に飲み干されてしまいます。
召使はその一言から黙して語ることはなくただただ頭を低くしてお姫様の言葉を待っているようでした。
涙をこぼしながら、お姫様は召使の顔を両手で包み込むと、そっとこちらへ向くように持ち上げます。
少し怖いとさえ思う真剣な表情はじっとお姫様を見据えるので、零れた涙がポタポタとその顔に落ちました。涙で歪んだ視界の中、召使の輪郭がぼうっと歪むとお姫様は不思議なことに気がつきます。
ええどうでしょう、その形はあの仲の良い王子様にそっくり見えるではありませんか!
肌の色も髪の硬さもまるで違うというのに、これはまことにおかしなことです。
けれど思い返してみるともしかして、あの額の中の王子様も先の洞へ消えた王子様も全てこの召使の演技だったのではと思うのです。
なぜなら王子様とお話しするときは決まって辺りは真っ暗で少し離れておいででしたから、肌の色も髪の硬さも気づきようがありませんものね。
ともすれば今の召使のお詫びとは騙していたことを指しているのに違いがありません。
お姫様はその事に気づきハッとしましたが憤りより安堵でいっぱいになりました。
そしてこれまでの召使の優しさをしみじみと感じると、胸が暖かくなって、お姫様はそっと召使の頬にキスをしました。
召使は突然のことに驚きで目を見開き、じんわりと頬を紅潮させ、そこから広がるように徐々に真っ黒い肌が白んでゆき、しまいには硬い髪も柔らかい艶を持つではありませんか。
こうなると、その姿は仲の良い王子様そのものに違いありません。
王子様は確かめるように自分の肌と髪へ触れると自身の変貌に気づきお姫様へと柔らかく微笑みかけました。
ええそうです、召使だった彼こそが本当に本物のあの仲の良い王子様だったのです。
王子様は、あんまりにお優しく貴いお方でしたから、これを疎んだ悪魔が彼を誰からも嫌われる姿の召使に変えて、笑顔を奪い下働きをさせていたのです。
呪いを解くには、真実の愛が必要でしたが、誰からも嫌われる姿でしたので、長らく召使でいなければならなかったのです。
ですがそれももうおしまいですね。
「呪いを解いてくれてありがとう、わたしの一番貴いお姫様!」
「ああ!ひどいわ!ずっと会いたかったのに、どうしてそばにいると言ってくれなかったの!」
「どれもこれも悪魔の呪いさ、本当の事を話したら舌を焼かれてしまうから、黙ってご機嫌とりをするしかなかったのだよ。さあ、今度はわたしが助ける番だね。わたしと共に遠くへ行ってそこで二人の式を挙げよう!」
王子様が差し伸べた手をお姫様は迷いなくとりました。
こうして二人は悪魔の手の届かない遠い国へ行き、末長く幸せに暮らしましたとさ。
…めでたし、めでたし。
Twitterで即興連載した創作童話のまとめです。
自創作「夢喰姫」シリーズに登場する「真実の王子様の御伽噺」を童話として抽出し、改変、執筆したものになります。
夢喰姫WEBサイト: http://yumegekijou.yukimizake.net/yumegame/index.html