死の槍*
元いたチームの団員に会うと厄介だろうが、自治チームに会いに行く程度ならきっと会わない……殆どが森に化け物を殺しに行っているはずなのだから。
それでも念の為フード付きのローブを着てライチは街に出た。
薄暗い夕闇の中3人の影が並ぶ。
「セシル? そっちは居酒屋だよ」
「アイツらやる事ないからいつも呑んでんだよ……」
自治チームは各街に多いところでは100人、少ないところだと10人の団員数だ。
各自治チームごとに街長がおり、その上に地区長、補佐員、中枢団員となる。
この中枢団員は10人おり実質的な最高権力者なわけだが、女神の気紛れによって殺されることも少なくなく、人員が変わりやすい。
中枢団員によって自治チーム全体の雰囲気も変わると言われている。
居酒屋の戸がベルの音を立てて開く。
どこの世界でも入店時に音を鳴らすのは同じなようだ。
薄暗い店内を見渡す。
派手なドレスを見にまとった男から、ボロ雑巾のような服を着た性別不明の人物、フランス人形のように可愛らしい少女まで様々な人物がおり、各々の会話で店内はあふれていた。
セシルに聞くまでもなくライチにはどれが自治チームなのかすぐに分かった。
彼等は4人は飛び切り上等な酒を振舞われ、複数人の店員に相手をしてもらっていた。
4人のうち1人が近付いてくるセシルに気が付き愉快そうに顔を歪める。
「4本足のセシル。久しぶりだね」
赤く燃えるような長い髪を結い上げ女が微笑んだ。
豊満な体は美しい曲線を描く。
ライチはそっとローブを取った。自治チームがいるのにフードを取らないなんて、と目を付けられては困るからだ。
そんな彼女の一方でニコは仮面を外す事なく店を見渡していた。
「その恥ずかしい呼び名やめて下さいよ」
「いいじゃない。
それで? 今日は何の用?」
「ちょっと報告が」
「俺聞こうか?」
肌艶のいい小柄な男が立ち上がる。だがそれを赤毛の女が制止した。
「やあね。良い男見るとすぐこれなんだから……。
みんなで聞きましょうよ」
一同は仕方ないとばかりに鷹揚に頷く。セシルは軽く微笑んで話し始めた。
その間何故かニコはその場を離れ居酒屋をうろうろとし出す。ライチは迷ったが、セシルの側にいることにした。
「大した事じゃないんですけどねえ。
一応お伝えした方がいいかと思って。
森の化け物なんですがね、どうも頭の良いのがいるみたいで」
「なあにそれ。アタシたちがあなた方に情報を伝えてないとでも?」
青い毛の巨大な猫が苛立ったように声を上げる。
「まさか。逆ですよ。
誰かがあなた方に虚偽の報告をしている」
「……なるほどねえ」
着物のような服に身を包んだ骸骨がやれやれと首を振った。思い当たることがあるらしい。
「ここも大分賑わっているからね。
変なのが集まってもおかしくはない」
「ここは居心地のいい良い街ですから。
……けど長居はしないことにしますよ。変なのに絡まれたら堪らない」
「ええ!? そんなこと言わないで気の済むまでいれば良いよ!」
小柄な男が悲痛な声を上げる。どうやらセシルにお熱のようだ。
「馬鹿ねえ……セシルはあんたのとこと違って雌と番うのよ」
「そもそもアンタなんかに番えるかしら?
知らないかもしれないけど私たちネコ科のアレには棘があって、簡単には抜けないように……」
「君はすぐそういう話をする。
すまないね」
骸骨が表情からは分からないが、少なくとも仕草は申し訳なさそうにしてセシルを見た。
彼は「楽しい話題を提供出来たようなら良かった」と笑う。
何故かライチは恥ずかしくなり顔を赤くしていた。
「ねえセシルも呑みましょうよ。その子も一緒にさ」
「ああ、彼女はお酒を分解するのに時間がかかる体質みたいで。
呑ませると面倒なのですよ」
セシルはライチの頭を乱暴に撫でると小声で「ニコのとこに行ってな」と指示をした。彼女は小さく頷き、自治チームに頭を下げてニコを探す。
背後で「なあに今の仕草」と言う声がして、お辞儀という文化が伝わらない相手もいることを思い出した。
ニコはどこにいるのだろうか。
さっきまで店内をウロついていたのだが。
ライチも同じようにウロつく。
そして店の一番端の目立たない席に来た時、手を思い切り引っ張られた。
「よう、ライチ……随分良いご身分だな……」
低い怨みのこもった声だ。
元のチームの団員だと気付いた時には遅かった。
彼は目をギラつかせライチを睨んでいる。
「あのセシルのチームに入ったのかよお前……ええ?
俺たちがこうやって酒も飲めねえで、余りもん食わされてるってのによお!」
足を蹴られライチはその場にしゃがみ込んだ。
セシルは死角の位置だ。気付かないだろう。
そもそも自治チームの団員達と話しているのだ。
ライチの面倒ごとを巻き込むわけにはいかない。
「すみません」
「お前のそのすみません、100遍聞いたけど腹立つよ……。謝る気なんて無い、その場凌ぎの謝罪の言葉……」
その通りだ。ライチに非はない。
だが彼女はそれを指摘するだけの力もない。
頭を垂れ男に土下座する。
だが何を謝れば良いのか分からない……ライチは口ごもった。グッと喉奥を鳴らす。
そのモタつきに腹が立ったようで男が彼女の柔らかい腹に蹴りを入れた。
悲鳴をなんとか堪える。辺りは騒がしく暴行に気付くものはいないようだ。
ホッと息を吐く。少なくともセシルの話が終わるまでは耐えなくては……。
「なんだ? 悲鳴我慢してんのか?
鳴けよ。俺はな、お前のあのピィピィうるさい悲鳴を聞くのが堪らなく好きで……。
もっと聞かせな」
また蹴りを入れられる。何度も何度も。
ライチは床に頭を擦り付けなんとか耐える。この男がライチに暴力を振るうのはいつものこと。これくらい慣れなくては。
それに何よりセシルはライチに死んで欲しくないと言ってくれた人なのだ。その人の為ならこれくらいなんてことない。
「鳴けっつってんだろ。雑魚が」
苛立ったようにライチの頭を踏み付ける。
脳が振動し目の前がぐらりと揺れる。それでも悲鳴を押し殺した。
「仕方ない……服が汚れるのは嫌だったが」
男は無理矢理ライチを立たせ椅子に座らせた。
ナイフを取り出しライチに見せつける。
「良い声で鳴けよ……そしたらやめてやる」
やめて、と声を上げそうになった。
だがそんなことをしても男を悦ばせるだけだ。彼女はナイフを見つめ必死で震えを抑えた。
刃先がライチの腹に当たる。
「震えてんのか? 面白えなぁ。
お前役立たずだけどよ、こうやって人に切り刻まれるのは上手だよな……」
ナイフがゆっくりと腹に突き刺さる。ゆっくり、じわりじわりと痛みが襲ってきた。彼女は拳を握り必死に耐える。目の端に涙が溢れ出す。悲鳴を堪えると溢れた空気がまたグッと音を立てる。
「アハハ、面白えなぁ。泣いてんのかよ? 俺だって泣きてえよ……団長が死ななけりゃチームがバラバラになることも無かった。お前が死んでりゃ良かったのになあ……」
深く深くナイフが突き刺さっていく。そして男はそのままナイフを下に引き下げた。
猛烈な痛みと、何かが溢れる感覚。ライチは机に突っ伏した。
血肉が床に叩きつけられビチャビチャと汚い音を立てたが、男のヒステリックな声にかき消される。
「アハハ!! ハハ! おい、鳴けって! ほら、悲鳴聞かせろよ!」
男は下卑た声で笑いナイフを机に突き刺す。
それからまたライチに手を伸ばした。
「なんで?」
不意に落ちてきた声にライチは顔を上げた。
兎の面が見える。
「あ? なんだお前」
「それはこっちのセリフだ。
ナイフなんか使って。ライチを脅してたのか?」
ニコはライチが机に突っ伏しているために刺されたことに気が付いていないようだ。
大ごとにしたくない。
ライチは飛び出た内臓を抱え目一杯抑えこんだ。視界が薄れていく。意識だけはっきりしたまま、体の力が抜けた。
「コイツが、セシルのチームに入るから……こんな役立たずがよ……他の奴らは、結局死んでってるのに……なんでこいつが」
「君の事情は知らないが」
ニコが面に手を掛け、そして外した。
兎の面が机に置かれる。
ライチの位置からは顔は見えない。顔を上げたかったが少しも動かせそうになかった。
自分は今死んで蘇っている最中なのだとゆっくり理解する。
「僕らの団員を脅したのなら、脅し返させてもらう。
痛みをもって知るがいい」
それは突然だった。
何もない中空から真っ白な槍が飛び出して男の肩を貫いた。
男の悲鳴が上がる。
「いたっ、い!! くそ! なんだよコレ!!」
「僕の祝福は視界に槍の雨を降らせるんだ……。
肩だけに槍を当てるのすごく大変なんだよ。手加減したこと感謝してほしいね」
「くそッくそ!!!」
男が悶えながら店を飛び出そうとする。だが店の扉にも槍がいくつも突き刺さった。
「やっ、やめろ!!」
「反省しな」
ニコはそれだけ言うとライチの顔を覗き込んだ。既にお面は付けてある。
「大丈夫?
……あ、れ? なんで、血が……こんなに」
「あ……大丈夫です……。再生、してるみたいなので」
「いや、これそういう問題じゃないよね。
セシル呼ばないと……」
ニコが戸惑ったように顔を上げ、セシルの方へと向かう。
喧騒の中、「殺せ」という低い声がライチの耳まで届いた。
「了解」
柔らかくニコは返事すると、既に逃げ出した男の背中を追うように扉を開けた。
男の背中が小さく見える。ニコが面を外しているのも。
扉から見える景色一杯に槍が現れる。そのまま槍は街中に降り注いだ。
「……あの男だけしかいなくて良かった。
狙い定めるの面倒だから」
ニコが面を付け直す。
ライチが慄きながら槍を見つめているとセシルが素早く近付いてきた。
「ライチ」
彼はしゃがみ、彼女の体を引いた。
また血で汚れてしまう。彼女は慌てて離れようとした。だが有無を言わせず抱き上げられる。
「守護の力を……人対象に付けておくべきだったな」
「あの、お話は……」
「もういい」
「私ならもう大丈夫です。なので」
「いいって言っただろ」
セシルの声は苛立っていた。ライチは身を竦ませ縮こまる。
自分のイザコザのせいで話が台無しになってしまったのだ……。
セシルが店を出て歩き出す最中ライチは懸命に謝罪をする。
「ごめんなさい、私のせいで……。なんと、お詫びすればいいか」
「何があった? なんで腹切られたんだ」
「い、因縁つけられてしまいました」
「なんで助けを呼ばなかった」
「お話の邪魔をしては」
いけないと思った、という言葉を言い終わる前にセシルの怒りの形相を見て黙る。
「セシル。そんなに怒ったら怖いよ」
「屑のせいで気分が悪い」
屑と言われ益々ライチは体が竦んだ。
「あ、の、1人で歩けます……。これ以上、迷惑掛けたくない」
「……治ったのか」
「放っておいてもらえれば治ります。私は……気にかけてもらわないで大丈夫です。
不死身ですから」
彼女が諦めたように笑う。だが、更にセシルの苛立ちが募っていくのが分かった。
「言ったはずだ。
生き返るとしてもお前に死んで欲しくないと」
「……聞きました」
「なら死なない努力をしろ。
放っておくか」
セシルはライチを降ろさなかった。
彼女はギュッと彼の腕の中で縮こまる。
豹の体はしなやかに、地面に突き刺さる槍を避けていた。
セシルの視線の先に男の死体らしきものがある。槍がいくつも体を貫き殆ど原形をとどめていない。
「……何故殺したのですか」
「俺のチームに手を出した奴は殺す。見せしめにな」
彼女は赤い唇を噛み締める。
……セシルは想像以上に仲間想いなのだろう。そしてそれと比例するように他者へ攻撃的だ。
*
「セシル」
ニコがセシルの腕を軽く掴んだ。
その振動が伝わって考えに没頭していたライチはハッとする。
「お客さん見てたけど1人怪しいのがいた」
「……説明しろ」
「深緑の肌してる長髪の男だよ。
セシルが虚偽の報告をしてるんじゃないかって言った時に他のお客は一斉に君を見たのに、そいつだけ見ないようにしてた。動揺を悟られないようにするみたいにね。
アイツは……アクアのとこにいた」
ニコが話している間中店内をウロついていたのは反応を見る為だったのか。
己の至らなさが恥ずかしくライチは顔を下げた。
「アクアか……アイツはそんなバカじゃないはずだけどな」
アクアという名前にライチも聞き覚えがあった。
ライチが来る前からここにいて活動している勢いのあるチームだ。
「アクアはね。
ただ最近団員が増えて制御出来ていない感じもする」
「それはそうだな」
「自治チームはどうだった?」
「さあな。状況的に怪しい気もするが……簡単に尻尾は掴ませないだろ。
どうしたもんか。関わらないで去るのが良いか、ここで裏切者を見つけ自治チームに恩を売っておくのが良いか」
「ジーナはどうせなんでも良いって言うだろうし、逆にオニツカとフリーズはさっさと出ようって言うだろうし」
「お前は?」
「僕はここでもう少し活動するべきだと思うね。
どうもライチがいたチームの人らは面倒なのが居るようだ」
ニコが原型を留めていない肉塊に目を向ける。
「元いたチームがバラバラになる前に、ライチが僕らのチームにいてこちらに手を出したらどうなるかを知っておいた方がいい」
「……そうだな」
セシルのエメラルドグリーンの瞳がライチを見る。
「わ、私、のせい……ですよね。
面倒な事になってるの……」
彼女の唇が震える。
いつだってそうだった。全てライチのせいでめちゃくちゃになる。
あの男だってライチに関わらなければ死ぬことはなかった。元いたチームだってライチがいなければ……。
「ごめん、なさい」
「いや違う、逆だよ。君を利用させてもらうって話」
「……え?」
「僕ら結構絡まれやすくてね」
ニコが溜息を零しながら話し始める。
「多分ライチのこと抜きにしても君が元いたチームは僕らに絡んできたんじゃないかな……。
団長が死んだのは僕らの責任だとかなんとか言って。
そんな面倒なの相手にしてられないから君に因縁付けてきた相手を処理するついでに、僕たちに不誠実に絡むとどうなるかってのを思い知ってもらおうってわけだ」
「お前が元いたところ結構大きかっただろ。
そういう噂は繋がりがあるところから流れやすい……一気に噂を流せる」
ライチの肩の力が抜ける。
そういうことか……。
あの死に様はかなりなものだと思ったが噂になるためにわざと惨たらしく殺したのだろう。
「セシルが怒るからライチ勘違いしたんだよね?
セシル怖いよね。でもそんなに怯える必要はない」
「怯え……。
……怯えなくて良い。お前に対してはもう怒っちゃいないよ」
ライチの頬をセシルの骨ばった手が撫でる。
「……セシルさん……」
「あの屑がした仕打ちに腹が立ってた。それを受け止めるお前にもな……」
「……屑ってあの人のことですか」
「他に誰がいる」
「私のことかと……」
セシルがギョッと顔を顰める。その横からニコの楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「信用されてないねえ!」
「な、なんでだよ……。
そもそもお前、罵られるようなことしてなかっただろ」
「私が話の邪魔をしたから」
「あのなあ!……いや、何から言えばいいのか分からない……。
……お前は自分の命を蔑ろにし過ぎだ。
自分の身に危険が迫ってたらすぐに知らせろ。俺でもニコでも、ジーナ、オニツカでも。
フリーズは……時と場合によっては知らせろ」
「ハイ」
「返事は良いんだよな」
セシルがむぎゅっとライチの頬を優しく摘む。
「戻るか」
「……あの、私そろそろ歩けます」
ライチの申し出をセシルは首を傾げて受け入れない。
その様子を見ていたニコが笑う。
「離れがたいって」
「へ?」
「そういうことだ」
セシルはライチを抱え直す。
本当のところはどうか分からない。だがライチは暫しこの腕の中にいるのも悪くないと思い彼の背中にそっと腕を回した。
セシルの腕の中は暖かい。