最初の晩餐
食事は食事処に行くか調理するか。そこはライチの知る世界と変わらない。
食材も見たことのない草花や動物ではあるものの美味しいという感覚に大きな違いは感じられなかった。
セシルたちのチームの備蓄庫内には食材がきちんと揃ってある。ライチの元いたチームでは各自で食事処に行って、彼女はおこぼれを貰うことが殆どで、それが堪らなく嫌だった。
役立たずだから仕方ないと自分を納得させていたが、残飯処理の豚のような扱いで皿に乗った食べかけの肉を投げて寄越される度泣きたくなった。
備蓄庫から適当に食材を取り出し小屋へと戻る。食材は好きに使っていいとセシルから言われていた。
扉を開けるとソファに座るニコと目が合った。こちらを見ていたらしい。
……いや厳密に言うと兎の面にペイントされた目と、かち合った気がした。
「あ……の、ご飯を作ろうと思って。
何か嫌いな食べ物とかありますか……」
ニコは黙っていた。まだライチはランキング圏外なのか。
彼女は諦めて食材を小さな台所に置いた。
黒く硬いパンに、塩漬けの肉に香菜、瓶詰めの野菜……。肉料理とスープくらいなら出来るだろう。
これくらいなら別にライチでなくても出来てしまうんじゃ。彼女の頭に不安がよぎった。
雑用係としてこのチームに入ったのに雑用が満足に出来ないとなったら、また追い出されるだろう。
エメラルドグリーンの石を握る。
不安を抱えたままライチは豚の塩漬けをスライスしていく。
パンの上に乗せサンドイッチ風にしようか。
硬いパンを掴んだ。見た目で言えばフランスパンに似ているだろう。味はそれよりもボソボソしていてしょっぱい。
「……オニツカの分は要らないよ」
思っていたよりも柔らかく中性的な声だった。
ライチはニコを見る。
キラリと兎の目が光る。
それを見て兎の目にガラスが嵌めてあり、そこに目がペイントされているのだと彼女は気が付いた。
「い、要りませんか」
「5つでいい。アレは刑のせいでまともな食事が出来ないから」
面に隠れていない口元は微笑んでもいないが、下がってもいない。
「そうだったんですね。
ありがとうございます」
彼女は内心ドキドキしていた。
野良猫に懐かれた気分だろうか。
迂闊に動くと逃げ出しそうで、慎重にパンを切っていった。
どうしよう……何か話すべきか。
ライチが迷った末に顔を上げた時、ニコは既に部屋からいなくなっていた。
*
食卓に食事を並べているとフリーズが飛び跳ねながらやって来た。
「ご馳走じゃねえか!」
「そうですか? 簡単なものなんですが……」
「いやあ。オレ様は料理なんて面倒なことやりたくないし、セシルは毛が入るし、ニコは偏食だし、ジーナは他人の為に労力を使いたくありません! とかなんとか言うし」
そう言って小さく「オニツカに作らせんのも悪いしな」と続けた。
「お口に合うと良いんですけど」
「口に入りゃなんだって良いだろ。
もう食って良いか?」
「あ、待ってください……他の人を呼んできますから」
そう、目を離したのが良くなかった。
ライチが皆を呼びふと食卓を見ると半分が消えていた。
犯人が誰かなんて考えるまでもない。今も口をもごもごとさせているフリーズだ。
「フリーズ……」
セシルの冷えた声が背後からした。
「遅いから食べ始めてるぜ」
「ふざけるな! 一人一皿盛られてるのに普通食うか!?
いや、食うか……お前だもんな」
「おう。美味かったから止まんなかったよ」
フリーズに悪怯れる様子は無い。
「……私もう一回作って来ます……」
呆れながらもライチは台所へ戻ることにした。
「ごめんね……。
それにしても、さすがサワンちゃん。最低だなあ」
目の端でフリーズがジーナに思い切り頬を叩かれているのが見えたが、ライチは同情することがまるで出来なかった。
*
仕切り直しの食事の後ライチが食器を洗っているとニコが隣にやって来た。
「手伝うよ」
「良いんですか?」
「うん。料理美味しかったから」
彼の言葉にライチは嬉しくなった。頬を染めて俯く。
やはりノラ猫に懐かれるような擽ったさがある。
「これ拭けばいい?」
濡れた食器を手に持ち聞いてきたので彼女は頷いた。
「……でも、不思議ですよね。
街を移動しないと時は進まないのにお腹は空くんですから……」
「人と、人か化け物が関わった時だけ時が進む」
ニコは食器を乾いた布巾で丁寧に拭きながら答える。華奢な指だ、とライチは思う。
指だけでない。彼は少年のような骨張った華奢な体をしている。
「この世界は基本止まった世界なんだ。
そして僕たちは一箇所に留まり続ける限り老いることはない……。変化は起こらない。
だけど人や化け物に触れられた時だけは別だ。
体は傷付き、エネルギーを使うからお腹も空く」
彼の声は落ち着いていて聞きやすいものだった。
この声は以前どこかで聞いたことがある……安らぎを与えてくれる声。
ライチが感心した、気の抜けた声を出すと口角が上がった。
「生きてることに変わりはない。
傷付いた体は治る。ご飯を食べればお腹も満たされる」
「人や化け物と関わらなければ変わらないのでしょうか」
「そしたら女神に殺される」
それもそうだ。
この世界はどうやっても人と化け物が関わり変化する世界になっているようだ。
「フリーズのように良くも悪くも人と関わることが多い人は変化が著しい。見た目のね。中身は、彼女と付き合いが長いわけじゃないからよく知らないけれど……初めて会った時より無鉄砲なところは無くなってきたかな」
そう言って彼は「ほんの少しだけどね」と付け足した。
フリーズは現在、罰としてオニツカと買い出しに行っているところだ。
荷物は全部彼女に持たせると言っていた。
「セシルさんは?」
人と関わり変化していくタイプなのだろうか。
彼女の疑問にニコは変わらず柔らかな声で答えていく。
「セシルは芯がある人だから変化も受けつつ大事なところは変わらない。
オニツカもそうだ。
ある意味頑固なのかもしれない」
彼は何か思い出したかのようにフッと笑う。
それからスッと真面目な顔になった。
「逆にジーナは殆ど変わらない。人と積極的に関わるタイプじゃないからね。
僕も……あまり、人と関わりたいと思わない。
だから勝手な順位を付けているんだ」
ニコの兎の瞳がライチを見つめる。
彼女は手を止めて見つめ返した。
「少なくとも君はフリーズよりもずっと……話が出来る。
良かったよ」
「そう、ですね、いえ……。
……話して頂けて嬉しかったです」
「僕が勝手に順位を付けて勝手に話しているだけなんだから、君がそれに応える必要はないんだよ。
僕のやり方に腹が立つなら、それはそれで」
「いえ。なんとも思っていません。
人に順位を付けるのはよくあることですし……最下位になることもよくあります」
ライチのキッパリとした言葉にニコは驚いたようで
「そう」と言ってしばらく黙った後、また「そうか」と頷いた。
*
フリーズ達が戻って来ると「早くしようか」と、供物を捧げることとなった。
供物の捧げ方は簡単だ。
床に化け物の頭を置き、その周りにチームの御石を全員分放射状に並べ、化け物の頭を叩く。
女神も供物は欲しいのだ。その為簡単な儀式で済むようになっている。
小屋から出たすぐの所にニコがカゴに入った化け物の頭をドンと置いた。皆が適当にバラバラと石を並べるとジーナが舌打ちしながら綺麗に並べ直していた。細かいところが気になるらしい。
ライチはジーナの揃えた石を邪魔しないよう、そっと丁寧に横に置く。彼女はそれを見て「ありがとう」と小さく呟いた。
「そんな綺麗並べなくても捧げることはできるってのに」
セシルのボヤキにジーナは鋭く睨んだ。
その眼力にライチは慄いたが睨まれた彼は飄々としている。
ジーナは満足がいったのだろう、綺麗に並べ終えると一歩後退した。
「それじゃいいな」
化け物の頭を並んで見守るチームにセシルは一言いった。
化け物の頭を力強い拳が叩いた。瞬間、辺りにキーンと甲高く嫌な音が響き渡りライチは耳を塞いだ。耳鳴りよりもずっと脳に響く音だ……。
供物が地面へと吸い込まれていく。バキバキバキッと何かの折れる音と共に。
音が止まりセシルが石を回収し、各自に返却する。
「また鐘が5回鳴ったら狩りに行く」
今後の予定の話のようだ。小屋に戻りながらセシルが話し始める。
「ただ俺は自治チームの奴らに会いに行くつもりだ」
「何かあったの?」
オニツカの質問に彼は頷いた。
「他よりも知能のある奴が隠れてた。
報告しねえとな」
「そんなの聞いてない」
「誰かが虚偽の報告をしてる」
「……何の為に」
「罠だろうなあ」
セシルは面倒そうに息を吐いた。
罠。それはライチも思っていたことだ。
セシルたちのおこぼれに預かろうと増え過ぎた討伐チーム。それを減らそうとする働きはあるだろう。
あの奥に強い化け物がいると知らないチームはドンドンと奥へと進み、そして殺される。
もう少し奥に行けば死体が出てくるだろう。
「自治チームに粛清されるよりも他の奴らを倒したかったのか。おかしな話だね」
「なんかキナ臭えよ」
「なんだよセシル。自治チームに協力者がいると思ってんのか?」
「もしくは、自治チームに何もされない自信が生まれるような何かがあるか。
どちらにせよ俺たちが報告しておきゃ他の奴らも警戒するだろ」
フリーズはうーんと首を傾げる。
「自治チームって結束固いんじゃねえの? 刺激しないでとっととこの街出ようぜ」
「どいつもマックィーンみてえに上に尻尾振ってる奴らばかりじゃないさ。
野心家ばかりだ……。崩壊する自治チームも多い」
その時ライチの体がよろけ、セシルに激突した。
ライチに痛みはない……むしろそのツヤツヤの毛皮に顔を埋められて、思わず抱き締めていた。
「熱烈だな」
「す、すみません! 足が、そのっ! よろけちゃって」
ライチはばっと体を離す。セシルの豹の腰に抱きついていた自分の格好に青くなった。
「本当にすみません……ツヤツヤで……」
「そんな謝らないで良い」
「ツヤツヤだよなあ……。布団にしたいよなあ……」
フリーズの恐ろしい呟きにジーナが「臭くなるわよ」と冷たく言い放つ。
「洗えば良いんじゃないの?」
「洗ってますけど」
「獣の匂いは獣そのものの匂いなんだから洗ったくらいじゃ落ちない」
「ジーナ。セシルにもっと優しくしてあげて……」
オニツカの言葉に彼女はフンと鼻を鳴らした。
「それで? 明日はどう分担するんですか」
「どうしようか。フリーズは揉め事起こすし、自治チームに近付けたくない」
「本人がいる前で言うか普通」
「その通りだろ。
まあ化け物の方はフリーズと、保護者としてオニツカとジーナ付けとけば済む……と良いな」
「俺の心労二倍なんだけど。
っていうかニコが一番良いんじゃない? まとめて倒せる」
「奥に行ったら他のチームの死体見つけるかもしれないだろ。
お前慣れてるし」
「変死体には慣れてないっての」
変死体でなければ慣れてるのだろうか……ちらりとオニツカを盗み見ると、彼はライチの視線に気が付いたようで誤魔化すようにぎこちなく笑った。
「なんか街で欲しいものがあるなら僕がお使いしてくるよ」
「ったく……腕使えないんだからもっと優しくしてくれても良いのに。
……まあ良い」
諦めたのか、そもそもそんなに抵抗する気は無かったのか、オニツカはあっさり引き下がる。
「んじゃあ、俺とニコとライチで街に行く。
良いな?」
「はいはい……」
後はもう文句は無かったのだろう。ゾロゾロと部屋へと戻って行く。
ライチは心配になりこっそりセシルに耳打ちした。
「あの、私誰かと交代した方が良かったでしょうか……」
「何を?」
「皆さん街に行きたいのかなと」
「んなことないだろ。狩り終わってから行けば良いしな」
「そうなんですか?」
「ああ。
……正直フリーズが街に来なけりゃ誰でも良いよ」
彼はそう行って長ソファにどすんと横になった。
……フリーズは何をしたのだろう。
気になるような、面倒なような。彼女は少し悩んで聞かないことにした。
トラブルメーカーであることはこの僅かな期間で分かったのだから。