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救いの手*

常に夕方のこの街では街灯が道を照らしている。

ロペの街はそこそこ大きな街で、化け物討伐チームの拠点となりやすい街だ。

木造の四角い箱型の建物が幾つも並び人々の声が中から聞こえてくる。

街の中央の鐘楼は真っ白に塗られ、鈍色の巨大な鐘が天辺に吊り下がっている。


ライチは舗装された道をふらふらと歩いていく。

街の舗装を行うのは自治チームの役割だ。


この世界には討伐チームと自治チームがあり、その名の通り討伐チームは化け物の討伐、自治チームは街ごとに自治を行なっている。

自治チームは化け物の頭を支払って貰うことで討伐チームの街の滞在を許している。


自治チームの団員は街から街への移動が少なく済むので(ライチ達の時間の概念からすれば)長生きであり、また化け物を退治する必要性も低い為左団扇で暮らしている。

その為多くの者がチームに入ることを目指しているが、入るには規律を守れる信頼のある人、化け物を1人で倒すだけの能力のある人……様々な要素を満たさなくては入れない。並大抵の人は入れないのだ。


彼女自身がいたチームの面々も皆が自治チームに入ることを目指していた。

だからこそ、余計に足手まといのライチは嫌がられたのだ……こんなのがいたら、自治チームに入れないだろう、と。


彼女はずっとどこかの討伐チームに所属しては役立たずと言われ追い出されてきた。

この世界で生きていくのはライチにとって過酷なことであった。


またどこかのチームに入れてもらえるといいが……いっそもう、供物を捧げないで女神に抹消してもらおうか。女神の機嫌が良ければ魂ごと存在を消してもらえるかもしれない。

ある目的のために今まで頑張ってきたがとても果たせそうにない。……もう疲れた。

耳の奥で聞き馴染みのあるメロディが聞こえた気がした。


彼女は町外れの酒屋の前でライチは動こうともせずボンヤリと立っている。

何も感じない……空腹も痛みも何も。


「おー、こんなところに良いのがいるじゃねえか」


「だけどなんか汚くねえか?」


酒の臭いと共に2人の男がライチに近付いてくる。

1人の男がライチの顎を掴んだ。


「顔はまあまあだな」


「良いんだよ、大事なのはアッチだろ」


「だな」


2人は下卑た笑い声を上げ、ズボンのベルトに手を掛けた。

どうやらライチを娼婦だと思っているらしい。


「……私は……娼婦ではないです……」


喉がまた、グッと鳴った。


「ああ? いいんだよなんだって」


「やめてください……」


「うるせえな」


男がライチの頬を叩く。

とにかく彼女は酷く疲れていた。

もうなんだっていい。


片方の男がライチの体を押し倒しその上にのしかかった。


「血塗れで何があったんだか知らねえが、慰めてやるよ……」


興奮した男が彼女の服を剥いでいく。後ろでもう1人の男が「早くしろよ」と声を掛けていた。


「私に……」


傷だらけの手を男の首にかける。


「触るな……」


それから男の首を思い切り締めた。

不意を突かれ男の力が緩む。その隙に彼女は男を押し倒し返した。

そして男の顔を殴りつける。

もう1人の男が慌てて駆けつける、その前に目玉に指を突き刺した。

グチュっと嫌な音がした。野太い悲鳴が上がる。


「お前っ! 何しやがんだ!! 離れろ!」


男に蹴り飛ばされ彼女の体は容易く吹っ飛ぶ。


「この女……!! おい、大丈夫か!?」


「助けてくれ!! 何も見えない!! あ、ああ」


「クソ! 手当てしねえと……!

……その前に……」


ライチの首に男がナイフを滑らせた。

彼女の悲鳴は血に変わる。


「死んで詫びやがれ」


最後の仕上げとばかりにライチを蹴った後、男は目から血を流す男を支えて歩き出した。

地面に突っ伏しながらライチは2人の背中を眺めた。

散々な一日だ。だがもう充分だ。

2対1でやり返されるのは分かっていたが、それでも少しだけスッキリした。

今の彼女に出来ることなんて精々目玉を潰すくらいだ。

もう充分……。


「死んで詫びるのはそっちだろ?」


頭上から声がする。

以前にもこんなことがあった気がした。


声のした方を見上げる男2人に、金の塊が落ちて行く。

セシルだ。

彼はしなやかな動きで2人の体を捕えると、目にも留まらぬ速さで首を捻った。

パキンと音がしてその場に男たちが崩れ落ちる。

あまりの手際の良さにライチは驚いた。

きっと、相当な数を……。

首があり得ない方向に曲がった男たちと目が合った気がして心臓が脈打つ。


「……大丈夫か」


セシルがライチの元へ歩み寄ってくる。

返事をしようとしたが傷口から空気が漏れ、口から血が溢れただけであった。


「悪かった。

その店の屋根の上に登って酒でも飲もうと思ったら、声が聞こえて来てな。

見たらお前が男の目に指突っ込んでた」


彼はその場面を思い出したのか苦笑を浮かべる。セシルにはライチの行動が意外だったらしい。


「それで済むと思ったらまさか逆上してお前を殺すとは。

まあ、アイツらの命に免じて許してやれ」


セシルはそう言うと、前屈みになってライチに手を伸ばした。

頬に少しだけ指が当たる。


「苦しいか?」


ライチは頷く。


「そうか。

とどめを刺した方が楽になるならそうするが」


その質問には微かに首を振った。

基本的にライチの意識は寝ている時以外飛ばない。体が動かなくなろうと意識は常に自分を観測していた。


「……聞いたぞ。お前のチーム、団長が死んだんだってな……ああ、無理して返事しなくていい。

俺が勝手に話すだけだ」


彼は地面に豹の体を預けた。

金の毛並みがライチの血で汚れていく。


「女神は基本こちらの動向を見てはいない。

多く捧げれば捧げるほど不干渉になっていく。

だが供物を捧げない奴だけは注目している。

……お前のとこは全員殆ど捧げられてなかったが……偶々団長が目に付いたんだろう」


ライチはセシルの話をあまり聞いていなかった。

それよりも彼の毛並みが汚れていくことが気になる。


「大人数で集まっても供物を捧げられなかったら意味がないんだよ……」


セシルの呟きを無視してライチは彼の体と地面の隙間に指を挟んだ。


「何してんだ」


「……よご……れ……ぢゃ」


「汚れ……? ああ……そうだろうな」


彼に気にする様子はない。


「……ぎれ……い、な……のに」


「綺麗って……いや、密漁させる奴がいるくらいだからそりゃそうなんだろうけど。

そんなことより気にするべきことがあるだろうよ……」


セシルは呆れた声を出した。そしてライチの体を持ち上げ抱き締める。


「服……よ、ごれ……ちゃう……」


「女をこんな血塗れの地面に放っておく方が気分が悪い。

それにもう大分傷が塞がってきたみたいだし体動かして平気だろ」


確かに血は止まり、傷が塞がっていく独特の感覚がある。


「服に蹴られた跡があるな。アイツらの仕業か?」


「……同じチーム……だった人……」


「ハア? なんで」


「私が……足手まといだったから……。だったのに、団長が死んだから……」


「完全な八つ当たりじゃねえか……」


「でも……本当のこと。私……どこに行っても足手まとい……」


セシルの腕の中は暖かく心地がいい。そのせいか心と体が解れていく。


「これ以上人に迷惑掛けたくないけど……難しいね……。

嫌になって……目潰ししたり……したし。

もう疲れちゃったなあ……」


ライチの瞳から涙が溢れた。何に泣いているのか分からない。

だが泣いているという事実に余計に涙が出てきた。


「ごめんなさい……」


「何が」


「泣いて……」


「こんな世界に暮らさなきゃいけないんだ。

泣きたくもなる」


彼はそっとライチの薄い背中をさすった。

セシルの優しい声に甘えてライチはその後も声を殺して泣き続けた。


泣き続けて、泣き続けて、やっと顔を上げる。

どれくらいこうしていたのだろう。


「……ごめんなさい。あなたに甘えてしまいました……」


今までの人生、誰かにこうやって優しく抱き締めてもらったことはあっただろうか?

ライチは目元を乱暴に拭う。

セシルがその手を止めた。


「なあ。お前、ライチ……だよな。

俺はセシルだ」


知っていたが「ご丁寧にどうも……」と囁いた。

なんで名前を教えてくれるのか、という疑問はより大きな疑問に掻き消された。


「俺のチームに入らないか」


「え、ええ?」


いきなりの申し出に彼女は固まった。また「え?」と言って、固まる。

セシルのチームの噂は嫌というほど聞いた。

彼等が化け物を狩り続けるからこの辺りからドンドン減っているとも。

そんな強いチームが何故足手まといになるライチを誘うのか……。


「無理強いはしないさ。

ただ、同じ世界から来たお前がこのまま消えるのは惜しい」


「でっ、でもですね、私、本当に役立たずで」


「戦いは、だろ。別にそんなこと期待して誘ってない。

料理作ったりだとか、生活面での働きは出来るな?」


「あんまり、いや、でも、できます」


料理も掃除も洗濯も全く出来ない訳じゃない。

この世界に来る前から身の回りのことは基本自分でやっていた。


「なら良い。来い」


呆然とセシルを見つめたままだったが、やっと事態が飲み込めたようでライチは何度も首を縦に振った。


「ハイ! ハイ! お願いします!」


彼女は深々と頭を下げた。

こんなことがあるだなんて。


セシルが自分を見つけて、チームに誘ってくれたことは今までに無い幸運だった。


*


荷物を取りにこっそり宿に近付くと彼女の小さなカバンが外に投げ出されていた。

ゴミとして処理されていたらしい。

部屋の中に入らないで済んだことを感謝しつつセシルのチームのいる場所へと向かった。


セシルたちは宿ではなく空き家を借りて暮らしているらしい。

森に近い質素な小屋が見えた。

2人は並んで歩き言葉を交わす。


「小屋なんて……危ないでしょう」


大抵の宿には見張りもおり、警報機が付いているので化け物が近付いてくるとすぐさま分かる。

人も多いので例え警報機が鳴らされなかったとしても誰かは気付くだろう。

だが……あの小屋は見るからにボロっちい。

危険な気がした。

しかしセシルはフッと笑い「大丈夫だ」とキッパリ言う。


「どうして……」


「ここに来た時与えられた能力は守護の力だった。

あの小屋を守護している。部外者は簡単に侵入できない」


ライチは黒い目を瞬かせた後なるほど、と頷いた。

守護の力自体は目に見えないらしく普通の小屋に見えた。


「チームには俺と、お前と、あと4人いる」


「……少ないんですね」


ライチが元々いた所は40人近くいた。

交代制で化け物を退治していたのだが……それよりも退治できるセシルのチームはどんなツワモノ揃いなのだろうか。


「そうかもなぁ。

ああ、ちょうど男女半分ずつだ」


セシルの言葉にライチは内心安心した。

同性が一緒だと心強いのは異世界に来てもそうだ。


「……安心してるところ悪いが……ウチの女どもは優しくない」


「そ、そうなんですか。分かりました」


「だからといって男どもも優しくはない……」


つまり誰も優しくないのだな。

彼女は気を引き締める。

甘えてはいけない。この世界で甘えは命取りになる。

今回のことも結局ライチの甘えが招いたことだ。


「まあ会話は出来る。それで良いだろ」


「ハイ」


「言葉が通じないことも多々あるが」


「……ハイ」


今から自分はどんな所に向かうのだろう……ライチは不安から、また喉奥を鳴らしていた。


*


小屋に入るとまず一人の女性が目に入った。

白っぽい金の髪に茶色の瞳。神経質そうに色の薄い眉を潜めこちらを睨んでいる。

清潔感のあるシャツとズボンはまるで制服のようだ。


「遅いお帰りだと思ったら児童売春ですか。

楽しんでおられるようで何よりです」


「おうおう、他の奴ら呼んで来い」


彼女は馬鹿にしたように息を吐き立ち上がった。


小屋の中は案外綺麗で温かみがあった。

玄関を開けるとすぐに広い部屋がありそこに大きな木の机が置かれている。

後ろは談笑スペースとでもいうのだろうか、長ソファが4つ乱雑に並べられその中央にローテーブルがある。

その横には簡素なキッチンと台所用品が並んでいる。

そしてその広間を囲うように部屋が7つあった。

セシルの話でチームは5人ということだから、2つは使っていないだろう。


それにしても居心地のいい部屋だ。

ライチはホッと息を吐く。

異世界に来て、そして異世界人だらけのこの世界でこんなにも落ち着く場所は初めてだ。

そう……なんというか、欧米化された部屋だ。


「良い所ですね」


「ありがとう。

まあ汚す奴が居るんだがな……借りてる小屋だから綺麗にしねえと」


そう言い終える前にさっきの金髪の女性が一つ一つの部屋をドン! と殴り出した。

人を呼んでいるらしい。


「ほら、ああいうことする奴がいるんだよ」


困っちゃうよな、とセシルは言う。

ライチは曖昧に頷いておいた。


叩かれた扉から次々と人が出て来る。

四対の瞳がライチに注がれた。


「……汚い」


「うるせえな。色々あったんだよ」


「その子も色々に含まれてる感じ?」


「おう。

ライチ、だ」


彼の言葉が少し止まる。それから言葉を選ぶようにして続けた。


「……まあ、色々あってここに入ることになった」


セシルに軽く背中を押されてライチは慌ててお辞儀した。


「ライチです。よろしくお願いします!」


「よろしく」


返事があったのは1人だけだ。

彼女は恐る恐る顔を上げる。

どうやら返事してくれたのはアジア人風の顔をした黒髪の男性のようだ。

左手を布で吊っている。

その横にいる目元だけの兎の仮面を付けた茶髪の男性はこちらを見ようともしていない。


先程の神経質そうな金髪の女性はジッと睨むだけで、隣にいるダボっとした服を着た赤毛の女性は興味深そうにライチを見ている。その頭には巨大な鹿の角が生えている。

左側の角は途中で折れたアンバランスなシルエットだ。


「金髪がジーナ。返事したのがオニツカ。仮面被ってるのがニコ。角が生えてるのがフリーズ」


セシルは次々指差して紹介していく。


「……オニツカ」


「なんだ、知り合いか?」


「聞き馴染みがあるなと……」


「へえ。

アイツも日本人だからかな」


ライチは暫し黙った。それからやっとの思いで口を開く。


「日本人?」


「そう。

ここに居るのは……なんというかな、地球人だ」


またライチは黙った。もう一度面々を見る。

オニツカだけがぎこちない笑みを返してくれた。


「……どういうことですか?」


「出来るだけ近い文化圏の奴らの方が過ごしやすいだろ」


「……コペンハーゲンの人たちも?」


「いやいない。後はなんだったかな、メキシコとかウクライナとか。

そういうわけだから仲良くな」


最後の言葉はライチではなく他の人らに掛けたらしい。

だが返事をしたのはやはりオニツカだけであった。


*


「ジーナ。ライチに風呂案内してやれ」


「ハア? なんで私が。フリーズで良いでしょう」


「フリーズで良いわけあるか。

さっさとやれ」


ジーナは舌打ちすると「早く来てください」と冷たい声でライチ言った。

彼女は怯えながらもジーナの後ろをつく。

風呂場は小屋の外にあるらしい。


「えー。ボクのこと信用してよ」


赤毛の女が妙な猫撫で声を出しながら近付いてくる。フリーズだ。

左手だけに長い手袋をしている。


「ライチちゃん。よろしく。

まさかホントに新しい人連れてくるなんて思わなかったぜ。

ジーナもそう思わない?」


クネクネと動きながらライチの肩を抱く。鹿の角がライチの頭に当たった。

ライチは「はあ」と頷いておく。


「フリーズ、財布を返しなさい」


「え?」


「なんのことだよ。オレ様がスリなんて、いたっ! 返す返す! 悪かったって!」


ジーナが素早くフリーズの頬を叩くと、彼女は慌ててライチに手を差し出してきた。

ライチの財布だ。


「あれ!? いつの間に……」


「気を付けなさい」


「すみません……?」


スられた感覚がまるで無かった。

ライチは何故謝っているのか分からないながらも謝った。


「オニツカ! この女の見張りをしておきなさいよ!」


「……俺別に飼い主ってわけじゃ……」


ジーナが手を振りあげた。オニツカが慌ててフリーズの首根っこを掴んで引き下がる。


彼女は舌打ちしながら勢いよく小屋の扉をあけて「早く付いてきて」とライチに行った。

叩かれては堪らない。彼女は慌てて後に付いた。

小屋を出るとき視線を感じ後ろを見ると兎の面をつけたニコがこちらを見ているのに気がついた。

彼は何も言わない。ただライチ達が小屋を出るのを見ていた。



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