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女神の駒*

肉塊が地面に叩きつけられる音がする。



黒く長い刃物のような腕が腹を切り裂いた。


腹から内臓がドロリと溢れ出る。見覚えのあるピンク色の長い肉塊、大腸だ。

自分の内臓を見つめるのはこれで何度目か。

ライチは自分の血の上に倒れこむ。暖かく生臭い血は彼女の黒い髪を濡らした。


遠く見える空は紺と紫のグラデーション。周りは広葉樹に囲まれていた。

東京にいた頃はこんな大自然に触れる機会は無かった。

森の中で内臓を晒しながらライチはそう思った。


「ハア……相変わらず使えねえな。そこで倒れてろ!」


男の怒号が響く。ライチは掠れた声で「ハイ」と答えた。

痛みを堪えながら血の中寝転んでいると、徐々に体が治っていくのが分かる。

ライチがこの世界に来た時に与えられた不死身の力によるものだ。


ライチが学校の屋上から飛び降りた時、女神が現れた。

正確には女神の声を聞いた。

曰く自分だけの世界を作るために人集めをしているのだと。

女神が手に入れられた領地は荒れ果て、化け物が闊歩する危険な場所。

その為それを倒し世界を均す人を集めている。


「ここまでは良いな」


女神の声は今も鼓膜に焼き付いている。

冷たく、大きく畝る、低く恐ろしい声。


「我の世界の駒にしてやろう」


「なぜ」


自分でやらないのか。その質問は塞がれる。


「無礼者が。我が話している時に口を開くでない」


威圧感のある声にライチはすぐに口を噤んだ。


「領地にいるアレらは確かに強いが、それを対処できるだけの祝福を与える。

安心して、駒として働くが良い」


結局ライチが口を挟む間も無く、彼女はこの世界に落ちた。


ここに来る前から散々だった、そうため息を落とし立ち上がる。

だが次の瞬間体を吹き飛ばされた。


「オイ!

ハア……化け物が見えてないのかアイツは……」


団長が溜息を吐く。今まで彼女にこぼした溜息だけで団長は溺れてしまいそうだ。

痛みを堪えながらライチが立ち上がると、黒く針金のような細い体の化け物は目の無い顔を彼女の方に向けていた。

狙いをこちらに定めたらしい。

それならそれで作戦通りだ。

彼女は恐怖を堪え化け物を見つめ返す。


化け物はどこにいても同じような姿だ。砂漠にいても、海にいても、この森にいても。

人型の、針金のような細い体に、真っ黒くヌラヌラと輝く硬質な皮膚。

頭はヘルメットのようだが腸のようなものがとぐろを巻いて入っているのが透けて見えた。

体を変形させることが可能で今も手を刃物のように変形させライチに向けている。


彼女は囮だ。

ライチを狙った隙を他の団員が攻撃する。

彼等は今か今かと化け物に飛びかかる瞬間を息を殺して待っていた。


化け物がゆっくりと、試すようにライチの腹に刃物を突き刺した。ライチは痛みに耐えながらその刃物を掴む。

刃物が引き抜けないように。


「かかれっ!」


団長の合図で団員たちが茂みから一斉に飛び出した。

各々武器を持ち化け物に飛び掛かる。


この世界の者は皆、女神によって異世界から連れて来られた存在だ。

ある日突然女神の声が聞こえ、祝福と刑を与えられ、それから代償を支払ってここに連れて来られた。

そして女神の領地を均す為に化け物を退治し捧げなくてはならない。そうでないと女神の怒りを買い存在ごと抹消されてしまうから。

化け物は強く人1人で立ち向かえる者は多くない。

人々はチームを作り集団となって化け物に立ち向かった。


だが……チームといっても仲良しなわけではない。

特にライチのような力の無い、役割を持てない者は足手まといで、食わせてもらう為に後ろをくっついて回っているだけだった。

こうやって囮になるしか役割はない。


化け物が甲高い悲鳴をあげ地面に倒れる。

終わったらしい。ライチも地面に倒れた。

でこぼこの土の上に薄い背中を打ち付ける。もう体を起こすのも辛い。


「なんでライチなんかに御石を渡したんですか」


団員の1人がボソリと呟いた。

所属するチームが同じである証として、団員たちは揃いの石を貰う。

彼女もその石をブレスレットにし、常に身につけていた。このチームの一員である証として。


「囮にはなるからな。

さっさと宿に戻るぞ」


団長が化け物の頭を抱えて団員たちに声を掛けた。

頭は女神に捧げる。そうやって自分たちチームの功績を認めてもらうのだ。


去り際団員たちの白い目がライチに突き刺さる。

彼女が少しでも戦えるようになるよう、その訓練をする為に化け物の元に来たのに。

結局ライチは化け物に一太刀も浴びせられることはなかった。

だからいつも通り彼女が囮になって化け物を倒したのだ。


自分の無力さが嫌になりライチは大きく息を吐いた。その息だけで腹に空いた穴が痛む。


「女を囮にしてやっとってか」


馬鹿にしたような男の声が降って来た。

ライチは地面に寝転んだまま上を見上げる。

野性味溢れる鋭い顔つきの男が彼女を覗き込んでいた。

ジャラジャラと首から下がるアクセサリーが音を立てる。


「……なんだ? 文句あるのか」


男に気付いた団長が険のある声を出した。


「文句? いや、単にこんな情け無い奴等に獲物を横取りされたのが悔しくてな」


「なんだと!」


団長はドカドカと足音を立てながら男に近付く。


「いいか、ライチの祝福は不死だ!

どんな怪我も治る。囮にしてもなんの問題も無いんだよ」


「だから傷が治ってるのか」


男のエメラルドグリーンの瞳がライチの腹の穴に向けられる。

傷は既に半分ほど塞がってきていた。


「そうだ。

この世界じゃ何も珍しいことじゃない」


「情け無いことに変わりはないがな」


「……何が言いたい」


「いや?

この近くで獲物を狩ってるなら一応と思って挨拶をしに来ただけだ。

この辺りに化け物はもういないようだしな」


男の声には馬鹿にした響きが依然残っている。

団長は何も言わずに睨むだけだ。

男がクルリと身を翻す。ライチの顔に何か当たった。

何かと思いそちらに顔を向ける。……尻尾だ。


その時彼女は初めて、この男の姿に気が付いた。

下半身が4本足の豹。しなやかな肉体と美しい模様が日に照らされ輝いている。


「またな」


男はライチにニヤリと笑うと軽やかに去って行った。

土の上には肉球の跡が残っている。


「……4本足のセシル。こんな所にまで来てるとはな」


「……お知り合いですか……」


「噂だけだ。

団員数が少ない癖にやたら供物を捧げるチーム。それなりに有名だよ。

この辺りで話は聞かなかったが……ここらの化け物を狩るつもりだな。

仕事にならなくなる……」


団長はブツブツ呟くと「先に戻ってるぞ」と言い残し、セシルとは反対の方向へ歩き出した。

辺りは常に夕方のようで、薄暗い。


ライチはそのまま治るまでジッとした後、セシルの向かった方向に歩き出した。


*


ロペの街の周り、弧を描くようにして森が広がっている。ライチがいるのはそこだ。

暫く歩き続けると森から砂漠に変わり隣街ビスとなる。

この世界では不思議なことに街を通らないとその次の街に行くことが出来ない。

ロペの隣の隣の街であるシップスに行くには、間にあるビスを通らなくてはならない。ビスをショートカットすることは不可能だ。

まるですごろくのようだとライチは思う。

目的の街に行くにも一つ一つ、コマを進めなくてはならない。


そして、この世界の不思議なところは時間にもあった。

この世界では日というのは時間経過で訪れるものではなく、街を移動するごとに加算されていくものだ。

ロペの街が常に夕方なのもその為だろう。土地自体に時間の経過は訪れない為、常に同じ時間帯になっている。


対象が街を1つ移動すれば1日が経つことになる。

つまり街を移動しなければそれだけ長生きできるのだが、そうなると移動し続ける化け物を捕らえて捧げることができなくなり女神に存在を抹消されてしまう。


盤上遊戯すごろく……この世界は女神にとっての遊戯でしかないのかもしれない。

いや、遊戯以前、まだそれを作成している段階か。

彼女はグッと音を立てて喉を鳴らした。何かあるとついこの喉を鳴らす癖をしてしまう……。


この世界で過ごすには女神に供物を捧げなくてはならない。ライチ達は確かに女神の駒なのだから。


少し歩いた先の小川。そこで豹は身を休めていた。

体を伏せてリラックスしているようにも見える。

ライチはしばしその姿に見惚れた。

ネコ科の動物というのはどうしてこうも神々しいのか。


不意にセシルの顔がこちらを向いた。


「なんだ」


ライチの存在にはとっくに気付いていたらしい。

彼女は俯きながら彼の側に近寄った。

下半身は2メートル近い大きな豹だ。ライチのいた世界の豹より2倍は大きいだろう。

少し緊張する。


「……この辺りの化け物を、殺すと聞いて……」


「そうだな、そのつもりだ」


「暫くはここにいるのですか?」


「ああ」


困った。

ライチは下唇を噛む。


「なんでそんな事を聞く」


「……これ以上供物が減ると……」


誰か、消滅させられるだろう。

チームの石が黒く光ったらそれが期限だ。

消滅させられるのがチームの誰かは分からない。全員の可能性だってある。

全ては女神次第だ。


「悪いが他人にまで気を配れるほど優しくはない」


キッパリとセシルは言う。分かりきった回答だ。

ライチは頷く。


「そうですよね。すみません」


会話が途切れた。

話すことはもう無い。ライチにはこの男を止める権利など無いからだ。

それでもなんとか止められないだろうか……。

また彼女はセシルを眺めた。

綺麗な毛並みだ。金の毛並みに黒の豹紋が美しく映えている。

髪も同じ金色だが豹紋は浮いていない。

高い鼻梁と、エメラルドグリーンの瞳が輝いている。

豹の体の腰のあたりに着ているシャツと同じ素材の布が巻かれていた。なんとなく見てはいけないものを見た気になって視線をさらに先の尻尾に移す。

尻尾だけ別の生き物のようにユラユラ動いている。


「……人のことをジロジロと」


不機嫌さが混じった声が聞こえライチは慌てて前を向いた。小川に浮く葉を必死で見つめる。


「す、すみません!

豹を間近で見たことが無くて、つい……」


「豹を?」


「はい」


「これが俺の刑だ」


この世界にいるということは祝福と、刑を受け、代償を支払ったということ。

セシルの刑は下半身が豹の体になることだった。


「俺は沢山見たよ。

インドで密漁した豹を趣味の悪い金持ちに流してやってた。

皮を剥ぐのを手伝ったことだってある」


インド。

彼の悪行よりも、聞き馴染みのある国名が出てきたことにライチは驚く。


「……あなた、は、どこから来たんです……」


彼女の震えた声にセシルはニヤリと笑った。


「コペンハーゲン」


「コペンハーゲン……? で、デンマークの……?」


思わぬ返答にライチは言葉を失った。

まさかここでデンマーク人に会うだなんて。

異世界で出会った先の人々は皆、聞いたこともない国名の者ばかりだった。

例えばサマー国、例えば月光王国。聞き馴染みのない国名を聞かされる度ライチは安堵とも寂寥ともつかぬ気持ちを覚えた。


「そうだ。

お前は……日本か?」


「……そうです」


まさかの出会いだった。

いや、これまでももしかしたら自分と同じ地球出身の人と出会っていたのかもしれない。だがこうやってハッキリと言われたのは初めてだった。

固まって動けないでいるライチを尻目に、セシルはゆったりと身を起こした。

彼の身につけているアクセサリーが音を立てた。


「どこから来ようと今はこの世界の住人……いや、駒であることに変わりはない。

それでも、同じ空の下にいた奴に会えるのは嬉しい」


ライチも嬉しかった。

だがなんと言えばいいのか分からない。

もごもごと口を動かしたあと彼女は一礼して来た道を引き返した。

デンマーク人がいるなら日本人がいる可能性が出てくる。

そうなるとライチを知っている人も?


彼女は泣きたくなった。喉の奥で音を鳴らす。

罪からは逃れられないのか。


*


セシルのチームがここに来てから、時を告げる鐘は何度鳴っただろうか。

チームの証である石が嫌な輝きを放ち始めている。

タイムリミットが近いということだ。


ライチのチームは全くと言っていいほど供物を捧げられていない。40人近い大所帯にも関わらずだ。

ここに化け物が多いと聞きつけた他のチームが集まってきているのだ。セシルたちもその一つ。

激化していく駆逐競争に振り落とされることはままある。


この辺りは環境的に人が暮らしていきやすく、それだけに団長も離れたがらなかったがこうなっては……と移動することを決意する。

彼等は荷物をまとめ森の中を歩く。


森の中を歩くときは皆押し黙った。化け物が出てくるかもしれないからだ。

奴らの縄張りから離れた街は基本的に安全だ(時々はぐれたのが街に出ることもあるが)。むしろ縄張りから離れているから街が出来たとも言える。

だがここは化け物の縄張りに近い。

慎重に動かなければ。奴らは縄張りでジッと人が来るのを待っている。

チームが息を潜めて歩く、そんな矢先だった。


「駒として働けない者がいるようだな」


あの恐ろしい声が響き渡る。

女神だ。

団員たちは縮み上がった。

円を描くように並び、中心に向かってお辞儀を繰り返す。


「あ、ああ! 女神様よ!

貴女への供物が減っていることは事実です……ですが決して労働を怠った訳では……」


団長がチームを代表し必死で謝る。


「言い訳は無用だ。汝らは、駒だ。

あの化け物を殺すのが汝らの役目。その役目を果たせない者には消えてもらおう」


団員たちの視線が一気にライチに降り注がれた。

団長すらまともに化け物退治出来ていないのに、ライチが出来るはずもなく。

ここ最近は淡々と雑務をこなしているだけだった。


私が消えるのだろう……。

ライチは項垂れ、一歩前に出る。

女神に殺されるのか。だが不死身の力を与えたのは女神自身だ。そうなるとどんな罰を……。

不死身の自分がこれからどんな目にあうのかただただそれが不安で体が震える。


「今までお世話になりました……」


ライチの呟きは、団長の悲鳴に掻き消された。


「タスったすけてくれ!! 痛い痛い痛い!!」


何故かライチではなく団長が泣き叫んでいた。

体が宙に浮き足はゆっくりと捻れていく。


「よく見ておけ。これが働かなかった者の末路だ」


「女神様っ! 団長は供物をよく捧げております!

何故ライチではなく団長を」


「黙れ!!」


勢いよく前に出た団員もまた宙に浮く。足がまた捻られて骨の折れる音が辺りに響き渡った。


「集団を作り供物を捧げることにしたのは汝たちの規則だ。

御石が光り終えるまでに供物を捧げることにしたのも、汝たちの規則だ。

その規則に女神たる我が乗っているのだぞ?

そこに感謝する前に何故と愚問を口に出すとは」


2人の体が捻れていく。口からは血がゴボゴボと流れ落ち断末魔の悲鳴がその隙間から漏れていた。


「いいか。我が規則に乗っているなら、汝たちはより強い規則を守るべきだ。

供物を怠るな。我に口出しするな。

そして、集団のどれを消すかは汝らが決めることではない。我が決めることだ」


「だずけだずげで」


「ぐるじっギッ」


団員たちは唖然と死にゆく2人を見つめた。

絞られた体液がびしゃびしゃと撒き散らされ地面を汚す。

目を逸らすことも出来ない。

体を動かすことは恐怖だった。何が女神の怒りを買うか分からない。


「最終警告だ。

この者達の死に様を、よく、よく、覚えておけ。

皆でこうなりたくなければ供物を捧げよ」


浮いていた体が地面に落ちる。

捻られた2人はまるで雑巾のようだった。絞り出た血と臓物と区別が付かない。

涙を流しながらライチはその姿を見つめていた。


どれくらいの間見つめていただろう。

やがて誰かが動き出し、ライチを蹴った。

漣の如くそれは伝わっていき、1人、また1人とライチへの暴行が始まる。


「役立たず」


「お前が死ねばよかったんだろう」


「団長を返せ!」


彼女は地面の上で丸くなった。

団員たちは的確に弱点を狙ってくる。

頭、鳩尾、腹、股間。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


ライチはそれしか言えなかった。

やめてとも言えなかった。

ライチのせいで彼等が死んでいった、そんな気がしたから。


「ごめんなさっ」


腹の、いい所に蹴りが入りライチは吐瀉物をまき散らした。


「汚ねえな!」


暴行が止まる。

我に返ったというよりは、吐瀉物を付けられては堪らないというより気持ちだったのだろう。


「もう二度とツラ見せるなよ」


団員の1人がライチの腕にあったチームの石を引きちぎる。もうこれでライチはこのチームの一員ではなくなった。

皆泣きながらライチに目もくれずまた来た道を引き返していた。

団長のいなくなったチームをどうするか話し合うのだろう。


ライチはひとしきり吐いた。チーム内でライチの食事は減らされていた為吐き出されたものは殆どが胃酸であった。

それからじっとして傷が治ってきた頃、土を掘り始めた。

手では限界があったので太い枝を使いながら。


人がやっと1人分入れるだけの穴を掘り終えた彼女は死んだ団長と団員の残りを抱え穴に入れた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


ライチは2人の肉塊に土下座し何度も謝った。

穴からは生臭い臭いが漂っている。

彼女はおもむろに立ち上がると、土を被せ枝を立て、泣きながらチームとは別の道を歩き出した。



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