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ウズヴェリアに入ったのは、本国を出て2カ月を過ぎた頃だった。
南北に長いウズヴェリアでは、南端の一部だけ海に接している。
そこからウズヴェリアに入り、北上して王都へ目指す予定だ。
ウズヴェリアの港町に1泊して、見て回り、2日目の夕方から公爵領の領主館にしばらく滞在する予定となっていた。
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迎えられた領主館は、無骨な外観が要塞のようだった。
和かに出迎えてくれた公爵は、黄味がかった赤い髪を緩やかに後ろへ撫でつけ、口元や顎を覆う豊かな髭が立派で、黙っていると威圧される様な迫力のある偉丈夫だった。
しかし一度話せば、朗らかで人を惹きつけるような、そんな人だった。
「カリージア公爵当主、リカードです。いやぁ、お若いのに遠路遥々ようこそいらっしゃいました!お疲れでしょうから、遠慮せずまずは晩餐までゆっくりしてください」
「はじめまして。マティアス=ノル=フェルベルグスです。同行者共々、暫くお世話になります」
がっしりと握手を交わし合った手はとても大きく、一気に親しみを感じてしまった。
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この公爵領では、農業や栽培に力を入れていて、晩餐に並べられた食事は公爵領で作られた物だという。
「ガタイは良いのですが、そもそも研究気質なんでしょうな。やりはじめたら止まりませんで。3代前の当主は薬学に手を出して、薬の研究の前に薬草の栽培にハマってしまったくらいなんですよ」
ガハハと笑う公爵は、それでも収穫した薬草を王宮に送り、役立っているのだから良いのだと言っていた。
一緒に晩餐についたのは、公爵夫人のアルティシモと、次期公爵となる長男ブライドだ。
公爵には4人の子供がいるが、長女は他家に嫁入り。末の次男は王都の学校の寮に入っていて滅多に帰ってこず。残る娘、次女は不在だった。
「お出迎えするように言ったのですが、何やら手が離せないとかで……いやはや申し訳ない」
「お気になさらず。驚かせなければ良いのですが」
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そう言っていた日から3日後の早朝。
マティアスは、日がやっと射し始めた時間に目が覚めてしまい、仕方なく厚手のガウンを着込んで、近くにある中庭に出ることにした。
この領主館はもともと要塞としてあったところを、最上階だけ領主の住むスペースとして改築。他は政務や来客用として使っているそうだ。司教をしていた何代か前の公爵も住んでいたため至る所にフレスコ画や、年代を感じさせるレリーフがあって、歩くだけでも楽しめるのだ。
アーチの連なる廊下を抜けて出た、ロッジャと言われる壁のない柱だけの廊下から見える中庭は朝露に濡れた葉が朝日に煌めき、庭の右側には建物から大きくとられた半円の壁泉が涼しげな水音を奏でる。
こんなに充実していて、落ち着いた時間を味わえるなんて。やり込められた感は否めないが、心から感謝はしている。
ロッジャから中庭に足を踏み入れ、壁泉の縁に腰掛ける。溜まった水に手を伸ばして、その心地の良い冷たさに目を細めた。
サク……サク…と若い芝を踏み締め歩く音と、鼻歌のような小さな旋律が聞こえ、ゆっくりと壁泉から顔をあげて振り返ると、見知らぬ女性が、髪を風に揺らしながら軽やかに歩いていた。
青々とした緑の中に、夕焼けを思わせるスカーレットの緩く波打つ腰ほどまである髪、浅葱色の瞳、意思の強そうな眉がしっかり見える短い前髪が愛らしい。
薄く散ったそばかすが見える鼻筋はすっと通り、木の実を押し付けたような赤い唇は、小さく歌を奏でている。
空を仰いで気持ちよさそうに歩いていた彼女は、泉の縁に座るマティアスに気付かなかったのか、じっと見つめるマティアスと、ふと目が合うと、呆然として固まった。
サワサワと流れる水音が聞こえて、一瞬の静寂が辺りを包む。
「きゃぁ!あ、あなた誰?!いつからそこに?!」
初めて無駄な黄色い声以外の叫び声を上げられたなと、濡れた手先を払いながら立ち上がり、ガウン姿ではあるが礼を取った。
「フェルベルグス国から、外交で数日前から滞在させていただいております、マティアスです。ここには貴女が来る少し前から…。勝手に出歩き驚かせてしまい、申し訳ありません」
「え…あ、お父様が言ってらした、フェルベルグスの…?やだ、すっかり忘れていたわ……
次女のマリアンデール=カリージアよ。大声を上げてごめんなさい。それと気にしないで、お父様が許可なさっているのでしょう?」
「ありがとうございます。どこも素晴らしくて見入ってしまいました」
「でしょ?古いけど歴史を感じさせるわよね。ここの中庭も、本当はただの屋上だったのよ、だから木は全部鉢植えに入っているでしょ?」
「ああ、だから…」
「季節ごとに模様替えみたいに位置が変わるから、それも楽しいのよ」
朝日の中、クスクスと微笑む温かな色彩の彼女に、マティアスはどうしてだか目が離せず、見つめてしまう。
「今日は、ブライド様に領地の薬草園を案内してもらう予定で…お忙しくなければ一緒に……どうでしょう?」
「まぁ、薬草園へ?私の管轄なのよ。叫んだお詫びに隅々迄案内するわっ」
「本当ですか?それは楽しみだ」
胸から湧き上がる、温かな感情のまま自然と微笑めば、マリアンデールも微笑み返してくれる。そんな心地よい雰囲気も彼女の小さなくしゃみで終わりを告げた。
「海風が入るから、流石に朝は冷えるわ。貴方も冷え切ってしまう前に帰りなさいな。じゃぁ、また後でね」
苦笑して肩を竦めた彼女にひと時の別れを告げて、マティアスは、どこかふわふわとした心地で部屋に戻った。
部屋に戻ると、いつの間にか背後にいた侍女ーセリに声をかけられて、一気に夢見心地から引き摺りだされた。
「マティアス様、おはようございます。お着替えの準備が整ってございます」
「のわぁぁぁ!お前っっっっ」
「シーーっお声が大きいですよ。護衛が飛び込んできてしまいます」
「あ、そうだなってそうじゃなくて、お前いつから…!」
マティアスの疑問に、セリは結い上げた髪を揺らして首を傾げた。
「そうですね、明け方前に交代いたしましたので、1時間くらい前でしょうか?」
「えっそれまでここに?」
「いえ?色々準備し終わったら、出て行かれる後ろ姿を見かけましたので、ご一緒いたしましたが?」
「え?いたの?」
「ええ、ロッジャの上から拝見しておりました」
「あの上って内廊下だったよな…」
「その上ですね」
「屋根じゃないのか?」
「そうですね?」
なんだか一気に疲れを感じたマティアスは、言われるがまま身支度を済ませ、食堂に向かったのだった。
マイペースで、マイペースで行くんで(汗