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1学期も残すところ数日となり、学園祭実行委員からの報告も受けた。
問題なく休暇期間に入れそうで、何より安心した。
開催にあたって使った業者には、時々誰かを確認に向かわせれば良いだろう。
Aクラスには居ないと思うが、 1学期終了日には補習対象になる生徒を集め、補習期間を告げ再試験が課せられる。
それが終われば休暇期間である。とは言え、社交シーズンのため、あまり領地に帰る者もなく、社交デビュー前の僕らには親に連れられてのお茶会や、サロンへの顔出し、狩猟会への参加くらいだろう。
父上を一時追い出した手前、最低限の代理は行わなければならないので、僕もいつも以上に多忙になるだろう。
教室の窓から空を眺め、休暇期間中の自由時間の捻出方法に考えを巡らせたのだった。
***
自邸に戻ると、使用人に扮した諜報員が、柔かに出迎えてくれた。
「ただいま戻った。楽しそうなところを見ると、気に入ったようだね?」
「お帰りなさいませ、ご主人様。ええ、それはもうっ、突っつきがいがありますわっ!」
「…本人はどんな感じ?」
そう尋ねると、侍女のお仕着せを着たスラリとした体躯の少女は、頬に手をやり小首を傾げて、目線を下げた。
「そうですねぇ、今は、両手と両膝を地面につけて、力なく頭を下げたポーズで何か呟いています」
「そうか、じゃ、今の時間で面談を入れておくとするか。テーブルと椅子を2脚、運び込んでおいてくれる?着替えたら向かうよ」
「畏まりました」
***
着替え終わって地下に向かうと、まだ1週間程しか経っていないのだが、燃え尽きたようなニコラウスが、椅子に座っていた。
「ご機嫌…よろしくは無さそうですね、ニコラウス殿。快適にお過ごしと思っていたのですが?」
「お、オースティン殿っっ、これはいつまで続くのか聞いても良いだろうかっっ」
「いつまで…そうですね、すべてに於いて、連続で勝ちを取れる様になり、文書作成は一発で認められる様になるまで…でしょうか?」
「これ、出来る者はいるのか?剣術も体術も、形式を自由にしても全く勝てない。戦術に至っては気がつくと大敗している。私には…無理かもしれない」
燃え尽きたニコラウスは、自信がポッキリ折られたようで項垂れて机へ突っ伏してしまった。目標になるかは不明だが、取り敢えずと僕は口を開く。
「居ますよ?ここに」
「はぇ?」
「私はここの者達と共に訓練を受けました。必要と思われる技術は、専門家を呼びましたし。
まぁ、何年もかけて訓練を受けた私と違って、最低限を短時間で習得しようと言うのですから、難しいのも仕方ないでしょう。しかし、身体能力は良いので、きっと1ヶ月も経つ頃には、1本くらいは取れるようになりますよ」
にっこり微笑んで励ますと、ニコラウスは驚愕の表情を向けた。
「お、オースティン殿がこの訓練を?何故?!……貴殿は何と戦ってるんだ」
「それはもう、(フランシーヌに降りかかると想定した)すべての“最悪”を想定した上で習得しています。当然でしょう?」
僕の言葉に、ニコラウスは雷に打たれた様に身を震わせる。
「き、貴殿は、そんなにまで(ハリソン殿下を)……!」
「当然でしょう?唯一無二の替えがたい存在なのです。少しの隙も与えたくはないのですよ。
私がもっと動けるよう、貴方には実力をつけて殿下のお側に居て貰わないと、(フランシーヌとの時間が減って)困るのですよ」
「そうなのか!そんな想いで(殿下をお支えして居たのか)!」
「ええ、(フランシーヌは)私の行動理念であり、命です」
心からの笑みを向けると、ニコラウスは甚く感動した様に眼に力を込めて僕を見つめ、片手を差し出してきた。
一瞬パチクリと瞬いてしまったが、その手を掴むと、もう片方の手でも僕の手を包み、固く握手をされた。
「オースティン殿、これまで私は何という狭い考えで生きてきて居たのか…!過去、貴殿を侮っていた事、心より謝罪いたします!私を認め、殿下をお支え出来る様に導いてくださるとは………!」
「いえ、自分の為でも有りますから」
「もし私が連続で勝ち、認められる様になれば、その暁には、(共に殿下を支える友として)貴殿の名を呼ぶ事を許してくれないだろうか?」
「ええ、(同僚として)もちろんです」
ありがとう!と甚く感動している様だが、そんなにも僕のフランシーヌへの想いが伝わったのだろうか。それなら、もっと邁進してくれるに違いない。
本当、頑張ってくれないと、フランシーヌとの自由な時間が削られっぱなしになる未来しか浮かばないではないか。コレで一歩前進だな。
そんなやり取りをニコラウスとしている中、壁際で立って見ていた諜報員達は、カタカタ……と断続的な音を鳴らすという独自の暗号で話し合っていた。
『なぁ、すれ違っているよな』
『だね、主様はお嬢さんの事を言ってるもんね』
『俺、なんだかちょっと不憫に感じてきた』
『優しくしてあげたくなるね』
『あ、主様お話終わったみたい。次の訓練は戦術だよね、僕準備するよ』
『『『了解』』』
僕は話し終わり、席を立って部屋を出る。
その際、壁際で待機していた諜報員の前で足を止めてから小声で告げた。
「優しくなんて、手を抜かないでね。中途半端な仕上がりは、いっそ邪魔なだけだから」
『宜しくね?』
最後に暗号でそう鳴らすと、みんな背筋を伸ばしてコクコクコクコクと素早く頷く。
その返事にニッコリと笑顔を向けて改めて進んで、部屋を出て行った。
部屋の壁際では『主様マジこえぇ』と暗号が響くのであった。
***
その後、訓練に一層没頭したニコラウスは、逃亡の恐れなしと判断し、邸内を監視付きではあるが、ある程度自由に行き来する事を許可した。
やる気に満ちていることは、とても良いことではあるのだが、なんというか……いかんせん暑苦しい。
帰宅すると、ニコラウスが何故か笑顔で出迎え、「私も早く(殿下の元へ)戻れるようになりたい」と言いながら、今日の戦果を嬉し気に語り、そしてまた訓練に走り戻っていく。
「………なんというか、大型犬みたいだな」
そう呟くと、一部始終見ていたウィズリーは、頭痛を耐えているかのような辛そうな顔で、「どのような洗脳を…」と呟いていた。
失敬な。僕のフランシーヌへの愛に、感銘を受けただけだ。ちょっと不服に思いながら、僕は自室に戻ったのだった。