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選択科目の模擬授業期間も終了し、通常授業が開始された。
早期試験を受けたおかげで、僕は出席が必要な授業以外は悠々と過ごすことが出来た。
しかし空いた時間では、学園祭に向けての根回しに追われていたので、五分五分と言ったところではあるが。まだ先とはいえ、王太子殿下発案の催事を成功させたかったのだ。致し方ないといえる。
2週間程が過ぎたある日、僕は食堂棟1階の中庭の見える席で、仕事をしながらフランシーヌとの昼食の時間まで待っていた。
食堂で淹れてもらったお茶に口をつけていると、目の端に映る中庭の鮮やかで瑞々しい風景の中に、見慣れた赤銅色が掠めた気がして目を向けた。
「気のせいか…?」
サワサワと風に揺れる木々を眺めていると、不意に声がかかった。
「あら、エリオット様。こちらでお仕事なんて珍しいわね。進捗は如何かしら?」
声の方に視線を向けると、前髪部分をふんわりと上げて高い位置で留め、後ろをハーフアップでまとめた、上品を絵に描いたような印象のキャロリアーナが立っていた。
「………本日も麗しく、殿下に構い倒されそうな髪型をなさっておいでで、ようございます」
「な!何でよ!ちょっと気分転換に、新しい髪型に挑戦しただけなのにっっ」
「一層丸見えのおでこを、これ幸いと撫で回すでしょうねぇ」
想像してしまったのか、真っ赤になるキャロリアーナ嬢。的中率の高い予想だが、揶揄うのもここまでだ。後でハリソン殿下が面倒になる予感がする。
「先程庭で、見慣れた髪色を見かけた気がしたのですが。本日ニコラウス様は?」
「それが、今日は珍しく居なかったのよね」
「では先程見えたのは、本人かもしれませんね。何かあったのでしょうか?」
「さぁ?」とだけ返したキャロリアーナ嬢と2人して中庭を眺めていると、教室棟からフランシーヌとチャールズが歩いてくるのが見えた。
僕は2人へ片手を上げて見せると、キャロリアーナ嬢が振り返り、フランシーヌの姿をまじまじと見つめた。
「フランシーヌ、チャーリー。今日はどこで昼食を摂ろうか?」
「エリオット様、お待たせしましたわ。陽が強いので、室内がいいですわね。えっと、それであの…こちらの方は?」
未だ黙って見つめ続けるキャロリアーナ嬢に、ついに居心地が悪そうに尋ねるフランシーヌ。僕は少し苦笑して、2人に紹介した。
「こちらは副生徒会長で、ハリソン殿下の最愛の婚約者で、公爵令嬢のキャロリアーナ嬢です」
3人はお互いに紹介しあい、一緒に昼食をどうかとキャロリアーナ嬢が言い出したので、フランシーヌが快諾したところで、一応注意を促しておく事にした。
「キャロリアーナ嬢とご一緒すると言うことは、漏れなくあの方も付いてきますよ。でもまぁ今日の装いですと、恐らく叶わないかと思いますが」
フランシーヌとチャールズは、どういうこと?と言うようにきょとんとしていたが、キャロリアーナ嬢は赤くなって「そんな事ないわよ!」と否定していた。
「現れるとしたら、そろそろじゃないでしょうか?あ」
僕はフランシーヌとチャールズの後方から、すごく優雅なのに、早歩きで近づく黒髪のキラキラしい男に目を向けた。
「ご機嫌よう殿下。キャロリアーナ嬢に昼食をお誘い頂いたのですが、宜しいでしょうか?」
「ああ、構わないが…」
キャロリアーナ嬢を目に入れて、ゆっくりと笑みが深くなったハリソン殿下は、思い出したかのように声を上げた。
「そうだ、急ぎ片付けたい案件があったのだ。すまない、昼食は生徒会室で摂ることにする」
「左様ですか。残念ですがまたの機会に」
「さぁ行こうキャロ」
「殿下程々で」とだけ声をかけ、素早くキャロリアーナ嬢をエスコートして去っていくハリソン殿下。
目の前の慌ただしい展開に、ただ目を白黒させる2人に「ま、そう言う事だから」と言い席を勧めて、何事もなかったように昼食を摂った。
***
「そう言えば、同じクラスの女子生徒に挨拶されるんだけど…」
そう切り出したチャールズはどこか困った様子だった。
「気になるのか?」
「違うよ。変というか…?」
「チャーリーに好意を持っているのではないの?」
「好意も感じるんだけど、普通とは違うと言うか」
ある日選択科目のために、マティアス殿下と移動していたチャールズは、目の前で女子生徒がハンカチを落としたので、拾って渡してあげたそうだ。
「まぁ、よく物を落とす子だなとは思っていたんだけど、目の前で落ちたから仕方なく拾って渡したんだよ」
「わざとか?」
「…どうだろう?それから毎日挨拶してくるんだけど、それが哀れんだような、辛そうな目で見てくるんだよね。俺、他人に辛そうな顔させる何かあるのかな」
「お話を伺ってみないと、何ともいえませんわね。
私のチャーリーは、どこに出しても恥ずかしくない立派な紳士よ?自信を持ちなさいな」
「言いたいことがあるなら、そのうち言ってくるだろう。ただ1人の状況を作らないように気を付けて。既成事実でも作られたら厄介だからね」
「「きっっっ既成事実っ」ですって?!」
「チャーリーには婚約者が居ないからね。それを盾に取られる可能性もあるだろう。今決まったとしても、チャーリーがどの道に進むか、まだ決めかねているなら尚のこと」
「そうだね。まぁそろそろ答えを出せそうなんだけど。母さんにも、一応相談したいんだよね」
ちょっと早口で言ったチャールズは、照れ臭そうに髪に触れていた。
「チャーリーが何を選んでも、変わらず自慢の弟よ?」
「姉上…ありがとう」
「僕もだよ、未来の義弟よ」
「ありがと。心強いよ。間違いなく」
どうしてか遠い目でそう言うチャールズに、ニッコリと笑みを向け、それ以上の言葉を封じたのであった。