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教卓に立った中肉中背の男性教師は、このクラスの担任だった。
まず初めに教科一覧、選択科目の受講希望書、各施設の利用可能時間表。
最初の1週間は模擬授業期間。気になる授業を見て回り、受講希望表を翌週までに提出する。
教科書類は、初回受講時に受け渡すとの事。
次に個人ロッカーの鍵の配布。
これは教室棟の1階端から、講堂へ繋がる渡り廊下の奥に、ダンス用ホールや馬場などがあり、授業を受ける者が事前に着替えるための更衣棟で使う鍵である。
そして学園においての階級制度に触れる。
基本は平等。特別扱いは無く、ルールとマナーに則った行動が求められる。
そして成績優秀者は年間3名と、価値ある行動や実績が認められた者にそれぞれ学園からピンバッジが授与される。
最後に生徒会執行部について。
ピンバッジを授与された者が、生徒会長候補となり、選挙結果で決定する。
生徒会長は他の役員を指名する権利があり、任命された役員は、新たにピンバッジとベストが支給されるとのこと。
そこまで説明が終わると、本日は解散となった。
さわさわと騒がしくなる教室内で、僕らは配られた科目一覧をつきあわせて、それぞれ興味のある授業を話し合っていた。
「エリオット、お前どれに興味があるんだ?」
「そうですね、可能な限り受講しようかと」
「「そうなの?」か?」「そうなんですの?」
「はい、そして基礎科目、選択科目の早期テストを希望して授業免除を許可していただきます」
「究極の冷やかしだな」
「何を言いますか。評価を受けつつ、好きに行動できる時間が増えるのは、殿下にとっても必要なことでは?」
はっ!っとしたマティアス殿下は、教科一覧を睨みながらぶつぶつ言い出した。
その隣でオロオロしている、チャールズに「放置で良いです」とだけ声をかけて、話に戻った。
「フランシーヌは気になる授業あった?」
「淑女科、ダンス、文化学、あと他言語を教える授業かしら?」
「チャールズは?」
「そうだなぁ〜」
その時、教室の前方から一層大きな騒めきが聞こえた。そちらに振り向くと、長めの黒髪を緩く纏めて、肩から流した長身の男ーハリソン殿下が教室に入ってきた所だった。
恐らく僕とマティアス殿下の顔は引きつり、他は驚いた顔をしていることだろう。
そんな事全て承知なハリソン殿下は、微笑みながら悠々と優雅に歩き進めて近付いてくる。
数時間前に壇上で見た雲の上の人物が、極近い場所で動いている事に、周りの生徒は呆然としたり、ソワソワとしたり、「キャァっ」と声をあげる者や、一部挙動不審に動き回っている者もいた。
ハリソン殿下は僕らの前で止まると、「入学おめでとう」と改めて言い、僕とマティアス殿下以外は立ち上がり礼をとっていた。
「良い、必要以上の礼は不要だ」
「こちらまでいらっしゃらなくても」
「学内のことは、学内でが一番だろう?」
急造の持論を掲げるハリソン殿下に、僕はシラッとした目を向けた。そして手にしていた箱を机に置き、ポケットから小さな箱を取り出した。
僕はそれが何かを察し、半眼で見続けた。
「これを渡そうと思ってな」
「はぁ、そうですか。受け賜りました。因みにどの?」
「会計を。あとは書記なんだが、適任がいなくてな」
「それならウィズリーは如何でしょう?」
急に上がった自分の名前に、肩を跳ねさせジワジワと顔色をなくしていくウィズリー。
僕はニッコリと無言で微笑みかけた。ウィズリーは、少し間を置いてから小さな声で答えた。
「は…拝命いたします」
「エリオットが推薦するなら有能なのだろう。ハリソン=ノル=フェルベルグスだ。名は?」
「はっっっはいぃ!失礼をいたしましたっ。
お初にお目にかかります、オルレイン子爵家の三男ウィズリーです。エリオット様の従者をしております」
「そうか、私が見た仕事の内に、君の手も入っているのだな。いつも助かっている。感謝する」
「……!勿体無いお言葉、微力ながら誠心誠意尽力いたしますっ!」
ハリソン殿下から、恭しく役員バッジを受け取ったウィズリーは、両手で握りしめながらキラキラとした尊敬の眼差しを向けていた。
なんだ、僕とは態度が違いすぎないか?ん?
「マシューは今忙しそうだから、回さないほうがいいだろう?」
「あっっ兄上?!」
振り返ったマティアス殿下にギッと睨まれた僕は、ため息をついてから反論しておいた。
「私じゃありませんよ。存外分かりやすいあなたがいけないのでは?」
「わかっ分かりやすいっっ?!」
「一度行動を振り返ることをお勧めいたします。例えば…自室に持ち込んだ本とか、資料とか、物思いに赤い花を見つめる行動とか?」
思い当たる節があったのか、胸を押さえて机に顔を伏せてうめき出すマティアス殿下。
隠し通路を網羅している完璧王子に拉致されたのだから、隠し事なんて出来ないことをそろそろ学習すべきだと思うのだ。
「ククっ…応援している。マシュー。ではこれをエリオットに。役員用ベストだ。ウィズリーの分は発注するので暫く待ってくれ」
「はいっ。ありがとうございます」
やっぱり何か態度違うよね?と僕は半目でウィズリーの顔を見つめてしまった。
***
用件が済んだハリソン殿下は、この後役員室に行くそうで、颯爽と去っていった。本当に行動が早くてらっしゃる。
とりあえず帰宅するために席を立ち、出入り口へ足を進めると、ガタタっと席にぶつかりながら、1人の女子生徒が僕らの前へ飛び出てきた。
僕は目を丸くしながらもフランシーヌの前へ庇うように立つと、ニコもいつの間にか前に居た。
ニコはさも心配しておりますと言った顔で「大丈夫ですか?」と、そっと相手の右手首を右手で軽く掴んでクルッと90°回転させると、空いた手で相手の左肩をそっと包んで、勢いをそのままに方向を変えさせた。
「ちょっ!あなたなっもごごごごご…!」
僕らは塞がれた進路がすっかり空いたので、他の面々と共に何事もなかったような顔で教室を出て、そのままいつの間にか合流したニコと共に、帰宅したのであった。