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それから僕はなるべく前を歩き、2人で連れ添って歩けるようにした。
校内には各分野の教師陣、職人と補佐をする職員が揃い、開校前の準備に追われる中、時間をとってくれて、投げ掛けられる質問に笑顔で答えてくれた。
初めはハリソン殿下を気にして、もじもじチラチラとしていたキャロリアーナ嬢も、僕が話題を振り、教師陣や教科書に意識を向けさせると、興味を示してついには殿下を置いて教師を質問攻めにしていた。
キャロリアーナ嬢の調査結果によると、基本勉強大好き少女で、のめり込むと突き進む質だそうだ。
目を爛々と輝かせ、頬を上気させて教師を追い込む姿は、一見すると誤解を招きそうな図である。
気のせいか、教師もデレデレと鼻の下を伸ばしながら答えている。
…無理もない。上品な美少女が頬を上気させながら、自分の得意分野の質問を嬉々として聞きたがるのだから。
ハリソン殿下は、最初はそれこそ微笑ましそうに眺めていたのだが、教師に近付いていくキャロリアーナ嬢の腕をクイっと引っ張り、自分に寄せた。
僕は「おや?」と片眉を上げてそれを見つめる。
キャロリアーナ嬢はなぜ引っ張られたか分からず、キョトンとしていたが、恥ずかしそうに消え入りそうな声で「えっと?すみません?」と謝罪を口にしていた。
「殿下、どうされたんです?」
「何がだ?」
「いや、先ほどから…その手は?」
「うむ…勝手に動いた」
ほーーぅ。これはこれは。僕も覚えがありますよ?
僕は、顔がニヤニヤしないように気をつけ、至って他意の無い微笑みを貼り付けた。
そうしているとまたもや寄って行ったキャロリアーナ嬢の腕を、クイっと引き寄せる。
何度か繰り返すうちに後ろから腰に手を回されて引かれ、がっちり固定されると、キャロリアーナ嬢もやっと意味が分かったのか、真っ赤な顔でオロオロし、教科書、教師、殿下と目を回してグルグルしていた。
僕は嘆息して、ハリソン殿下にどうしたのか尋ねてみた。
「殿下、それでは動きづらいのでは?キャロリアーナ嬢も困っておいでですよ」
首どころか手先まで染まるのではと思うほど真っ赤になったキャロリアーナ嬢は、教科書を握りしめてアワアワしている。
「仕方がないであろう。つい引っ張ってしまうのだ。こうしておく方が手っ取り早くて良いだろう?」
そしてふと後ろから抱いているような格好になっているキャロリアーナ嬢に目を向けると、髪に顔を近づけ、クンと香りを嗅いだ。
「でんっっか!なにょっっっ!!」
もう1人パニックなキャロリアーナ嬢は、とっても慌てすぎてカミカミだが、恐らく「殿下、何をなさいますの!」だろうか。ここまで来ると察せない方がどうかしている。独占欲が爆発したのだろう。
勢いよく噛んでしまった舌が痛くて涙を浮かべるキャロリアーナ嬢。
「どうしたのだ?」
「いえ、噛んでしまいましたっ」
「どれ?見せてみろ」
そういうと、キャロリアーナ嬢の向きを変えさせて頬に優しく手を掛けると、顔を近づけるハリソン殿下。
あ、まずいんじゃ。そう思った時には遅かった。
頭を沸騰させたキャロリアーナ嬢は、そのまま殿下の腕の中でフッと意識を飛ばしてしまった。
僕、教師、周りの護衛含め、その場の全員が同じ心で同情したに違いない。
「おや?どうしたのだ?」と呑気に言っているハリソン殿下に「貴方のせいですよ」とは言えず、女性騎士を呼び寄せようとしたのだが。
「このままで良い」
とか言っちゃうものだから、僕はキャロリアーナ嬢のために反論しておいた。
「いえ、婚姻前の女性を、そのように人前で抱きしめたまま連れ回すものではありませんよ。それにそれでは目覚めるものも目覚められません。(訳:勘弁してあげて!目覚めるどころか天に召されるわっ)」
「そうか。仕方ないな。では休憩出来る部屋まで案内せよ。私が運ぼう」
僕は一度逡巡した後、まぁ今なら意識ないし良いか。と隣の準備室のソファへと案内したのだった。
***
翌日僕は、第一王子ハリソン殿下の執務室にて、昨日の報告書を上げていた。
どこかポヤっとしたようなハリソン殿下に、報告書を渡して、それを見るハリソン殿下。
……いつもより読むのが遅い。
そして一点に目を留めると、動きが止まった。
最後に視察参加者名を書いていたのだが、そこにキャロリアーナ嬢の名前を付け足しておいたのだ。きっとそれを見ているのだろう。
「そんなに気になりますか?」
「ん?何がだ?」
「キャロリアーナ嬢でしょ?」
「何故?」
「ずっと見てるではないですか。名前」
「それはその…」
「婚約者なんですから良いんじゃないですか?それで避けられたら、それこそキャロリアーナ嬢がお可哀想ですよ」
「避けてなどいない」
「そうですか、それならいいです」
その時専属執事が来訪者を告げに、近づいてくるのを見て、すかさず「大丈夫です、入れて差し上げてください」と言うと軽く一礼してドアに向かって戻って行った。
「なんだ。誰か来るのか?」
「はい。すぐ分かりますよ」
その来訪者はやってきた。
艶のあるクリームイエローの生地に、鎖骨がやや見える程度のラウンドネック、控え目に広がるAラインのスカートに、袖はエンジェルスリーブ。胸元、袖周り、スカートの裾回りの縁を黒のレースで覆い、ウエストにも同じ黒色のリボンを巻き付け、後ろに長く流してアクセントをつけた。
片側に纏めた髪が品よく美しい。もちろん今日もほぼスッピンである。恥ずかしそうに、シルクシフォンに黒の刺繍を施した扇子で顔を半分隠していた。
昨日に引き続き、お上品で控え目に。しかし全身ハリソン殿下カラーで纏めた、独占欲に全力でお応えしましたな仕上がりである。
実は今朝方、伯爵家の孤児院からお針子を2人ほど引き連れ、またもや朝一番から公爵家にお邪魔した。
持っているドレスを漁り、クリームイエローのドレスを探し選び、不要な装飾を外して、持ち込んだ黒レースとビロードのように美しい長い黒リボンを縫い付けたのだった。
僕は完成したドレスに満足して、後は公爵家の侍女にお任せする事にした。
昨日は大変殿下の気を引きまくったので、今日も昨日のような素材を生かしに生かしたお化粧をお願いし、香水を指定して、用意出来次第昨日依頼しておいた視察の報告書と共にハリソン殿下の執務室までくるように伝えて、お針子と共に公爵家を出たのであった。
もう僕は慣れたのだが、ハリソン殿下がまたもや魂を抜かれたように目を丸くして見つめている。
ずっと居たニコラウスは誰?と言う顔で食い入るように見つめて頬を赤らめている。
「キャロリアーナ嬢、早くから申し訳ありません。昨日お願いした、視察の報告書を殿下にお渡しいただけますか?」
「はい。あのっっ殿下、どのように書いて良いのか分からなかったのですが、私なりに昨日の貴重な体験を纏めてみましたの。どうぞお受け取りくださいませ」
「あ、、、ああ。有難う」
受け取った資料よりも、キャロリアーナ嬢に目を奪われっぱなしなハリソン殿下に見かねて、ゆっくりお茶でもいかがでしょう?と提案した。応接用のソファに移動し、お茶の準備を専属執事に頼み、僕はニコラウスをせっついて外に出るべくそそくさと出て行こうとして、慌てたキャロリアーナ嬢に呼び止められた。
「なんで皆出ていきますのっ?!」
「大丈夫ですよ、その為にも昨日お作りになった報告書をお使いください。では、ご武運を」
「武運って…!」
無情にも去っていく僕らを、信じられない思いで見つめたキャロリアーナ嬢。
この後、改善されたハリソン王太子殿下と婚約者の関係を城中が知るところとなり、嬉しいやら、恥ずかしいやら、居た堪れないやらで真っ赤な顔で震えるキャロリアーナ嬢と、それを笑顔で囲う王太子殿下が常となるのだった。