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馬車には僕とキャロリアーナ嬢、ニコが同乗した。
ほんと、警護も出来ちゃう侍女って凄いなぁとかぼんやり考えていると、その向かいでは「本当にこれで良いのかしらっ」と悲壮感たっぷりに服を忙しなく触ったり、髪に手をやったり、ショールの先をいじいじと弄ったりしているキャロリアーナ嬢が視界に入る。
ほんのりと漂う柑橘系の中に、微かな甘さのある香りを感じながら、僕は鎮静効果のあるラベンダーをかけた方が良かったかなぁと、またも考え込んでしまった。
***
そうして到着しました、王太子殿下肝いりの職業専門学校、その名も「王国立ステラアカデミー」。
初年度は基礎科、農業科、薬学科、工芸科、織布科の5つの種類がある。
基礎科は1年制で読み書き計算を教え、その後農業科、薬学科、工芸科、織布科のいずれかに進む。
スキップ試験を受ければ、基礎科はいつでも免除が可能だ。学生は食堂を利用可能。出される食事の原料は、農業科での収穫物も並ぶ。
…とまぁ、今後の展開が非常に楽しみな学校である。
門を抜けて中に入ると、馬車の窓から先に止まっている馬車が見えた。どうやら予定より早く、学校に乗り込んだ人がいるようだ。
僕は苦笑してから、ゆっくりと止まった馬車から先に降りた。中から数人の護衛と共に前回と同じ旅人風ローブをかぶったハリソン殿下が現れた。
今日は建物内という事で、服装だけの変装に留めている。ハリソン殿下はにっこりと微笑み、足早に近づいてきた。
「遅いぞ、さぁ早く行こう!」
「勝手に予定より早くきたのは、ハリソン殿下でしょう?…ああ、今日は連れが居りますので、少しお待ちください」
「連れ?誰だ?」
「聞いていないぞ」と訝しむ殿下を他所に、僕は馬車へと戻り、ドアを開いて手を差し出した。
中から白くほっそりとした手が現れて、僕の手にグッと掴まると、ゆっくりと降りてきた。
ふわりと揺れるスカートを上手に捌きながら、僕と共にハリソン殿下の前へ進み出る。
僕はにっこりと微笑み、「お待たせしました」と言うと、丸まった目を令嬢に向けたハリソン殿下が、小さく首を傾げた。「何処かで?」という感じだろうか。
……その気持ちはすごく分かる。僕は軽く咳払いしてから、紹介した。
「キャロリアーナ=アクストン公爵令嬢をお連れいたしました。本日の開校前お忍び視察に、大変興味を持たれておいででしたので、良かれと思い急遽お誘い申し上げました」
「キャロリアーナ嬢………?」
呟いた声にはこれが?あの?本当に?という気持ちが含まれていたのだろう。
……殿下、ものすごく分かります。
しかし、僕のエスコートの手から離れたキャロリアーナ嬢は、初めこそショールのあわせをキュッと掴んで不安げな気持ちを押し殺して、精一杯微笑み、上品さの上に儚さまで上乗せされていたのだが、殿下がまん丸な目のままで無言で見続けるものだから、段々と青くなったり、見つめられて赤くなったり、凄く器用な顔色でいよいよ涙目でプルプル震えつつある。
僕はもう一度咳払いをしてから、固まっている殿下へ促した。
「殿下、よろしければご婚約者様のエスコートをお願いできますか?」
「……ぁあ、そうだな。キャロリアーナ嬢。お手をどうぞ」
差し出された手に、そっと手を重ねたキャロリアーナ嬢の手を、ハリソン殿下は腕に掴まるように誘導した。
初めてだったのかもしれない。控えめに腕に手を添えたキャロリアーナ嬢は、潤んだ瞳で見上げて殿下と目が合うと、視線を外して恥ずかしそうに頬を赤らめ俯いた。
僕は茫然と見つめていた殿下の脇を突き、小声で「何か仰ってあげてください」と忠告した。
「ぁ…ああ。今日はとても美しいな。まるで月の女神のようだ」
「あ、ありっっありがとうございますっっ殿下の好みに合うか不安でしたのですが、そう仰って頂けて…!嬉しゅうございますっ」
真っ赤になったキャロリアーナ嬢は、嬉しそうなはにかみ笑顔で、ハリソン殿下の腕をキュッと掴んで寄り添った。
どこか魂が抜けたようなハリソン殿下は、騎士に先導されるまま、キャロリアーナ嬢を伴い校内に入って行った。