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二人目のお忍び視察を終えて、戻ってまいりました我が屋敷。
私室の長椅子でだらしなく垂れていると、ウィズリーが咎めるように咳払いをする。
僕は伏せていた目を上げもせず、そのまま返答した。
「今日は大目に見て、ウィズリー」
そう言っても近くにある気配は下がる様子もなく、動かないまま止まっているようだった。
「何?」
伏せていたまぶたを上げて、ウィズリーの姿を視界に入れると、目を伏せて居心地悪そうに立っていた。
その手には銀盆が乗っていて、さらにその上には見覚えのある封筒が載っていた。
「…………却下で」
ため息を吐いたウィズリーは、ずいっと銀盆を目の前に差し出してきた。
「…………因みにどこから?」
口元をキュッと引き絞ったウィズリーの顔を見て僕は目をギュッと閉じて、「行動力…」とだけ呟き、諦めてその手紙を受け取った。
***
そして翌日。
僕は、第一王子ハリソン殿下の執務室に呼び出しに応じて、王宮へと参上していた。
執務机に着いていたハリソン殿下は、とってもいい笑顔でいて、僕は半目でその前に立ち、キラキラしい様を眺めていた。
ややあってハリソン殿下は口を開いた。
「昨日は弟が世話になった。感謝する、エリオット。あれが帰った後に話は聞いたよ。それで…?」
口にはしないけど「マティアスの答えはどうだった?」と問うてまた一層深くした笑顔に、内心引きつりつつ、僕は諦めて口を開く。
「ええ、完全とは言えませんが、お言葉はいただきました」
ハリソン殿下は視線で先を促し、無言で返事を催促する。
「椅子は不要と。………と言うか聞いたんじゃないですか?仲がいいそうじゃないですか。何を言わせたいんですか?」
ヤケになって答えた僕にハリソン殿下は、クツクツと喉を鳴らして笑う。それをまた胡乱げな目で見つめると、ハリソン殿下は笑いを収めて口角をにっと上げて言い放った。
「エリオット=オースティン、僕の側近になれ」
「……………はっ。謹んで拝命いたします」
「そして、弟の友人にもなってくれ」
「それは…」
「僕の側近が、弟の友人であっても問題ないだろう?」
それとも何か不満でもあるのかと言外に告げ、片眉を上げてこちらを見据えるハリソン殿下。僕は内心でため息をついた。
「ご存じないようですが…友人とは指示をされてなるものでは無いのですよ殿下。“兄上に言われたから”なんて事では、拗ねて閉じこもってしまわれるのではないですか?」
「それもそうだな。…ではどうしたら良い?」
この兄弟は変なところで不器用だなと呆れつつ、僕は気恥ずかしい答えを口にした。
「ご心配頂かなくても、僕は恐れ多くも、既に友人のように思っておりますよ」
マティアス殿下は分かりませんがと付け加えると、またクツクツと喉を鳴らして笑われてしまった。
「わかった、エリオットが力になってくれるなら、弟も心強いだろう。そしてあれにとっての1番の害悪は、私も同じく目障りに思っている。私も力になろう」
「心に留め置きます。ところで殿下、一つ宜しいですか?」
「なんだ?遠慮せず言ってくれ」
「では、失礼して。マティアス殿下との和解が嬉しく、構ってしまう気持ちは分かります。弄りがいも有りますしね。でもお名前のところは、そろそろ勘弁してあげてください」
「名前?あぁ、しかしあの響きが好きだったのだが。つい頬が緩んでしまうくらいには、気に入っているのだがダメか?」
残念そうにそう溢すハリソン殿下を見る限り、悪気なく口にしているのが分かった。
しかし一応“友人”のため、お願いする。
「僕は昨日マシューと呼んでおりました。気に入っておられたようですし、ご一考ください」
「マシュー。そうか、考えておこう」
なんて気の抜けるやり取りかと、内心でため息を吐きつつ、それでも“友人”のために、恥ずかしい呼び名を少しでも止められたら上々と思うのだった。
気の抜けるやり取りを終えたところで、専属執事がハリソン殿下に他の来訪を告げた。
それを聞いて短く「通せ」とだけ言うと、専属執事は扉へ向かって行った。
「あ、下がりますか?」
「良い、エリオット。そのままで」
ハリソン殿下はそう言うと、いつもの微笑を湛えた顔をして専属執事が案内してきた人物に目を向けた。
案内されて現れた人物は、少し距離を置いたところで止まると一礼する。
赤銅色の髪は少し長く、緩く後ろに撫で付けている。精悍な眉の下には、意思の強そうな光を湛えるピーコックグリーンの瞳。通った鼻筋の下で、形よい唇が引き結ばれていて、細身だが鍛えているのであろう体躯も合わさると、どこか堅牢で気難しさが滲み出る。
僕は、その人物の髪色から貴族名鑑の中で該当する家に予想をつけていると、ハリソン殿下はその人物に声をかけた。
「すまないね、急に呼び出して。早速だが紹介しておこうと思ってね。エリオット、こちらはニコラウス。先に母上からの推薦で、側近候補として側においている」
僕はハリソン殿下の言葉の意味を理解して、思わずピクリと眉が動いてしまった。
ニコラウスはハリソン殿下の言葉を受け、僕へ向き直り一礼して口上を述べる。
「お初にお目にかかります、プロバースド伯爵家長男ニコラウスです。以後お見知り置きを」
「ありがとうございます。オースティン侯爵家長男エリオットです」
僕も口上を述べると、ハリソン殿下はにっこりと笑み、「仲良くやってくれ」とだけ言い添えた。
「さて、集まってもらったのは他でもない。今後のことについて、一応の予定や考えを話しておかなくてはと思ってな」
そう言うと淡々と、まるでそうなる事が当たり前のように言った。
「僕は来年の学園入学までに立太子する。それまでに手土産の一つもと思っているのだが、何かあるか?」
「必要なのでしょうか?このままでも一番可能性が高い殿下であれば、不要と存じますが」
僕は隣から放たれた言葉に、一瞬呆気に取られてしまった。それでは意味がないと思い、とりあえず思いつくことを口にする。
「隣国との間の運河治水工事などは手っ取り早く、手土産にはちょうど良いのではないでしょうか」
隣から蔑む様な視線を感じたが、僕は視線を向けずに真っ直ぐハリソン殿下を見た。
「確かに昨年の大雨で近隣に少なくない被害が出たと聞く。それも手をつけよう」
「……殿下、“も”って何でしょうか?」
「ああ…」
「やはり気付いたか」とニヤリと口角を上げるハリソン殿下の笑顔に、僕は嫌な予感をひしひしと感じていたのだった。